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この世代はすごかった。〜競馬歴_'97

「競馬」というものを認識した出来事(ダービー記念切手を手に入れた)から、競馬にハマっていった時期(95〜96年にかけて)は、先々月に記事を書いた。

今日は、そのつづきとして、1997年あたりの思い出の馬や、レースについて思い出しながら書いてみたい。(極力、自分の記憶だけに頼ってまずは書いてみます)。




これはもう、フロックでもなんでもなぁぁぁいぃ!!

1997年といえば、このレースに尽きると言ってもいいぐらい、思い出のレース。

サニーブライアンが二冠を達成した第64回日本ダービー。

「これはもう、フロックでもなんでもなぁぁぁいぃ!!」は、フジテレビ三宅アナの名実況。前年の「音速の末脚が炸裂するっ!!」もすごくよかった。どちらも鳥肌ものです。(↑JRAの映像は違う実況ですが。)

このダービーは馬券も取れたので、本当に良い思い出。何度も頭の中で反芻してしまうし、youtubeで見直すことも多い。
初めて生でダービーを観戦したのもこの年だったと思う。

馬券的には、事前に井崎脩五郎さんだったと思うが、皐月賞を4角先頭から押し切って何馬身以上で勝った馬はダービーでも成績がかなり良い、みたいなデータを語っており、それを信じて、サニーブライアン本命、相手本戦は直前で除外となってしまったシルクライトニングとした。

ただ、2着となったシルクジャスティスにも流していたので取れた。

この年はまさに「群雄割拠」・「混戦模様」というやつで、1番人気メジロブライトで絶対という感じではなかった。鞍上松永幹、というのも、差し脚質のブライトには合わないイメージが強かった。


サニーブライアンと大西直宏、というコンビもよかった。

この馬にはこの騎手、そして騎手はリーディング上位ではなく、その馬とのコンビで花開く、という感じがよかった。(メイショウサムソンと石橋守、とか。)

最近は、そういうコンビが少なくなったと思う。(こういうことを言うようになった、Yes, アイアムザオヤジ。)


何気にすごい世代。

サニーブライアンは残念ながらダービーが最後のレースとなってしまい、三冠への挑戦はできなかったが、仮に挑戦できたとしても、マチカネフクキタルには敵わなかったのでは?と思ってしまう。

そのぐらい、菊花賞馬となったマチカネフクキタルの秋の充実ぶりは凄かった。(Number誌の20世紀最強馬投票で、森調教師がフクキタルに1票を投じたのも分かる気がする。)

そうだ、そういえば私はダービーでもマチカネフクキタルに密かに期待していたが、結果は7着か8着ぐらいだったと思う。


そしてなんと言ってもサイレンススズカもこの世代。

3歳時(当時の表記は4歳)は潜在能力と走りのバランスがまだうまく取れていなかった感じだった。暴走気味の負け方が多かったように記憶している。
ただ、類まれなバネの柔らかさを、弥生賞のゲート潜り事件で披露してみせていた。

4歳時に武豊とのコンビで素晴らしいポテンシャルを余すことなく開放

グラスワンダー、エルコンドルパサーを下した毎日王冠は生で観戦した。

まさに、”影をも踏ませぬ”見事な勝利。

つづく天皇賞・秋の悲劇は今思い出しても胸が痛む。1998年、十一月一日。日付まではっきり思い出せるレースはそうそうない。


そしてステイゴールドもこの世代。

この馬も3歳時はようやく菊花賞に間に合ったほどで、晩成だった。

サイレンススズカ唯一のG1勝利となった98年の宝塚記念で2着に入るなど、4歳以降はG1でたびたび馬券圏内に入着したが、いつも勝ちきれない。

結局国内ではG2勝利止まりだったが、引退レースとなった香港ヴァーズで初のG1勝利。鞍上は武豊だった。ちょうど50戦目だったと思うので、息の長い活躍を見せてくれ、ファンが多かった。

他にも、ダービー2着のシルクジャスティスは3歳でエアグルーヴ、マーベラスサンデーを撃破しての有馬記念勝利。藤田伸二とのコンビもよかった。

ダービー1番人気で3着に終わったメジロブライトは、古馬になって天皇賞・春に勝利。ひとつ年下のスペシャルウィークやグラスワンダーと名勝負を繰り広げた。特に4歳春の充実ぶり・新パートナーの河内洋との息がぴったりだった。


短距離路線もすごかった。

3歳でマイルチャンピオンシップを勝ち、古馬になってからもほぼ完璧な成績を残したタイキシャトルもこの世代。

NHKマイルカップを勝ったシーキングザパールもこの世代。

この2頭の98年・夏のヨーロッパ遠征は日本競馬の金字塔。シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞、タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞に立て続けに勝利。

個人的によく覚えているのが、97年のNHKマイルカップの前哨戦で、当時は府中1400mで行われていたニュージーランドトロフィーシーキングザパールのキレキレの末脚を生で観戦した。残り200mからの伸びがすごい。
VTRを見返すと、勝つのはわかっているのに、だいじょうぶか?と思ってしまう。(youtubeで見られます)。


牝馬路線は「キョウエイマーチvsメジロドーベル」。

牡馬クラシックが群雄割拠だったのに対して、牝馬クラシックは適距離短めのキョウエイマーチと、適距離長めのメジロドーベルという強い2頭の対立軸があった。

松永幹鞍上のキョウエイマーチが桜花賞を取り、オークスと秋華賞はドーベルが取り、このうち桜花賞と秋華賞はこの2頭のワンツーだったのだから、本当に良いライバル関係だった。

メジロドーベルは若き吉田豊が鞍上を務めていた。このコンビもよかった。

今、弟の吉田隼人がソダシと名コンビになっているが、隼人は今年37歳というのだから、兄貴はずいぶん若い時にいい馬を任せられたものだと思う。

メジロドーベルは大久保洋吉厩舎の馬で、吉田豊は所属騎手だったと思うので、師匠・弟子の絆が強かったのだろう。

最近は、こういう師弟コンビも少なくなった。(Yes, アイアムザオヤジ, again)。


他にも、'97世代にはいい脇役が揃っていた。超レアのランニングフリー産駒のランニングゲイルとか。今で言うなら、ペルーサの本当に数少ない産駒で一時は米遠征の計画もあったラペルーズのような感じかな。

あとは、メジロブライトやメジロドーベルと同じメジロライアン産駒のエアガッツ。佐藤哲騎手と朝日杯を勝ったマイネルマックス。朝日杯はやや強引な乗り方で勝利をもぎ取ったように記憶している。


この年を上回る興奮をまだ見ていない気がする、天皇賞・春

田原成貴の鬼気迫る騎乗、マヤノトップガンの直線での伸びは4角から放たれた弓矢のようだった、、

馬券は本命ロイヤルタッチが競争中止、嗚呼。

サクラローレル、マーベラスサンデー、そしてマヤノトップガン。3強対決のガチンコ決着。

この天皇賞・春の興奮を超えるレースをいつか見られることを願う。


競馬ハマりたてで多いに肩入れしている分を差し引いても、1997年は面白い年だった。記事が長くなり過ぎるので割愛したが、秋の天皇賞でバブルガムフェローをねじ伏せたエアグルーヴもカッコ良かった
エアグルーヴは偉い馬だった、秋の古馬王道ローテーションに皆勤して国内の同年代(バブルなど)、年下(シルクジャスティスとか)、年上(マーベラスとかジェニュインとか)、海外の強敵(ピルサドスキーなど)を相手に全て好勝負。年度代表馬選出、文句なしだった。



「キョウエイマーチの挑戦の旅」('24 4/29追記)


競馬コラムサイト・ウマフリ様に、キョウエイマーチについてのコラムを寄稿しました。もしよろしければこちらもご一読いただけましたら嬉しいです。


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