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女風料理人リウ、恥ずかしながら童貞です 第1話 クレオパトラの夢 2

 目的のホテルはもうすぐそこだ。狭い路地を曲がれば赤い風車の建物が見えてきた。看板には「ホテル・モンマルトル」と書いてある。日本の色街にフランスの風俗街の象徴「ムーラン・ルージュ」を模した建物が建っている。いかにも日本的、いかにも昭和な光景は、まるでバブル期のあだ花のようで、日本の好景気の時代から不景気が今だ続くこの街の30年をそっと見つめているようで、ぼくは案外気に入っているのだ。

 慣れた手つきでボタンを押してエレベーターを待つ間に口臭のチェックと、忘れ物のバッグの中身をチェックする。頼まれていた大事な物はちゃんと入っている。今日のためにわざわざ昨夜から準備して、午前中一杯かかって作ったものだ。そうしている間にエレベーターが着いて僕は吸いこまれるように入ると、ドアが閉まって青紫のライトに包まれる。エレベーターが上昇している束の間、自然にありえない色彩感覚が日常から非日常の世界へいざなってくれる。

 
 ドアをノックしてしばらくすると、見覚えのある女性がおそるおそるドアを開いた。
 「ミカ、久しぶり」
 「さぁ、早く入って、人が来るかも」
 僕は素早く中に入ってドアをロックした。ミカに最後に逢ったのは昨年末で三か月程会っていない。チャコールグレイのパンツスーツに白いブラウスのミカは三か月分長くなった髪を後ろで縛っていた。
 「髪伸びたね、似合ってるよ。髪を解いてみて」
 ぼくはそう言うと、ミカは照れた表情でソファーに腰かけた。長くなった髪を解くと、柔らかい髪がゆっくりと落ちてゆき、セミロングのボブが揺れている。

 「ありがとう、しばらく見ないうちにリウも髪が伸びたね、2ブロック似合ってるよ。早くここに座って」
 ミカは手招きをすると、腰をずらして僕のスペースを作ってくれた。

 横に座った僕は彼女を見つめた。40代だが20代後半と言われも疑う人はいないだろう。笑うと目元に皺が目立ちはじめているが、僕はそんなことは気にしたことがない。20歳ほど年齢が離れているが、女は女だ。彼女が艶々と黒光りする髪をかき上げると、ふんわりと甘いシャンプーの香りが漂ってきた。ミカは若い頃から恋愛に手練れた女性で、こういう行為の意味を解って男性の反応を楽しんでいるところがある。自分の魅力や若々しさが20代の僕にどう見えているのか気になってしょうがないみたいだ。挑発的になったり媚びを売りまくったり、ほんとしょうもないことをやってるなと思って見ているが。そういうところは案外嫌いじゃない。

 トートバッグからタッパーを取り出してテーブルにおいた。
 「ミカのためにちゃんと作ってきましたよ」
 取り出したタッパーのフタをゆっくりと開けると、直径20センチほどの半円のタルトが入っていた。キッシュ・ロレーヌ。フランスのロレーヌ地方の郷土料理で、タルト生地の上に生クリームと卵黄、おろしたグリュイエールチーズで作られた生地に、ブロックのベーコンが入っている。小食の女性ならこれとサラダがあれば十分な食事になる。

 「リウすごいじゃない、ほんとにフレンチとか作れるんだ。びっくり」
  タッパーの中を覗き込んだミカの表情が輝いた。
 「当たり前でしょ、誰に向かってそんなこと言ってるの。伊達にこの春に専門学校を卒業してないよ。こうみえても成績はブッチギリの一番」

 卒業のために今年の一月二月はこの仕事をしないで、卒業試験に集中していた。次の仕事のイメージがわいて、思い切って挑戦してみたくなったので、所属していた女性用風俗の店も辞めてしまった。売り上げの10パーセントを占める売れっ子が辞めるとあってずいぶんと引き止られはしたが、ぼくの代わりになりそうな奴を数人紹介してスパッと辞めた。
 「どこだっけ、ビストロでキッシュを食べたら、ぼくのほうが上手に作れるってタンカをきったよね」
 「あぁ、ここの坂を下っていったところにあったビストロのことね、年末に潰れて今はお好み焼きの店になってる。あんなの出してたらつぶれるよ」
 「そのときに、いつかミカに僕の作ったキッシュを食べさせてあげたいって言ってくれたじゃない?」
 「そうだっけ、記憶にないなぁ・・・」
 「またしらばっくれちゃって」
 細くて柔らかい指がそっとぼくの頬を包んだ。 

 「ミカが僕の料理を食べたいって言ってくれなかったら、独立なんて出来なかった。感謝してるよ、ありがとう」
 ぼくはミカの手を強く握り返して深々と礼をした。ミカの温もりがぼくの手に伝わった。
 「私は気まぐれで、あなたの料理を食べたいって言っただけで、女風とフードのデリバリーを組み合わせた事業を考えたのはあなたでしょ?」
 「ま、そうだけどね、じつはぼく、食品衛生責任者の資格を持ってないので、このキッシュを食べてミカが食中毒になっても、ぼくは責任がとれなのであしからず」
 ミカは苦笑して僕を見つめている。
 「どうせ風俗営業の許可も取ってないんでしょ?立ちん坊の女の子と同じね。なにかあったときは私に連絡して。国会議員にもツテはあるから、なんでももみ消してあげるわよ」
 「ありがとう。公園前で立ちん坊をしている女の子達と、ぼくは基本的に同じだが、二つ違うところがある」
 「二つ違うところ?何がちがうの?」
 「一つ目は、あの子達はカップラーメンを作ることぐらいしかできないが、ぼくはちゃんと料理が作れる」
 「もう一つは?」
 「あの子達はベッドに横たわって、おっさん相手にマグロになるしかできないが、ぼくにはミカのような美しくパワーを持っている女性を満足させることができる。ぼくにとってお前ははいつも最高の女だ」
 ぼくは彼女の耳元でささやくと、強くを抱きしめた。腕の中で彼女はとろけきった表情を見せるかと思ったが、予想に反していたずらっ子のような笑顔をしてこう言った。

「いやん、嬉しい。女風セラピスト界のヘレン・ケラーにそんな甘いことを言われたら、私みたいなセックスレスの熟女は、パンツがびしょ濡れになっちゃう」 
 
「あのね、ヘレン・ケラーは見えない、聞こえない、話せないの三重苦で、ぼくは勃たない、入れたことないのたった二つの軽症です。重病人と一緒にしないでいただけますサリバン先生?]

 「勃ったことも入れたこともないあなたに、私の潮を舐めさせてwaterの意味を理解させてあげるわよ」

  僕等は腹を抱えて大笑いをした。乾いた笑い声は、薄っぺらいラブホの壁を突き抜けて、小春日和の青空にに消えていった。
 


 

 
 

 
 


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