Night Rowing

よく晴れた夜の海岸に
黒ずんだ小川がそそぎ込み
河口近くの杭に古びた小舟が繋がれている
ぼくはそれに乗りこみ
流木を櫂として
漕ぐ
農道を照らす水銀灯の光が見えなくなるまで
ひたすら 漕ぐ
どの国のラジオも聴こえないところまで
あてどなく 漕ぐ
ボトルメールの群れが漂いながら互いにすれ違う海原をも通り過ぎたところまで
発電所から延びる桟橋に並べられた赤や緑の灯が、ぼくを見送ってくれた
居場所がない子供たちの打ち上げる花火が、傷んだ舟板の罅をあらわにする
二つの島々の間を通り抜け
振り向くと
あの湾が潤んだ瞳の表面のように凪いでいる
まぶたを閉じて
開くと
網膜に映るのは無数の星々と夜光虫ばかり
漕ぐ手を止め
流木を投げ捨てて
このまま蛇行する黒潮に身を任せ
椰子の実と同じ旅路を行こうか
行くまいかと迷う気力もない
ぼくはもう疲れはてた
寝そべって南十字星の瞬きを眺める 
やがて傷んだ舟板が軋み、舳先は割れ、竜骨は折れて
すべてがバラバラになり
漁礁と化した沈没船へと吸い込まれる
操舵室に忘れ去られた髑髏の眼窩に魅入られて
沈んでゆく 海山の稜線を仰ぎながら
揺らめく気泡といっしょに意識が遠のき
身体は重く、生物たちの遺骸に覆われた海底に横たわり 
ヴェルヴェットのようになめらかな眠り、そして死──

目覚めると
安物の赤ワインで床がびしょ濡れになっていて
ちゃぶ台の上には睡眠薬のビニール殻がたくさん散らばっていた
我に返って瞬時に気づいた
またしくじったんだと
吐瀉物を踏みつけ、カーテンを開ければ
あの湾は月光を浴びて黄金色にきらめいている
生まれる前からまったく変わらない風景だ
ベランダで頬杖をつき煙草を喫いながら
水平線に浮かぶあの二つの島々よりも
はるか向こう側のことを夢想してみたりする
黒曜石色の海の、柔らかな水温を感じながら
すべての終わりを見届けたあと
沈みたい
夜空の銀河と海原の夜光虫が溶け合うところで
月が真上と真下にそれぞれ鏡写しになっているところで




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