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「学歴フィルタ」は日本で間違って使われている

 こんばんは!子どもと共に未来を育む 共育コンサルタントの金澤です。

 

 こんな記事を見つけて読んでたんですけども。

「早稲田でTOEIC900点」という情報のみでその学生を採りたくなりますかね?ぶっちゃけならないと思うんですよ。この記事にも書いてありますが、実際話してみれば、普段からいろんなことを考えている学生かそうじゃないかは簡単にわかります。

 でも現実、この学生が特殊なわけではなく、こんな学生はおそらくゴロゴロいるでしょう。学生にとっても企業にとっても不幸な状況が起きていますし、こんな状況で10年後の日本はどうなってしまうんだろうと思うわけです。

 こういう学生がなんで生まれるかというと、私は三つの方向性があると思っていて、

・企業は「どの大学を出ているのか」という情報を頼りにしているのに、その大学で卒業するために学生がやらなければならないことが全く期待に沿っていない、大学側の問題

・学生が在学中あるいは入学前に、自分の進路を考える機会を作らない、あるいは非常に遅い(活動スタートと同時)、考えようとしていない、など学生側の問題

・企業がある程度「足切り」をして採用コストを下げるために、どの大学出身なのかを見て対応を分けることにより、どの大学を出るかが就職に大きな影響を与えるという風潮を作り出している企業側の問題。(「学歴フィルター ツイッター」でググると生々しい事例がたくさん出てきます)

 結局三者三様で関係者、誰が悪いというわけではない、と思います。


 で、根本的な問題点はどこにあるかというと、私は大学側だと考えます

 よく「日本は学歴社会で」と言われますが、アメリカなんかは日本以上にはっきりした学歴社会です。大学以上と中卒以下で平均値を取ると、年収の格差は約2.7倍違います(日本だと約1.8倍、文部科学省調べデータより)。

 でもアメリカの学歴社会は、「大学に入るのは簡単で、出るのが大変」という仕組みに支えられており、その大学を卒業したということは4年間相当努力し、相応の知識やスキルを身につけた保証を明確に得られるわけです。だからこそ、学歴に信用が付いてくるし、その学歴と人物評価がズレにくくなる(ズレがなくなるわけではない)。

 他方日本は、「大学に入るのが難しく、出るのは簡単」な仕組み。そうすると一流と呼ばれる大学に入ったとしても、4年間できる限り楽をして卒業することもできます(大学に通ったことがある人は実感できるはずです)。卒業したという実績を見るだけでは、4年間頑張った人なのか頑張ってない人なのかの区別がつかないのです。

 はっきり言って、4年前に偏差値60の大学に入って遊びまくった学生と、4年前に偏差値40の大学に入って大学だけでなく様々頑張った学生とでは、間違いなく社会人としての価値は逆転しています(※大学「内」で頑張るだけだと逆転しないかもしれません)。

 だからこそ冒頭の記事のような勘違いしてしまって就職活動で気づく、というケースが起きるのです。

 余談ですが、UCバークレーにキャンパスツアーをしに子どもたちを連れていったとき、同大学卒のガイドさん曰く、「テスト時期は勉強のしすぎでノイローゼになって寮から飛び降りる人が出てくる」ということを平然と言ってました。日本でそんなことが起きたのは聞いたことがありません。いかに友達のノートを借りるか、どんな問題が出るか情報を仕入れるかに腐心しています。この差はどこから来るのでしょうか。

 そういう大学側のカリキュラムや仕組みの甘さが、いろんなところで歪みを生じさせているように思います。

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 かと言って、大学が厳しく指導し評価する、という改革を行うだけでは、現状では学生が付いてこ図、あの大学大変らしいよという悪評が立ち、生徒が来なくなって経営が成り立たない・・・という図式になるのは明らか。本気で変えようとするならば、先ほど挙げた三者の改革を、全て同時に取り組むしかないのですよね。しかしそれもまた困難を極めるのは明確。

 そこで、一番上流にある企業側が、学歴フィルターの捉え方を変えるべきだと思います。例えば学歴のみによる足切りをせず、他の要素(学生時代の活動実績とかGPAとか)を総合的に判断する書類選考にする。AO入試的な選考方法を設定する。一つは卒業大学がどこかを一切問わず、大学までに何をしてきた人なのかのみで選考を行う。そうやって選び方を変えていくべきです。

 選び方が変われば、時間はかかれど大学での学生の振る舞いは変わります。これは入試が変われば学生の勉強が変わるのと同じです(同様に教育関係の私企業も変わります)。ここから始めるのが良いと思います。

 デメリットは基礎学力の有無判定、採用コスト、採用担当による基準の上下などがパッと浮かびますが、この辺りは正直余裕で対応できます。何よりも大変なのは、基準がわかりづらくなることによる学生からの敬遠傾向が出てくることです。

 いかに企業側が変えたとしても、学生側にそれに対応する状況が出来上がっていなければ、ただ学生がその企業を受けなくなるだけのこと。だからこそ、企業がいっぺんに採用の形を変えるか、超有名企業からどんどん変えるか、ということが必要になります。そういう意味で新経団連の動きとか、新卒一斉採用の解消とかいう議論は非常に期待できます。

 

 何か一つ制度を変えようとすると、必ずと言っていいほど抵抗勢力が出てきます。人間である以上、変化が起きるとそこに止まろうとするのが当たり前で、抵抗勢力が出てくるのも当然。だからこそ、「みんながいっぺんに変わる」ことと、「10年後の未来を見据えること」をベースに、勇気を持って変化に踏み出すことが大切だと思います。


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