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教育は「自分もそうだった」でやってはいけないもの

 こんにちは!子どもと共に未来を育む 共育コンサルタントの金澤です。


 保護者と子どものことについて話している時に、

「これは子どもにとって幸せではないと思う」

 と保護者が仰ることがあります。このセリフに対して私は結構敏感で、

「子どもにとって幸せではない、というのはどういうことですか?」

 と必ず聞くようにしています。私の経験上、ここからの展開はほぼ100%同じです。何かというと、説明として出てくることは保護者自身の体験談や価値観であり、それが本当に子どもの幸せにならないかどうかを、保護者が子どもに確認したことはありません。

 つまり「私はこうだった、こうすればよかったと後悔している・こうしてよかったと思っている。だから我が子はこうすべきだ」という論理展開なのですね。

 ここで考えたいのは、「だから」です。この二つの文、本当に「だから」で繋がっていいのでしょうか?

 だって、保護者の人生と子どもの人生って違いますよね。生きてきた環境も違えば時代も違うし、この後の人生の長さも違う。親子関係にある、というのは重要な繋がりですが、だからといって親の経験で子どもの人生や考え方が決めつけられていいのでしょうか。

 あえて強烈な言い方で言えば、保護者が生きてきた時代と子どもがこれから生きていく時代は違うのだから、全て子ども本人が判断して決めるべきだということです。

 保護者が「あいつはこういう性格だからこれは辞めておいた方がいい」「この子はこれが得意だからこういうことをやったらいい」と感じることは、子どもの一部分しか表していません。子どものことを一番知っている他人は親である、ということは否定しませんが、「知っている割合」は多くてもせいぜい30〜40%だというのが私の考え方です(中学生以上なら)。

 だからこそ、意見はしてもいいし、その意見が的を射ている可能性も他人よりははるかに高いけれど、決めつけるのは違うでしょ、と思います。


 私は「コーチ」を職業にしているので、一方的に私から伝えるのではなく、クライアントが考えていることや奥に秘めているものをお聴きし、一緒に考えるのが仕事です。

 ですが、時には私から割と強烈な質問をすることもあります。クライアントが言っていることが矛盾していたり、どういうことかわからなかったり、明らかにおかしいのではないかと感じた時に、

「それはどういうことですか?」「先ほどの話と違うように聞こえるのですが、どういう意味でしょうか?」と問います。

 文字で書くとちょっと尖っていますが、お互いの信頼関係を前提に、柔らかく問えば、自分自身でどういうことかを考えてくれるようになります。

 これをお読みいただいている保護者の皆様、皆様にとってこういうことを聞いてくれる存在はいますか?自分一人で頑張る必要はありません。いろんな人に相談をして、一緒に子どもの幸せを築いていってほしいと思います。

 もっと子どもの価値観をフラットに聞けるような、そんな保護者になってほしいですし、私はそのためにどうすればいいかをサポートさせていただくことができます。もしご興味がありましたら、ホームページから「コーチング」のお問い合わせをくださいね。お待ちしています!

ブログ村


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