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自分の背中は見えない。

物心ついたときからずっとインターネットが大好きだけど、このところずっとネットストーキングやTwitter等でのオンラインハラスメントに苦しんでいることを告白したい。匿名での悪口、Twitterでの迷惑行為や執拗なリプライ、DMでの嫌がらせ等、あげればキリがない。

言うまでもなくこういったハラスメントは頭に来るし、集中力を削がれることもある。誰にも言えずもやもやした気持ちになったり、相談しても「見なければいいよ」と言われて釈然としない気持ちが積もる。でも、そうする他ないのだ、と思っていた。

それがつい最近、ハッと思わされる出来事があった。今日は、その体験について、書ける範囲で振り返ってみる。おそらくこれを読んでいる人の中で、(特に)実名で発信をしていたり声を上げていたりする人が身の回りにいるのなら、その人はわたしと同じように、嫌な体験を心に押し込めて戦っている可能性が高い。そんな人たちの体験を代弁したい気持ちも込めて筆を執ったので、このnoteを読んでなにか気づきがあると嬉しい。

これまでのハラスメント体験、そこからのラーニング

まずはわたしの経験からシェアしよう。これまでの私は、「わたしより酷いことをされている人もいるし・・・」とか、「被害者ぶってると思われたくない」とか、様々な葛藤からあまり明かしてこなかった。でも、後述する"体験を共有することの意味と可能性"を今は信じているので、赤裸々に書いてみている。

これまでオンライン上でいろんなことを言われてきた。

まだ本格的に声を上げ始める前から、匿名で「性格悪い」「調子に乗るな」と届いたり、私が出演したyoutube動画や記事に知らない人から「バカ女」「勘違い女さん」などと書かれてきた。(ひどいミソジニー=女性嫌悪だ。)そして、声を上げ始めてからは一層本格化している。悪質なマンスプレイニングや言いがかりは日常茶飯事で、それに加えて少し声を上げればすぐに、見下すような、吐き捨てるような言葉が返ってきた。打てば響くようなミソジニー!

当然のように傷ついた私は、数人にこの経験を打ち明けている。根底には助けを求める気持ちがあった。でも、傷ついた尊厳を取り返したいという願いもむなしく、解決につながったことは基本的になかった。

同じような経験をしたことがある身近な友人の数人以外、反応は同じだった。

気にするな。無視するしかない。どうしようもない、仕方ない。そういうものだ。気にするだけ無駄。

そう言われ続けた結果。気にしている自分が悪い、あれこれ言われるようなことをした私も私だ、或いはそう思う人が大多数なんだ、という気持ちに支配されるようになった。何を言われてもどれだけ深く傷ついても気にしないフリをして、そつなく振る舞おうとしたし、それを気にするのは悪、こちらの負け、無かったことにするのが大人としての振る舞いであり相手に「勝つ」唯一の方法、相手より抜きに出る方法だと思うようになった。

念の為に追記しておくと、無論いつも心地よいメッセージばかりに囲まれることはできない点は分かっている。マンスプレイニングでも、一方的な説教でもヘイトでもなく、リスペクトを持って議論できるなら歓迎だ。しかし、受け取り手にしてみれば、ある批判的なコメントXが、議論の可能性に開かれたものなのか、はたまた一方的に見下してやろうという気持ちで吐き捨てられた悪意なのかは、多くの場合火を見るよりも明らかである。

n<2からのアンラーニング

そうして、どれだけ嫌な思いをしても一人で抱えるようになってしまった。これまでこういう側面を明かしてこなかったから、「気にしないタイプなのかと思っていた」と言われることもあるが、私は結構感受性豊かなタイプなので普通に傷ついているし、ひとりで泣きながら消したメッセージがいくつあるかわからない。(これを書きながら、昔の自分が可哀想でまた泣けてきそうだ。)

そんな時、ある出来事が起こった。

詳細は割愛するが、私のとても身近なところで、ある人(A氏とする)がわたしと同じようにオンラインで怖い体験に見舞われた。私はそれを相談された時、「めっちゃ嫌ですよね〜、わかります!でも、どうしようもないんですよね〜」と、自分がそれまで受けてきたのと基本的には全く同じ対応をした。一応、「ブロックしたほうが良いですよ」とか、そういう事後対応についてはコメントしたけれど、根底には「仕方ない、そういうものだ」という姿勢があった。わたしだって、そういうものだと思わされてきたから。嫌がらせが当たり前の状況に過剰適応し、同じ構図を再生産した。

しかしA氏は折れることなく「絶対に記録残しておかないと何かあったときに本当にまずいし、何かあってからでは遅い。まずログ残して・・(続」とすぐにアクションに移っていた。

その様子を見て、「そうだよね、やっぱりこれを放置するのはおかしいよね」と思うと同時に、わたしはこうやって一緒に動いてくれる人が欲しかったんだ、と気づいた。(泣きそうだった。)

もちろん、結束すれば一気に解決するという問題ではないが、まず相談できる環境や聞いてくれる人がいる心理的安全性に、想像以上に大きな意味があることを再確認した。自分の苦しみをシェアするもそれをないがしろにされたと感じる経験は、もとの苦しみと同程度にその人を傷つけると思う。もちろん、ただ切り捨てるためではなく、相手のことを思いやり、「あなたのような人がそんなことに時間を使うなんて勿体ないし、相手とは同じ土俵にもいないんだから気にしないほうが良いよ」という親切心が背景にあるのは理解できるが、被害者はそれでは全く救われないのだ。全く!忘れろ、気にするなというのは、わたしからすると相手側を責めないという意味で相手側に立つことのようにさえ思えた。傷つき死んでしまった心の一部が、これでは浮かばれないのだ。

また、このようなハラスメントは女性が非対称に被害を被りやすい。インターネットは、ミソジニーやマイクロアグレッション、(無意識)バイアスに端を発する様々な言説にあふれている。昨年の記事だが、NGOプラン・インターナショナルが15~24歳の女性を対象にオンラインハラスメントに関して実施した調査では、自分自身や知り合いの女性に対してひぼう中傷や嫌がらせが「とても頻繁」「頻繁」に起こると答える人が51%に達することを明らかにした。

言われる側からすると、怒りとともに、大きな恐怖がある。特にわたしのように実名で所属も公開していれば、オフィスで待ち伏せされれば一発だ。何かあったときに、絶対に勝てないと思う。(わたしは頻繁にジムに通って鍛えているけど、何かあったときには勝てないだろうという無力感は拭えない。)そこに平然と横たわるのは、”殺されるかもしれない”という恐怖である。

A氏とのやりとりで、理不尽には耐えるのではなく変えるために働きかける側でいたいということを思い出した。体験をシェアし合い、みんなの言葉として語られるとき、それは単なる経験の吐露から、システマティックなハラスメントの解決に向けた連帯の作業へと変わる。

スタートアップ業界とオンラインハラスメント

上記のように日本の若年女性の約半数以上がオンライン上でのハラスメントを経験している社会はそれ自体大きな問題だが、特にスタートアップ業界を始め、実名や個人に関する情報を一定公開して活動する人が多い業界では、このトピックに対して、より前のめりなアクションが必要だと思う。取り掛かりやすいところでは会社単位・業界単位での窓口の解説やレポーティングの仕組み等ができるだろうし、難易度は上がるが、被害者側が泣き寝入りする方が低コストになってしまう現行の法制度およびシステムの見直しも必ず必要だろう。様々なレイヤーからのアプローチが求められる。(ここについては現状勉強中だが、もし「こういう取り組み/事例があるよ!」「こんなコミュニティがあるよ!」等あればぜひ教えてほしい。)

私の知る限りでも多くの人が、泣き寝入りせざるを得ず、なすすべもなく声を上げることや発信を辞めてしまった。私自身も、今はTwitterのDMを閉じざるを得なくなっている。(仕事柄、DM経由での繋がりが仕事に直結する部分があり、かなり悔しい。)このような事後対応的な行動はそれ自体悪いというわけではなくすぐに取れるアクションとしてはとても正しいが、被害者だけがやむを得ず対応を迫られ加害者にはお咎めなし、という現状は変えなければならない。傍観は現状追認だ。

私は、この業界に女性を含め現状マイノリティとされる人々が増えてほしいと強く思っているし、そのためのロールモデルにいつか自分もなれればいいなと、とささやかに願っている。さらに、そこには多様なロールモデル像があるべきだとか、そういった類のことをいつも考えているはずなのに、そういった多様なあり方が表出し、安心して働いたり活躍したりできる環境作りには配慮できていなかったと深く反省した。(ロールモデルの重要性については下記のnoteを参照されたい。)

本来改善されるべき状況に対して過剰適応してしまうことを私はあれほど嫌っていたのに、気づかぬうちにそうなってしまうのだな・・と思い、自分の姿勢や背中が周りの人にどう映っているのかは、なかなか分からないものだと痛感した。自分の背中はなかなか見えない。

こちらの記事では、ダイバーシティおよびインクルージョンの推進のために、メンター、スポンサー、アライの役割と必要性を説いている。オンラインハラスメントへの対応に関しては、マイノリティや被害者の「アライ」であるために何が出来るのかに繋がってくると考えている。一朝一夕には解決しない課題だが、多くの人が直面していおり尊厳に関わる問題だからこそ、解決に向けたアクションを探りたい。

次回のnoteでは、当事者として何が出来るか、第三者は何が出来るのかに迫る。

ワーイありがとうございます!