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『ラヴ・ストリート』【12】

エアマシンガンの誘惑
今野佑香は、ドアが開いた瞬間、思いがけずに馨が出てきたので赤面した。
「あっ・・・・・・」
「また会いに来たんだ」
 憧れの聡美の息子は無愛想な顔をしたまま呆れたように言った。不愉快ともとれる冷た目だった。
 佑香はあの日から毎日のように聡美に会いに来ていた。さすがに図々しいのではとためらうが、聡美が手作りのおやつを作って待っていると言ってくれるので、嬉しくて足が向いてしまう。
「あの・・・・・・お母さんは?」
 まさか、馨がいるとは思わなかった。
「歯医者に行ってる。急だったから」
「そう」
「朝、ドアの縁に顔面ぶつけて、前歯を折ったんだ」
「えっ? 前歯を!」
「ぼーっとしてたんだって」 
 馨がバカにしたように笑ったので、佑香は頬をぷーっと膨らませた。女心をわかっていない。聡美はどれほどショックだっただろう。 
「じゃあ、私、帰る」
「入って待っていれば? もうすぐ帰ってくるよ」
「親が留守でいない家に入っちゃいけないって先生が」
「外見と違って真面目なんだな」
「こんな外見にしたくてしてるわけじゃないし」
 佑香は、無意識に茶色の髪を触った。
「じゃあ、ちょっと待ってて。クッキーがあるから」
「いいよ。そんな」
「昨日、がんばって作ったみたいだから、もらってやれば」
「でも」
「可愛い袋に詰めてリボンまでしてあるけど」
 佑香は、聡美がクッキーを袋に詰めている姿を想像した。口角が上がった。
「じゃあ、もらう」
「待ってて」
 馨は佑香を玄関に残しリビングへと入っていった。佑香は待っている間、玄関に飾られている黄色い鳥の絵や、きれいな器に盛られたいい香りのポプリを眺めていた。馨はなかなか出てこない。耳を澄ますとテレビゲームの音がしている。
「まだ?」
 佑香は遠慮がちに呼んだ。リビングから馨の声がした。
「ゲームの途中で手が離せない。取りに来て」
「えっ?」
 人をさんざん待たせておいてゲームをしているなんて。佑香はむっとして靴を脱ぎ、家の中へ入っていった。家に入るのは三度目だった。相変わらずきれいに片付いているリビングは、大きな窓から日が入り夏のように暑かった。
 馨は大画面のテレビに向かい、サバイバルのようなゲームをしていた。佑香の方には目もくれず、ひたすら出てくる敵を銃で撃っている。
 佑香はきょろきょろと部屋の中を見回した。食卓テーブルの上に、赤いリボンがついた花柄の袋が置かれていた。
「じゃあ、このクッキーもらっていくから。お母さんにありがとうって伝えてね」
「君が来るようになって、お母さん、楽しそうだよ」
「えっ?」
「きっと、女の子が欲しかったんじゃないかな」
 佑香はそれに対して、どう答えていいのか分からなかった。馨の指は激しくコントローラーのボタンを連打している。
「お母さん、ああ見えて何の楽しみもない人だから」
「冷たい言い方をするんだね」
「見ててイライラするんだ」
「あんな素敵なお母さんなのに? 美人で、お上品で、ファッションセンスがよくて、お菓子作りが上手で、お花が好きで、優しくて」
「それはどうも」
「うちなんかひどいよ。全く逆」
「どんなふうに」
「下品だし、ケバいし、信じられないようなファッションだし、ご飯は買ってきた総菜やお弁当だし、パチンコばかりしてるし」
 給食代未納のことはさすがに言えなかった。
「それはそれで、気楽でいいんじゃない?」
「どこが?」
「だって自由じゃん。僕はお母さんといると息が詰まる」
「可愛がられて育つと贅沢だね」
「苦手なんだよね。あの外面のいいところ。がんばりすぎるところ。優等生なところ」
「自慢にしか聞こえない」
 佑香は、馨のわがままに、また、ぷーっと膨れた。
「僕のために我慢してるところ」
「我慢?」
「前、テスト会場に車で送ってもらった時、見ちゃったんだよね。お父さんが女の人と歩いているの」
「えっ、それって浮気?」
「お母さん慌てて、いろんな話題を次から次へと喋りまくって、一生懸命ごまかしてた。泣くのも我慢してた」 
 佑香はそれを聞いて泣きそうになった。ショックだった。聡美のあの優しい笑顔の裏にそんな悲しい顔があったとは。
「ものすごく幸せそうなお母さんに見えた」
「人は見かけじゃ分からないってこと。あれほど完璧にいい母親を演じられたら、結構プレッシャーだよ。まあ、たまに前歯を折ったりとか、失敗もするけどね」
 馨はボタンをさらに激しく連打し、ゲームの敵を倒した。そして、ふーっと息をついた。
「いちばん嫌いなのは、オルゴールを大切にしているところ」
「オルゴール?」
「出窓のところにあるだろう」
 佑香は出窓に視線を向けた。そこにはきらきらと輝くクリスタル製のオルゴールが置かれていた。佑香はオルゴールに引きつけられるように近づき手に取った。土台の部分を何度も回しネジを巻くと、きれいなメロディが流れてきた。クリスタルのメリーゴーラウンドが音楽に合わせてゆっくりと回転する。内蔵されている電飾がブルー、グリーン、オレンジと混ざり合いながら色を変えた。それはクリスタルの馬と、たてがみのゴールドに美しく反射している。その様子がメロディと実によく合っていた。
「これ何ていう曲かな」
「知らない」
 佑香はオルゴールが止まると、曲名が書かれていないかと底の部分を見てみた。
「S&Kって、書いてある」
「それ名前。お母さん、聡美だからS」
「そうかあ。Kは馨くんのKだね」
「まあ、そういうことになってる」
 佑香はもう一度だけオルゴールを聴くと、なごり惜しそうに出窓に置いた。何で母親がオルゴールを大切にしていることを、馨は嫌がるのだろうと不思議に思った。
 馨はまた新たな敵を撃ち続けている。表情一つ変えない。
「そのゲームって楽しい?」
「ああ」
「ただピストルで撃つだけなのに?」
「スカッとするよ」
 佑香は馨の横顔に寂しさを感じた。自分と同じ孤独感が漂っていた。
「友達と遊んだりしないの?」
「住んでるところがあちこちにバラけてて遠いから、放課後に遊ぶことはない。塾もあるし。今日もこれから英会話」
「大変だね」
 馨の手が止まった。突然、佑香の方を向いた。
「親に頭にくることが多いんだろう?」
「ほとんど毎日。いつも」
「だったら、撃っちゃえば?」
「えっ?」
「あげるよ。取って置きのやつ」
「取って置き?」
「ああ。最高にスカッとする」
 馨はコントローラーを床に放ると、廊下に出て階段を駆け上がった。佑香は訳も分からずリビングに立っていた。数分後、馨がマシンガンを手に入ってきた。そして佑香に銃口を向けた。佑香はリアクションすることもなく、ため息混じりに言った。
「おもちゃかあ」
「おもちゃでいいんだよ。エアマシンガン。子供には子供のストレス解消法」
「ふーん」
「って、前に本屋で会った高校生が教えてくれた」
「高校生?」
「万引きしようとしたのを止めてくれたんだ」
「万引き⁉」
「ああ。そんなことでストレスを発散しないで、子供はエアガンでも撃っていた方がいいって、買ってくれたんだ」
「その高校生、命の恩人だね」
 それを聞いて、馨がふっと笑った。
「そういうのは命の恩人って言わないよ。ただの恩人」
 佑香は、馨が笑ったのを初めて見た。
「そうだね」
 佑香も笑い返した。おそらく馨も、佑香が笑ったのを初めて見た。
「これが弾。BB弾っていってプラスチックだから痛くないよ。親にムカついたら、背後からダダダダダって撃ってやればいい。ちょっと怒られるだけで済むよ。いや、君のうちなら笑って済みそうだ」
「親を撃ったことがあるの?」
「どうかな」
 馨は意味深長な目つきで佑香を見ると、今度は銃口をオルゴールに向けた。

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