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ねじめ正一「落合博満 変人の研究」読了。〜摘読日記_64

ささっと読了。

2008年初版


落合ウォッチャーを自認する、ねじめ正一さんの落合博満論。

後書きに、「落合博満という変人の蓋を開ける」試みとしての本、とあった。

江夏豊や豊田泰光、赤瀬川原平との対談も収録されている。

落合博満を面白がる人との対談を梃子に、変人の蓋を開けてみようと試みた、ということらしい。

本が書かれた時期としては、落合さんが中日の監督を務めた8年間のうち、5年過ぎたあたりのもの。

どこの球団も監督としては起用しないだろうと言われた落合さんが、中日を53年ぶりの日本一に導くなど、やってみたら名監督じゃないか、という評価ができつつあった頃。

本の帯にこうある。

 落合博満という名前は食べ物で言えばホヤのようなものであって、あるいはナマコのようなものであって、はじめて食べるときは勇気が要る。その勇気があるものだけが、落合の歯応え、落合の美味さ、落合の苦味のある滋味を味わうことができるのである。

著者は確かに、落合さんの滋味を味わい尽くしている。

私は残念ながら、落合博満の選手生活の晩年、巨人時代にはテレビ中継で落合のプレイを見ていたが、ちょうどそのあたり(1995年前後)が巨人ファン・プロ野球ファンとしての区切りだった。

なので、ということもないのだけど、著者のように落合博満を面白がる、また、落合を通じてプロ野球を楽しむ、ということはできなかった。

著者のような熱でプロ野球を楽しんだり嘆いたりできたら、プロ野球ファンを続けられたのかもしれない、などと思う。

なお、「変人」と評しつつも、実は世間にはまともな人間が変と思われてしまう風潮があるので、実は落合博満こそもっともまともである、というようなことも書かれている。

落合さんは、日本の学生野球界の理不尽な上下関係や暴力に馴染めず、高校ではろくに練習に参加せず映画館通いに明け暮れ、試合の時だけは実力を買われて出場していたそう。

東洋大学でもやはり旧態依然の野球部の体質に馴染めず、退学して一度は郷里の秋田でプロボウラーを目指していた時期もあったそう。

大学退学後、東芝府中に勤めるまでに、ふらふらした生活を送り、お金がなくてなんと日比谷公園で野宿していた時期もあったという。

このあたりのエピソードは変人だけど、よく考えると、理不尽な野球部体質や、それに見て見ぬ振りをする世間の方が、まともではないと、確かに言える。

特に近年、昔当たり前だった理不尽な上下関係や暴力の方こそまともじゃない、という価値観が広まってきている。

落合さんの著書や、落合博満について書かれた本は何冊か読んだが、合理的な考え方をする人で、実は理解しづらい人ではないと、今では思う。

あと、ねじめ正一さんが書いている通り、言葉の選び方が適切で、読んでいてストンと腹に落ちる気がする。

以下、以前読んだ「嫌われた監督」も面白かった。リンクを最後に載せておきます。


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