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今村翔吾「海を破る者」 #014

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 六郎は大きく息を吸い込むと、令那を見据えて凜と訊いた。
「訊いてよいか」
 令那は頷くと、微かに唇を震わせながら話し始めた。
「るうし」という国が蒙古軍の侵略を受けて滅んだのは約四十年前のこと。令那が生まれる遥か以前のことである。るうしは頑強に抵抗したことで、人口が半分になるほどの虐殺を受けたという。
 以前聞いたように、令那の父は小さな領地を持つ貴族であった。多くの貴族たちが蒙古に最後まで抗うと主張する中、早くから服属することを説いていた。
「父は優しい人だった。多くの人が血を流すのが嫌だったのだと思う」
 令那はれいろうな声で続けた。
 見せしめのために殺すといえども、町を廃してしまえば蒙古としても利がない。そこで服属を説いていた貴族たちだけを残し、彼らにるうしの統治と復興を課した。令那の父もその中の一人であったという訳だ。
「私が生まれた時、すでに暮らしは貧しかった」
 令那の父は自らの財をなげうってでも、困窮する者を助けるような人で、貴族といえども質素な暮らしを送っていたらしい。そこまでしても、蒙古のもとで働く父は、陰では売国奴としてさげすまれていたという。
 令那に物心がついた頃の話である。ある時、父が侮蔑されていることを耳に挟み、何故優しい父がこのような仕打ちを受けねばならないのかと迫ったことがあるらしい。
 ——私が何と言われようと構わない。
 父はそう言った後、にこりと笑い掛け、
 ——でも、ありがとう。
 と、令那の頭を優しく撫でてくれたという。
 転機がやってきたのは令那が十四歳の夏のことである。隣国で蒙古への反乱が起こり、るうしの貴族たちも一斉に蜂起したのである。蒙古の統治下で、女がめにされるようなことが多発していた。くだれば蒙古人と同じように扱うはずが、るうしが抵抗を示したことで軽んじられていたのであろう。これに、るうしの貴族の怒りが爆発したのだ。
「その時は父も……」
 貴族の九割が蜂起していた。止めれば蒙古の味方をしたとして仲間内から殺されかねない状況で、令那の父も武器を手に取ることを遂に決心した。
 蒙古軍の進撃は旋風の如き速さであった。まだ戦支度の途中というのに、すぐそばに迫る蒙古軍に、男たちは慌てて出ていき、女子どもは町から逃がされた。
 ——令那、必ず迎えにいく。
 送り出したその時も、父は決して笑みを絶やさなかったという。そして、それが父と交わした最後の言葉になった。
 貴族連合軍はあっという間に粉砕されてしまったのだ。すでに貴族の半数が滅び、兵の数も激減していたこともあろうが、それ以上に蒙古軍の強さが尋常ではなかったのである。
 令那は馬車に乗せられて、荒れた道をひたすらに逃げた。北は完全にじゅうりんされた。西は蒙古に徐々に侵略されていると聞く。南には抵抗している国もあるが、いつまでつか解らない。だが東はどうか。蒙古の領地は広大だが、その向こうにまだ国があるのではないか。一切解らないということは、望みがあるということ。大人たちは一度南へと逃げ、そこから遥か東域へ逃げるということを考えていたという。
「るうしを出て二日後の夕方、私たちは追いつかれた……」
 蒙古軍の騎兵がじんを上げて近づいて来た。このままでは確実に追いつかれると、馬車は近くに見えた森へと向かった。森ならば馬は使えないためである。
 森の入り口に差し掛かる直前、蒙古兵に追いつかれた。蒙古兵が車輪にやりを投げ込むと、馬車はつんのめるようにして横転したという。
 ——令那! 逃げて!
 母は馬車の下敷きになり、うめくように叫んだ。母ともまた、この時以来一度たりとも会っていないらしい。令那は同じ年ごろの娘たちと共に森へと逃げ込んだ。
「その中に、アルマがいたの」
 同じく零落した貴族の娘で、令那よりも一つ下と歳も近く、親しい間柄であったらしい。皆が散り散りになる中、令那はアルマと共に手を取り合って逃げた。
 だが蒙古兵は馬を降り、森に分け入ってなおも追いかけて来る。時折、遠くから泣き叫ぶ声の後、けたたましい悲鳴が聞こえた。
 あたりが暗くなれば進むことも出来ない。令那たちは茂みの中に身を潜め、じっと朝が来るのを待った。二人ともに微睡まどろみかけたその時である。令那が気配を感じて目を覚ますと、複数のかがりが近づいて来ていた。
 アルマも目を覚ましたようだ。その時、令那は恐怖から躰を動かし、茂みに音を立ててしまった。蒙古兵はそれを聞き逃さず、仲間たちと何やら話しながら近づいて来る。十間、五間、三間に迫り、蒙古兵の息遣いまで聞こえるようになった時、令那は己でも思わぬ行動に出た。
「アルマを……」
 令那は眼前でかがんで震えるアルマの背を、
 ——とん。
 と、押したのである。
 何が起こったのか解らずに、せんりつしたアルマの顔が草葉の隙間から見えた。
 アルマは何かを言おうとしていた。だがそれより早く、蒙古兵の槍がアルマの胸を貫いていた。

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