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いつか、巨人・松井監督は、誕生するのだろうか?〜松井秀喜「エキストラ・イニングス 僕の野球論」を読んだ。

先日、伊集院静著「逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方」を読み、記事を書いた。

この本を読む前は、人間・松井秀喜について知らなかったことが多く、その考えや価値観も知らなかったが、読後は、なんとなく、なぜ松井が日本に戻ってこないのか、巨人の監督をやらないのか、わかるような気になった。

そして、松井本人の言葉で書かれた本も読みたくなり、この本を手に取った。

エキストラ・イニングス表紙

「エキストラ・イニングス(延長戦の意味)」

2015年2月発行と、もう七年前の本だが、松井本人の著書としては最新のもののようだ。

帯に、「監督論からイチローとジーターまで」とある。

関心があったのは、”松井は巨人の監督として戻ってくる気はあるのだろうか?”という疑問について、何かしら、暗示でもいい、松井の考えが書かれているのか。

しかし、それはやはり、本に書くような話ではないので、ここで「監督論」というのは、松井が選手時代に仕えた長嶋茂雄、原辰徳、ジョー・トーリなどについて、どんな人物だったか、どんな影響を受けたか、ということが中心となっている。

特に、長嶋監督については、監督自身が13年ぶりに現場に復帰した直後の1992年のドラフトで、四球団(巨人、阪神、中日、ダイエー)競合の中から交渉権のくじを引き当てられた縁、また、有名な「四番1000日計画」として直々に指導を受けた絆があり、特に関係が深い。出会いから、素振り練習で指導を受けた日々、選手引退の報告をした際のエピソードなど、詳しく書いている。


巨人の監督として、という話はいったん置くとして、監督・コーチとして現場に戻ることについて、最後の方で書いていることを引用する。

野球とどう関わっていくかというのは、現時点でまだ決めかねている部分です。(中略)まず自分は何をしたいのか、何ができるのか、ということ。やるなら全身全霊を傾けてやりたい。その辺を徐々に見つけなくてはいけないです。
もちろんコーチや監督という立場でベンチに入って勝負というのは素晴らしいことですが、本当にそこに自分の気持ちを全部傾けられるかを考えなくてはいけない。選手としては全てを野球に注げたけれど、果たして立場が変わって同じことができるかは、経験がないのでまだ分からないです。
軸足を下ろすなら確かな軸足として下ろしたいです。野球とどういう関わり方をしていくのか。そこをまだ今は探しているところです。

こう書いていた、つまり、「野球の現場への復帰」についてこう考えていたのが、2013年〜2015年頃で、この時期にヤンキースGM特別アドバイザーに就任し、主に2Aや3Aの選手を指導し、GMに直接リポートする仕事を始めたようだ。

また、並行して、慈善事業や、子供向けの野球教室にも携わり、多忙な毎日を過ごし現在に至っているらしい。

これらすべて、居を構えるニューヨークでの活動であり、何より、まだ小さい長男・次男もいる。となれば、たとえコーチ・監督に復帰するにしても、ヤンキースのコーチ、というのが当面は現実的な気がする。

そして、”自分の気持ちを全部傾ける”と言っていることから、ある程度、子どもの理解力が高まった頃、子どもが、「お父さんは野球の仕事に全力で取り組んでいるんだな。(だから前に比べて遊んでくれることが減ったのかな)。」と理解してくれる頃、ではないだろうか。

次男が2017年1月生まれらしいので、十歳ぐらいには理解力が十分になるとして、2027年頃、だと、松井は53歳の年。

巨人、日本に戻ってくるとしても、ヤンキースなどメジャーでコーチ経験を積み、60歳を過ぎてからなのかもしれない。ただ、その時になれば、今現役の坂本あたりが監督にふさわしい年齢になっている。

・・と、考えるほど、やはり巨人の監督として戻ってくるのは現実的と思えなくなってくる。


前に、「野球ファンだった」という記事を書き、もはや自分は野球ファンではないんだろうな、巨人ファンでもないんだろうな、という気持ちは変わらない。

ただ、松井秀喜のことは、どうやら好きみたい。

松井・巨人監督が誕生したら、子どもの頃に熱狂したほどではないしても、巨人ファンに戻れるかも?・・という気持ちが生まれてきた。


気長に待ちたいと思っている。

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