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佐那河内くらし探訪 第1回「上水道」

まえがき
私は、2013年に30年以上勤めた東京の会社を辞め、2年後の2015年6月に初めて徳島県唯一の「村」佐那河内を訪れた。それから移住が決まって約6年の時間が流れた。ここまでの数行でも読む方は「?」がいくつも頭にうかんだと思うが、それを書き始めると今回のテーマから大きく逸れてしまうのでまた別の機会にとっておくことにする。
 このノートを書こう思った動機は、果たして自分がこの村を選んで正解だったのかその答え合わせをするタイミングだと思ったからである。移住した当初から「この村のどこが良くて移住したのか」という質問を何度もされた。多分他の移住者の方も同じ経験をしているだろう。昔から村に住んでいる人たちにとっては、当たり前の環境の中にどんな魅力があるのかさっぱり理解できない。だから、移住してくる人間自身が余程の物好きか変わり者であるというのが、自分を納得させるための答だったと思う。なぜなら普通の人たちが感じる魅力があるならばもっと移住者は増えていいだろうし、若者が村を離れることは無くなるはずだから。
戦後昭和30年ごろから始まった集団就職で、若者が都会に集まり暮らし始めてはや半世紀以上、いま逆に都会から地方に移住する流れは徐々にではあるが増加傾向にある。どの地方でも移住者を増やそうと、自分の地域の良さをPRすることに躍起になっている。多少の差はあるにせよ内容は似たり寄ったりである。私の答え合わせを読んで疑問がすっきり解消するわけではないし答えに異論もあるかとは思うが、これを読んでむかしから村に住んでいる人にもなにか新しい気づきがあればこれ幸いである。


佐那河内くらし探訪 第1回「上水道」

目次
1.テーマ選定について
2.神秘的な水
3.村の水道の良さ
<解説> 佐那河内の簡易水道と地域水道


1.テーマ選定について
私が村に移住を決めた理由は曖昧だったと思う。直観を信じたというか、対応してくれた役場のYさんの話が面白かったことが決め手になったような気がする。もちろん私がやりたかったことの基本的な要件は満たしていたが、徳島の他の市町村でも要件を満たすところはあっただろうし、高知や和歌山でも探せば見つかったかもしれない。そういう意味では「ご縁」があったのである。残念ながらそれまでは佐那河内村のPRを目にしたことは一度もなく名前を聞いたこともなかった。
この村に移住された方で、佐那河内村がPRしている「スダチ」、「さくらももイチゴ」、「大河原高原」などを、移住の理由にあげる人にまだお目にかかったことはない。当たり前ではあるが観光で村に立ち寄るのと暮らすということはまったく意味が違うのである。
毎日の暮らしの中に村の良さがなければ、移住し村に馴染んで定着していくことはない。
なので「暮らし探訪」というタイトルをつけた。たまたま出会った佐那河内村という自治体に移住者が定着し村の生活に馴染んでいく。一人の移住者からみた「魅力」を書いていきたいと思う。
「上水道」を第1回のテーマとするが、第3回までは水に関連するテーマを書く予定である。これはこの村で6年間暮らしてみて気が付いた村の魅力の一つである。実は調べていく内にその重要度はますます高まっていった。
このような文章を書くのは初体験なので、果たして面白い読み物になるのか大変不安ではあるが、少々お付き合いいただきたい。

2.神秘的な水
佐那河内の水の話に入る前に、なぜ私が「水」を大切に思い、神秘的に感じているかを理解していただくために少し説明しておきたい。
成人男性の体重の約60%は水分でできている。新生児では約80%。人は水さえあれば食べ物なしで1か月近く生きることができるが、水なしでは2~3日で生命の維持は困難となる。という話は誰でも聞いたことがあるだろう。
現時点では、地球以外に太陽系の惑星の中に液体の水があり生物の生存が確認されている惑星はない。固体、液体、気体の3体になる物質も水だけである。凍結すると容積が増えるのも水だけのようである。このように考えると、水というのはとても身近なものであるのにまだ十分に解明されていない不思議な物質である。
宇宙までロケットを飛ばせるようになった現在でも、水は工業化できていない。海水をろ過して真水を作るプラントはあっても、安く大量に水を作ることは未だできない。日本は資源が無い国だという話をずっと聞かされてきた。しかし、石油や石炭、天然ガスウランなどの資源はないが、地球上の植物や生物にとって最も大切な資源である「水」は豊かな国である。
日本が位置する東南アジアは、太平洋で温められた海水から気体となった水が、モンスーン(季節風)に乗って比較的高い山々に恵まれた日本に雨をもたらし、緑の豊かな国になっている。世界では、10億人とも15億人ともいわれる数の人たちが安全な水を飲むことができないと言われている。水は世界中に均等に降るわけでない(年間雨量 エジプト20ミリ、パリ600ミリ、東京1500ミリ)ことを考えると、私たちはとても有り難い地域に暮らしていると言える。
「バーチャルウォーター」という言葉を聞いたことがある人もいると思うが、日本は食料自給率が40%を切り、小麦粉、大豆、トウモロコシから牛肉まで、育成するために大量の水を必要とする食物を海外から輸入している。「バーチャルウォーター」とは、もし日本で同じ作物を作ったと仮定したときに必要となる水の量である。食料の輸入は形を変えて水を輸入していることと同じと考えることができる。世界の水は約70%が農業、約20%が工業、残りの10%が生活用水に使われている。水の豊かな国が更に水を輸入して世界の水不足を促進していることは理解しておく必要があると思う。そして私たちの日々のくらし方でこの状況を変えていくことができる。スーパーで毎日の買い物のときに、「海外産より国内産」、「国内産より地元産」、「野菜時々肉」等など。誰でも少し意識するだけで貢献できる身近な問題である。

3.村の水道の良さ

この文章を書いている今も、先日の台風15号の影響で静岡県静岡市清水区の断水が続いているというニュースが聞こえてきた。一週間以上、お風呂やトイレ、飲み水などに不自由する生活が続いている。原因は、水道水を取水している川の取水口に、台風の影響で増水した川に流れ込んだがれきや流木などが詰まったことが原因である。
蛇口をひねればいつでも飲めるきれいな水が出てくることは、実は当たり前のことではなく有り難いことである。と書いても水の苦労をしらないで育った人たち(私も含め)には残念ながらうまく伝わらない。なので、他の市町村や今回の清水市の断水の例などと比較しながら、佐那河内村の水道の良さを説明していきたい。
 
1)佐那河内村の主な水源は、伏流水と湧き水であること
 
 大きな都市では、水道水の大半は川の水を取り込んでいる。今回の静岡市清水区も同様である。川の水は表流水(地表を流れる水という意味)と呼ばれ、当然ながらゴミや流木、土砂などが多く交じる。大きな川になればなるほど、その源流から河口まで多くの県や市町村を通り、工場や生活排水なども流れ込む。またそれを浄化するために大規模な設備やエネルギーを必要とする。清水町の取水口に詰まったがれきや流木も上流の他の地域のゴミかもしれない。表流水というのは、そういうリスクがあるということを知っておく必要がある。
佐那河内村は、府能地区を除けば伏流水と湧き水が主な水源であり、台風などの災害があっても、ゴミやがれきが混ざることはない。伏流水や湧き水は、ゴミが混ざらないので無濾過で消毒だけで配水できるので、システムも簡単でコスト面でも安く抑えられる。
 
2)佐那河内村は水源が複数に分かれている
 
 大きな都市はひとつの河川を主な水源としているところが多い。その水源にもし何か事故があれば、静岡県の清水町のようにたちまち断水してしまう。佐那河内の簡易水道は3つの水源と、そのほかに地域水道の水源が3つに分かれているためリスクが分散できる。
 
3)佐那河内村の配水に使うエネルギーが少ない
 
 山間地にある佐那河内村は、各家庭に送る水は自然流下(高いところから低いところに流れる力)を最大限利用している。これは平野部にある大都市とは違い配水するための機器やエネルギー(ポンプやそれを動かす電気)を多く必要としない。費用面でも、リスク面でも有利である。

4)佐那河内村の水道は、豊富な水量を維持している
 
佐那河内村に水道ができて以来、渇水で出水制限をした記録はない。佐那河内村をとりまく山々は自然のダムであり長い年月をかけて水を貯めてくれている。
 
5)佐那河内村の水は美味い
 
私が毎日飲んでいる水は地域の水道で山の湧き水を小石や炭でろ過した無消毒の水であるが、都市部の水道などと比べてとても美味しいと思う。
 
 
満足度5 ★★★★★ (5段階評価)
 
水は自分たちの力で生み出すことはできない自然の恵みだが、恵まれた立地条件に加え、地域の水道を今まで自らが維持管理し続けてきたことが村の財産であり、先人への感謝と共に後世に必ず引き継いでいかなければならないものだと思う。
「水の自治」と呼ぶべきか、源流から家庭の蛇口まで自分たちの手で賄える。水を汚すも生かすも自分たち次第。未だに自分たちで管理している水道が存続していることはこれからの時代にこれほど心強いものはない。水に苦労した地域だからこそ水のありがたみが身に染みている人たちがいる。これから転居や家を構えることを検討している人にはまず水道を調べることをお勧めする。

<解説> 佐那河内の簡易水道と地域水道

佐那河内村には、村が管理運営いる「簡易水道事業」(給水人口が101人以上、5000人以下の水道事業)と、地域で管理運営する水道(水道法非適用の100人以下の小規模水道及び飲用井戸)がある。
佐那河内の「簡易水道」は、約95%の供給率(神山町約70%、上勝町64%)で村の大半の人は簡易水道を使って生活している。(契約軒数836 R4年3月末時点)
 
佐那河内の簡易水道の歴史について、村史の記述を一部抜粋して引用する。
 
「明治25~26ごろまでは、井戸のある家は一部落(三〇戸ぐらい)に僅か二軒ほどで、その他の水の便利なところでは竹樋で谷水を引き、桶や瓶に水を溜めて利用し、不便なところでは水汲みをしていた。その後文化が進むに従い、井戸を掘る家が次第に増加し、昭和三〇年ごろまでには井戸水を利用する家がかなり多くなった。しかしその位置によっては水に困る家も多く、谷などの湧き水のあるところに水をもとめて日常の必要は水を担桶(ニナイ)に汲んで担いで帰るのが主婦の日課の一つとなっていて、一か所の水を数戸が共同利用していた例も多かった。 <中略> 主婦の過重労働をなくし衛生的な水を飲むためには、簡易水道をこしらえることが必要だとの結論を得て、昭和三十年度に本村最初の根郷簡易水道が誕生した。」
 
1.簡易水道について
役場の産業環境課課長の橘さんと岩野さんにお話を伺った。
 
(1)水源と取水の仕組み
・佐那河内の簡易水道には府能地区と中央宮前地区と嵯峨地区の3か所の水源がある。府能は地表を流れる川の水(表流水)を堰き止めて取水している。中央宮前は伏流水(河川敷の表流水が比較的浅いところにある砂礫層に浸透し砂礫層の中を流れている水)を、浅井戸を掘ってポンプでくみ上げている。嵯峨地区は湧き水をそのまま取水している。
・府能地区の給水エリアは北山地区の中間まで、中央宮前の水源は大宮神社まで、大宮神社から下地区と嵯峨地区は、嵯峨の水源の水を利用している。一番多くの戸数をカバーしているのは嵯峨の水源となる。
・取水制限や渇水の記録が残っていない。

(2)浄水の仕組み
・府能は表流水を堰き止めて取水するため、ろ過装置を通して不純物を取り除くが、残りの2つの水源は伏流水や湧き水のくみ上げのためろ過の必要はなく、消毒剤を投入し大腸菌の発生を抑える。これは水道法で定められた(蛇口での残留塩素が遊離塩素の場合0.1㎎/以上)基準があり、日本全国どこも同じ基準が適用されている。
 
(3)配水の仕組み
・府能地域はポンプを使わずすべて自然流下で各家庭まで水を届けている。
・中央宮前の水源から取水した水は、配水池より高い家庭のみ途中加圧ポンプで加圧して一旦標高の高い配水池に水を貯めて、そこから自然流下で各戸に水を送っている。そのほかの家庭には自然流下だけで水を配水している。
・嵯峨は取水池の標高が高いので自然流下だけで最遠12km先の一之瀬の家庭まで水を送れるが、嵯峨川をはさんで起伏の大きい地域には、途中3か所の加圧ポンプで水を上げて配水している。
 
(4)維持管理
・ポンプやろ過装置、水道管などは適切なタイミングでメンテナンスや交換をしなければならない。
・佐那河内村も日本全国と同じく「水道管の老朽化」という問題を抱えている。(佐那河内村の水道管の総延長距離は、58.4Km)ポンプや他の機械と違って水道管がやっかいなのは、道路に埋設してあるため交換に時間がかかり長い時間断水しなければならない。不便を最小限にするために水の使用が少ない夜中の作業となる。
・また、2021年冬のように凍結などによる漏水も問題になる。漏水箇所を特定することが難しく、専門の調査士が「音」をたよりに箇所を特定するのでこれもまた夜中の作業となる。
毎日水道を使えるように維持管理していく仕事は、目立たないが役場で最も大切な仕事の一つである。
 
(5)お金の話
・佐那河内村の簡易水道の料金は、20㎥まで2330円が基本料金で、その後1㎥ごとに140円となっている。(参考他都道府県市町村の基本料金:徳島市2437円、大阪市2112円、東京都2475円R3年水道年鑑 水道産業新聞より抜粋)
・佐那河内の利用者が支払う水道料金は年間約3300万円で、特別会計で管理されており水道以外の用途に流用することはできない。年間の維持管理費はほぼこれで賄えているが、これとは別に公債(過去にかかった水道事業の費用の返済)と人件費を合わせると、年間の水道にかかる年間予算は約一億7000万円にものぼる。
・今後人口減少による収入の減少が予想され、水道管の老朽化による交換も発生する。また、令和6年から公営企業会計(詳しく知りたい方は調べてください)の導入が義務付けられると水道代への影響もでる可能性はあるので経過を注意して見守っていきたい。

2.地域で管理する水道について
 
・現在地域で管理している水道は次の3つである。
「和協水道」10世帯、「奥野々水道」9世帯、「はめ塚水道」14世帯
・いずれの地域の水道も湧き水を取水し、砂礫と炭などによる簡易的な浄水の仕組みで消毒はせず各戸に自然流下で配水している。維持管理は各地域の水道組合が行っている。
・私が住んでいる地域の「はめ塚水道」は、事業にかかわった方々にお話しを聞くことができたので、私が見聞した内容を紹介する。
 
昭和56年に「はめ塚水道」は完成した。その2年前の昭和54年から工事をスタート。集落の住人は女性や子供たちも含めほぼ全員が仕事の合間(主に週末)に工事に参加した。
水源から集落までの高低差は、地図でおおよその見当をつけると200m以上。水道管の水源から最初の配水池まで3㎞以上と言われている。(実際はもっと長く感じたが…)その山中に水道管を埋設した。私が最初に水道管の埋められたルートを歩いた時は(もちろん道などついて無いが)、これだけの工事を集落の人たちだけで完成させたということが信じられないほど人が立ち入らない自然のままの山の斜面に見事に水道管は埋設されていた。
元々は村の簡易水道事業に参加する予定だったが、水圧が不足し集落の家がある場所まで水を揚げることができなかったため、独自に水源を探し地域で水道事業を行うこととなった。集落の前野さんが冬に山に入って猟をしていたとき水源を発見した。冬場で当たり一面が雪だったが、その場所だけ雪が溶けていたので水が湧いていることに気が付いたそうだ。
それまでは集落の人々は水に相当苦労をしていた。もともと水脈が豊富にある地域ではなかったらしく、田んぼに引く用水が途中で漏れて地中に染み込んだその水を井戸でくみ上げ生活用水として使っていた。(結果的に土が水をろ過してくれていた)そのため田んぼに水を入れない冬でも、井戸が枯れるので水を流し続けなければならなかった。井戸のない家は、沢の水を樋で引いて来たり、沢から水を汲んで甕にためたりして生活していた。だから水はとても大切に使っていた。例えば、米のとぎ汁を捨てずにとっておき牛の飲み水に使い、風呂も今のように毎日は入らず、夏はたらいにお湯を沸かしていれて行水をした。前の人の垢をすくって次の人が入り、最後の人は冷めたお湯で身体を洗ったそうだ。それぐらい水に苦労をしたので集落の水道事業の完成には強い思いが込められていた。
お金の面では、県から「生活改善」という名目で300万円の無利子融資を受けることができたので、それまで集落の各戸から出資をしてもらった8万円のお金を一旦返し、工事を行った。借りたお金の返済は各戸が毎月3,000円ずつ負担し約7年間で完済した。
私はこの「はめ塚水道」に毎日お世話になっている。毎年水源の掃除に行くが、高齢化で作業を継続することが難しくなっていくだろう。この貴重な水をできるかぎり守っていきたいと思っている。

<参考文献>
・とことんやさしい水道の本 第2版 日刊工業新聞
・どうなってるの?日本と世界の水事情 株アットワークス
・水と日本人 岩波書店
・世界の<水道民営化>の実態 株作品社
・佐那河内村史
・世界と日本の水事情 水道産業新聞社
 
<参考URL>
・大阪市水道局
・徳島市上下水道局
・神戸市水道局
 
<映画>
・Water
 
<取材協力>
・佐那河内村 産業環境課
・神山町 建設課
・上勝町 建設課
・徳島市 水道局 第十堰浄水場
・はめ塚水道組合

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