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伝説の騎手・福永洋一の競馬観、人生観が垣間見れた〜和田絵衣子「天才騎手 福永洋一」を読んだ。

トップ画像は、武豊の父、武邦彦元騎手・元調教師、福永祐一の父、福永洋一。
最近読んだ、こちらの本に載っていたものです。

1978年発行

1978年発行なので、落馬事故のあった1979年以前に発行された本。
デビュー3年目の1970年から事故に遭う前年の1978年まで、9年間連続でリーディングジョッキーに輝いた福永洋一。
その洋一氏自身が約10年間にわたるジョッキー生活を振り返り、その競馬観および人生観について語った貴重な言葉の数々、盟友である柴田政人元騎手・元調教師との対談も収められている。

貴重な写真も数々見ることができた。

福永洋一は8番人気ハードバージを駆って見事に勝利。


”福永洋一本”は何冊か読み、このnoteでも紹介したが、いずれも落馬事故の後に作られた本だったので、洋一氏自身の言葉は少なめだった。
この本は、随所に洋一氏の言葉が散りばめられているのが貴重。

例えば、このエピソード。
ジョッキー生活2年目、福永洋一は不注意により負担重量不足で騎乗停止処分を受ける。処分期間中、師匠の武田文吾に、夏の函館競馬に向けた馬の調教を兼ねた管理をするよう言いつけられる。
仕事が終わり、函館山に登ると、すぐ下に津軽海峡が見渡せたという。
以下が洋一氏の言葉。

一人で海を眺めていると、ふうっと高知にいた頃を思い出します。いつも腹をすかしていた子供の頃が何となく浮かんできて、生活のために魚やエビを売りにいったこと、親切な人もいれば、不親切な人もいて、貧乏人の子供と嘲られて過ごした小学生の頃のことを思い出して涙が出かかったこともあります。

39pより引用


洋一氏は子供時代の貧しかった頃を思い出し、昔と比べたら「騎乗停止なんかでクヨクヨしていられるか!」と気持ちを奮い立たせる。
そして、この函館での仕事が契機となり、シーズンが変わり秋競馬となってから調教をつけていた馬のその後のレースでの騎乗を任せられるようになり、騎乗回数が増え、翌年以降の大ブレークに繋がっていく。


こんな資料も。
騎手生活の減量について語られる部分もあり、洋一氏の食事メニューが紹介されていた。

おかずは割りに豊富にも思えるが、パンや白飯などの炭水化物は相当抑えていたようだ。
ただ、洋一氏自身はこの頃はまだそこまで減量には苦しんでいなかったようだ。

上記メニューよりもキツそうに感じたのが、著者が取材した競馬学校の夕食のメニューで、この本にも紹介されていた。ある日の夕食は、

・カップラーメン
・サラダ
・コカコーラ
・バナナ

だけという。
これは、”食欲に勝つ”という精神的な強さを鍛える意味もあるということで、育ち盛りの高校生に相当する年齢の少年には確かに相当な鍛錬となると思う。


騎手商売の危険さについて洋一氏が語っている部分もあった。

実際、騎手というのは不安定な商売です。一見カッコいいようでも、危険と隣り合わせだし、ある意味で、命のやりとり的な面もあります。

174pより引用

柴田政人氏との対談では、レース中の落馬の話題にも触れ、柴田氏が落馬があった時のレースは「みんな洋一が勝ってるんだもんね。」と軽口でふざけている。
対談は1978年に行われたもので、洋一氏の落馬事故の前年。
いくら危険を意識し回避しようとしたところで、事故が起きるときは起きてしまう。洋一氏の言葉通り、まさに”危険と隣り合わせ”の商売なのだと改めて思う。


貴重な言葉、写真が数々収められているこの本、最後に馬事公苑時代の15歳の洋一氏の写真を。

こちら、45歳になった、息子・祐一。

やはり似ている。


以前、洋一氏の本を紹介した記事はこちらをどうぞ。


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