消えてしまった風景

 「あり得た風景」、「その時にしか見えない景色」のようなものが、必ず時代の空気に存在している。例えば、2000年代は、どこか日本の中で、永久に完結していけるような、妙な楽観的なムードがあったし、私個人で言うと、白いカーテンがなびく様を見ながら、畳の上からそれを眺めるような牧歌的な風景が、少年時代にはあった。私しかあり得ないかもしれないが、2000年代と言えば、白いカーテンと畳である。時代の空気とは、そんなものだろう。
 俺の大学時代。狂ったように、BARや居酒屋を回っていた時期があった。大してコミュニケーション能力もないのに、お店に入るだけでカッコいい人間になれたかのような気分に浸っていたのである。今思えば、若気の至りで、世間知らず故の行動力であったかもなと、振り返る気持ちであるが、しかし、そのような時でしか感じないものも確かにあるのである。
 例えば、俺は道頓堀(ミナミ)に飲みに行くとき、ミナミのどこかで、必ずBARや居酒屋のちいさな片隅に、椎名林檎がいるかのような気がしていた。また、それに付随するような怪しげな美女や人物に、どこかで出会えるような、そんなミステリアスな空気を肌に感じていた。だが今では、そんな人物がいたところで、コミュニケーション能力が無ければ、お近付きになれないのであるし、近づけたところで、会話が続く試しもない。そもそも、ソイツの社会性はどうなんだ?どうにもならぬ、停滞感を思わせるのである。
 これは一般的には、大人になった、というやつなのかもしれない。だが、27歳になって、街を再び放浪するたびに、ガッカリさせられるのである。果たして、俺の中のアイツラは、一体どこに行ってしまったんだ?椎名林檎や、マフィアや、怪しげな美女や、暗黒街に渦巻く陰謀は?夜の街への幻想は、要するに慣れと想像力の限界と、コミュニケーション能力のどうしようもなさから、木っ端微塵に砕かれてしまったのであるが、これは俺の中では、よくある一過性の体験ではないのだ。大学時代の2010年代の後半に、確かに存在した空気、風景なのである。
 消えてしまった風景は二度と戻らない。今ある空気は今しか味わえない。何だかありきたりな言葉しか思い浮かばないな。そんなにカッコつけたいわけでもないのだが、文章の最後にはどこかオチをつけなきゃいけない気持ちにさせられるのだ…。要するに、俺は過去に戻りたくないが、その時代の空気を味わいたいのである。イイトコ取りで、思い出を味わいだけなのだ。そうだ。そんなに深い意味なんてナイヨ。

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