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おまえ編集長やりすぎ

 私がCNET Japanを運営していた当時のシーネットネットワークスジャパン(現在の朝日インタラクティブ)に編集記者として入ったのは、2005年1月です。CNET Japanが運営を開始したのは2003年の1月ですから2年後と言うことになります。翻訳や転載記事が主体で、独自取材の記事も少なかったため、私のミッションは「独自の日本国内記事の増産」でした。編集部もまだ少数で、記者会見などに行けるリソースも限られていましたし、そもそもその案内が来ないケースも多々あったので、会見や説明会、イベントなどに行きまくって記事を書いていた時代です。と、いっても行動としては、前職のインターネットマガジン時代とはあまり変わらなかったので、それはそれで楽しかったです。「CNET Japan」の名前が徐々にではありますが、知れ渡っていくのも実感していました。まあ、とにかく記事を掲載することに躍起になっていました。

 入社したときは、同時にもう1つミッションがありました。それはZDNet Japanの開設です。実際にZDNet Japanは、当時の言い方ですと「エンタープライズに特化した情報を提供するメディア」として2005年4月に開始しましたが、これに向けてのコンテンツ制作もミッションでした。いわば「0号編集長」的な動きで、記事を企画して取材をし、執筆し、掲載するということを集中してやりました。エンタープライズ企業の社長を数人、集中して取材したことを覚えています。

 このように、編集記者の仕事に集中していましたが、それまでに経験したことがなかったこととして、自社イベントコンテンツの企画や運営サポート、レポート掲載なども手がけていました。現在のように私自身が、最初の企画立案から手がけるようなことはしていませんでしたが、このときの経験がいまに活きています。詳細は省きますが、現在他社が運営しているカンファレンスの礎となったイベントもいくつかありました。

 その後、2007年7月にCNET Japanの編集長となります。辞令などはなく、ある日発注した自分の名刺を見たときに編集長の肩書きがついていて、何も聞かされていなかったので「どういうこと?」と当時の社長に詰め寄ったのを覚えています。社内ではいま偉そうに話しているかも知れませんが、ま、あまり何の自覚もなく編集長に就任したわけです。

 ここからは、時系列を無視してかいつまんで説明します。一気に編集部の人数も増えていった時期で採用にも携わるようになりましたが、編集長になったあとは、それまでやってきた編集記者の仕事に加え、サイトの新機能やサービス開発、新メディアの立ち上げなどもやらなければなりませんでした。すべてが自分主導でやったことではありませんが、思い返すと、現在はほとんど稼働していなかったり、廃止したりしたことばかりなので憂鬱になります。黒歴史かよ、と思いますが、まあこの時代にスクラップ&ビルドを繰り返してきたってことで、ポジティブに考えときます。

・ゲームに特化した新メディアサイト「Game Spot」開設(その後終了)。
・ベンチャー企業の情報に特化した新メディアサイト「Venture view」開設(その後終了)。
・世の中が「blog」「Weblog」の言葉に代表されるようにCGM(Consumer Generated Media)が注目を集める中、CNET Japanのリニューアルとともに日本で初めてトラックバック機能を導入。
・CGM全盛の中、読者の方を公募して記事を書いてもらう「読者ブログ」開設(現在は限られた方だけで記事掲載。新規登録は停止中)。
・有識者に登録していただき編集部からのお題や質問に対しての意見を投稿してもらう「CNET Japan オンラインパネルディスカッション」開始(その後終了)。
・2択の質問に対してどちらを支持するか、読者の方に投票してもらう「CNET Japanどっち?」開始(その後終了)。
・Twitterを使ってそのまま手軽にCNET Japanに簡易記事を投稿できる「CNET Japan STREAM」を開始(その後終了)。
・メディアではかなり早い時期に手がけられた「CNET Japanのモバイル専用サイト」の開設(現在はレスポンシブサイト)。

 うーん、やっぱり黒歴史ですね。いろいろとご迷惑をおかけした方も多数いらっしゃるので、改めてこの場を借りてお詫びします。

 さて、書き切れない、書けるわけがない話もこの間はたくさんありましたが、あーだ、こーだがあって、煙草の本数もうなぎ登りでしたが、2009年7月に朝日新聞社によるシーネットネットワークスジャパンの買収が発表され、それまでの運営されていたメディアすべてが2009年9月から朝日新聞社の運営となり、社名も「朝日インタラクティブ」に変わりました。メディアだけではなく、どこの企業もそうだと思いますが、業績を向上させる宿命からは逃れられないので、そのために四苦八苦しますが、その業績に対する労力よりも「資本が安定しない」という時期が続くことの方がよっぽど苦しかったです。その意味でこのとき個人的には、とりあえず資本が安定し、投資を受けられるようになったことは非常に安堵しました。

 振り返ると、ここから本当の意味でCNET Japanの編集長としての振る舞いが始まった気がします。1年間ぐらいは新体制への移行などに注力していましたが、2010年頃から新しい取り組みが始まりました。各メディアのリニューアルや記事構成も含めた編集方針の再定義なども手がけ始めましたが、もっとも大きかったのは、それまでやってきたイベントの再構築でした。それなりに時間はかかりましたが、柱として3つのイベントを軸としました。核となるのは「CNET Japan Live」です。「その時々に編集部がもっとも注目して追いかけているテーマを“カンファレンス”という“生(Live)のステージ”というかたちで、来場者の方に伝える」というコンセプトで始めました。

 初回は2013年12月10日に開催した「CNET Japan Live 2013~全社員マーケター時代のビジネス戦略」です。気負っていたのでしょう。私自身がモデレーターを買って出たセッションが複数あって、ぼろぼろに疲れたことしか覚えていません。その後、派生して独立したイベントとなる「CMO Award」や「Startup Award」も、この初回のCNET Japan Liveに盛り込んでいました。明らかに詰め込みすぎ。個別セッションも同時に3セッションやっていたので、「参加したいセッションが重なっていて見られない」と、お叱りをたくさん受けました。しかし、個人的には初めてテーマ設定、コンテンツの企画、営業、出演交渉、出演、運営までをすべて自身で手がけた最初のイベントでしたので、いい経験のスタートになったと考えています。まあ、それを全部やるのもどうかと思いますが。

 これも振り返ってみると、言い訳でしかありませんが2009年以降は「自分がなんとかしなければいけない」と焦っていました。言い換えると「自分がリーダーシップを発揮してみんなを引っ張っていかなければいけない」と思い込んでいたんでしょう。独り善がりの勘違いがひどかったかも知れません。社内では、「独善的でチームワークを考えない人」と見られていたことでしょう。

 と、いまさら反省しつつも、CNET Japanの編集方針やコンセプトなどが2014年ぐらいから大きく変化していきます。それまでは、「テクノロジービジネスを生み出す世界中の最新IT事象とアイデアが見つかる」などのキャッチコピーで、「これまでの常識にとらわれず最新ITを活用して新たなビジネス戦略を考えている人に必要な情報を届けるメディア」を標榜してきました。しかし、実際の記事は数字が稼げるアップル製品をはじめとするハードウェア、ガジェット、新しいウェブサービスの記事が主体でした。もちろんビジネス戦略の記事もありましたが、本当の意味でメディアとして標榜してきたことができていたかどうかは疑問です。以前から「新しいテクノロジーが新しいビジネスを生み出す」といったキャッチコピーも使っていて、核となる想いはいまも当時から変わりませんが、表現が変わり、記事の重要度、差別化も変わっていきました。

 産業革命までは振り返りませんが、パソコンが登場して世の中はがらりと変わりました。その後もインターネットが登場して、モバイル(ガラケーなど)が登場して、スマートフォンが登場して、それぞれ大きく世界が変革しました。インフラやサービスといった各レイヤーのプレイヤーたちも大きく変遷してきました。こういった節目を振り返ると、「新しいテクノロジーが新しいビジネスを生み、新しい世の中に変革する」というコンセプトに沿ったメディア運営をしようとしてきた姿勢は間違いなかったとは思いますが、本当に実践できてきたかはいまも正直わかりません。

 次に、どういったテクノロジーで世の中が一気に変革していくかはまだ定まりませんが、とにかく、生活するのもビジネスをするのもテクノロジーを使わないことはなくなり、本当の意味で「テクノロジーがあたりまえの世の中」になりました。パソコンが浸透していく初期の時代には、企業には「パソコン室」といったものがあり、そこにいかなければ使えない“特別なモノ”だったわけです。いま、「スマートフォン」をこのような感覚で使っている人はいないでしょう。インターネットもいちいちつながなければいけない“特別なモノ”の感覚を持っている人はいないでしょう。これが、「テクノロジーがあたりまえになった世の中」だと思います。

 「テクノロジービジネス」をコンセプトにしてきたCNET Japanは、そういった世の中で、どういったメディアにしていくべきなのか。いまとなっては、ビジネスをするうえでテクノロジーを活用するのがあたりまえなのですから「テクノロジービジネス」という言葉は死語だと思います。同様に、たとえばマーケティングを語るときにもテクノロジーを活用するのはあたりまえなので、「デジタルマーケティング」という言葉も死語でしょう。

 しかし、そうした認識のうえでも、まだまだテクノロジーが活用しきれていない業界があります。不動産、教育、農業、漁業、食、ワークスタイル、ヘルスケアです。そこで、CNET Japanを「これらの業界がテクノロジーでどのように変革していくのかを追いかけるメディア」として、サイトの見せ方も含めて作り替えることにしました。各業界に編集部の担当者を専属で配置し、これらの記事を第一義に活動するようにしました。これは、メディアビジネス的にも考えたことで、いままで扱ってこなかった業界です。「新しい読者と新しいクライアント」に支持されなければメディアとして未来がない、ということを痛感していたからですが、相当な新しいチャレンジでもあったわけです。これを明確にしたのが2015年でした。

 そして、2016年4月には新たな役職がつきました。CNET Japan編集長に加えて「編集統括」を名乗るようになりました。つまり、仕事としては、CNET Japanのメディアだけではなく、そのほかの「ZDNet Japan」「TechRepublic Japan」「CNN.cojp」「鉄道コム」など、他のメディアの責任者にもなりました。各媒体ごとのKPIを設定したり、収益の責任をもったり、媒体方針を決めたり……。マネジメントももちろん役割でしたが、事務作業だけで、いろいろ追いつきませんでしたね。編集部のみなさん、いろいろ迷惑をかけました。

 このようにCNET Japanはもちろん、ほかの運営メディアのコンセプトの変化を考えてきたのと同時に、ずっと引っかかってきたのが私の中にいるもう一人が自身にささやき続けてきた「おまえいつまで編集長してるの?年寄りがやり過ぎ」ってことでした。大方のメディアがそうだと思いますが、作り手が歳を重ねれば、読者も歳を重ねていきます。この時点で、編集長を9年やっています。まあ、以前から編集部の“若返り”は考えては来ましたが、すぐにできることではありませんでした。実際には何年かにわたり計画を立て実行した結果、2019年5月にようやく、現在の4代目CNET Japan編集長である藤井涼さんにバトンタッチができました。一気に約20歳若返ったかたちです。ぜひ、今後とも藤井さんをみなさんで生暖かく見守っていただければ幸いです。そして、今後のCNET Japanをさらに期待してください。付け加えておくと、いまの私は完全にノータッチです。

 いずれにせよ、刺激的な経験ばかりでしたが、CNET Japanの編集長を12年も続けたのは、いくらなんでも単純に長かったと思います。体制作りや人材の成長寄与、モチベーションの生み出し方といったことはいまでも苦手意識が強いところではありますが、くよくよしてもしょうがないので、年配の唯一の武器である“経験則”を押しつけずに、うまく活用していきます。「で、おまえいま何やってんの?」というのは別の機会に書きます。

 2回にわたって私の経験に沿って、朝日インタラクティブがどのように歩んできたかを、ざっくり説明してきました。なんとなく伝わりましたかね。あくまでも私の視線から見てきたことなので、異論反論のある方もいるかも知れませんが、ご容赦ください。今後は、私以外の社内メンバーもnoteで発信していくので、ぜひそちらを楽しんでください。

 そいじゃあ、また。

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