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『ラヴ・ストリート』【18】

ジップ・ガン・ブギー
南城光輝は、ウォッチタワーに寝そべり、エリからのメールを何度も読み返していた。一字一句間違えないで言える。寂しい感情と一緒に脳が勝手に記憶してしまった。そのためか、頭の中で繰り返す度に寂しさが込み上げてくる。
学校の用事が忙しくて、しばらく会えそうにないみたい。ごめんね。 
 今までこんなことはなかった。一体、何があったのだろう。光輝は携帯電話にたった一枚だけ保存されているエリの写真を見た。出会った時のエリだ。胸元まであるロングヘアーを三つ編みにしている。これを見る度に罪の意識を感じる。エリは光輝のために髪を切ってしまった。そして、あの日から、ずっとショートカットのままだ。エリ本人には言えないので、ぽつりと写真に呟いてみる。
「長い方が似合うね」
 この写真が撮られたのは一年前、こぐま公園のベンチだ。そこに着くまでは計画どおり、全てが順調に進んでいた。そこで強盗犯は消える。エリート高校生は何事もなく帰途につく。
 エリに出会う一週間前、光輝は寝る前の空腹を満たそうと、二階の部屋を出て階段を下りていった。その途中、継母である舞の声がリビングから聞こえた。
「赤ちゃんができたみたい」
「本当か?」
 父は驚いた感じの声だった。光輝も驚いた。そんなことを考えてもみなかった。
「検査薬で陽性が出たから」
「早いうちに病院へ行った方がいい」
 舞は、すぐに返事をしなかった。
「産まない方がいいかなあと思って」
「どういうことだ?」
「光輝くんとも、随分と年が離れちゃうし」
「堕ろすのか」
「だって、光輝くんにお母さんて認めてもらえてないのに、弟妹なんかできたら・・・」
 光輝は、その先を聞かずに急いで階段を引き返すとウォッチタワーに上った。
 僕のせい? 僕がアイツを母親として認めないから、大切な命を抹殺する?
 光輝は喉が張り裂けてしまうほどの大声で叫びたかった。髪の毛を全て掻きむしり、肉体を切り刻みたい衝動に駆られた。自分を痛めつけようとするのを止めるのに必死で、狭い床を転げ回った。 
 僕は陰の殺人者? どこまでアイツは、僕を追い込むつもりなんだ!
 光輝は内なる怒りに体も精神も耐えきれなくなっていた。その時、ラジオから、Tレックスの『ジップ・ガン・ブギー』が流れた。光輝はジップ・ガン(手製ピストル)という単語にインスピレーションを感じ、近くにあったモデルガンを手に取った。
 デザートイーグル44マグナム。これだ!  
 エアガンは6ミリのプラスチック弾を発射できるが、モデルガンはそもそも弾を発射する機能がない。その分、質感、重量、デザインともに実物に近く、価格も高い。ちなみに曲のジップ・ガンは発射機能を備えた手製のピストルで、外見も銃の形をしているとは限らない。エアガンとモデルガンが玩具なら、ジップ・ガンはれっきとした凶器で作ることも所持することも違法である。
 光輝は先日初めてモデルガンを手にし、ひと目で気に入ってしまった。エアガンが子供のおもちゃという感覚だったのに対し、モデルガンは立派な大人のコレクションだと思った。眺めるのに値する。そのフォルムに魅せられ、光輝は衝動買いをしたのだった。
 この時、ラジオから『ジップ・ガン・ブギー』が流れたのは偶然か必然か。分別のある優等生を演じ続けてきた十七歳の少年は、意図も簡単に犯罪へと駆り立てられてしまった。
 光輝は、いつの間にか、心の中でジップ・ガンを作り上げてしまっていたのだ。ジップ・ガンから発射されるのは、激しい衝動、憎しみ、内なるエネルギーそのものだった。リビドーの爆発。しかし、標的を舞に向けることはしなかった。人を傷つけても何も始まらない。自分がこの現状から脱出すればいいと考えた。お金さえあれば、すぐにこの家を出ていける。どこか遠くで暮らそう。暖かい南の島がいい。子供並みの単純な発想しか持ち合わせていなかった。
 光輝は、一攫千金の犯行を考えた。このモデルガンを使っての銀行強盗。それに懸けるしかないと思った。不思議と捕まるという気がしなかった。
 前々から興味のあった銃の仕組みについて調べた。モデルガンだと見破られては失敗する。より本物に近づける必要があった。そのためには改造が必要だ。頭脳をフル回転させて設計図を練り上げた。そして、あれこれ画策しているうちに朝になっていた。
 翌日の木曜日は、都合よく学校が午前授業だった。とりあえず犯行場所、逃走経路などを下見しようと思った。光輝は学校から帰ると自転車に乗り、再び学校方面へと向かった。大胆にも犯行を学校帰りに行うつもりだった。光輝なりに考えた作戦の一つだったが、これが警察に対しては功を奏した。しかし、事件ライターの啓太郎から見れば、完全なあだにもなったのだが。
 光輝は学校へ着くと、そこから国道十二号線へ出て東へ走った。最初の銀行を避け、三店舗目で自転車を止めた。道路から店内を覗くと思ったよりたくさんの客がいた。一人で犯行を行うのは不可能だった。すぐに取り押さえられる。裏の駐車場へ回った。やはり集金のタイミングを狙うしかない。光輝は少し離れた歩道に自転車を止め、タイヤの空気圧を確認するふりなどをして裏口を見ていた。
 しばらくすると、大手運輸会社の現金輸送車が駐車場に止まった。時計を見ると三時四十五分だった。警備員が二名、運転席と助手席から降りてきた。きちんとした教育を受けているのだろう。辺りを警戒している。助手席の警備員が裏口から入っていった。運転手は警戒棒を右手に持ち、現金を積み込むであろう後部の扉前に立っている。車高が背丈ほどの大きな車両ではない分、視野が広い。裏口から、ジュラルミンケースを手にした警備員が出てきた。見張りをしていた運転手が辺りを警戒している中、警備員は素早く鍵で後部金庫を開け、ジュラルミンケースを積み込んだ。
 光輝はがっくりと肩を落とした。全く隙がない。徹夜で描いた計画は子供だましか、B級映画のストーリーだった。うまくいくはずがない。気持ちは半分南の島へ行っていたが、夢を一瞬にして吹き飛ばすように北風が頬をなぐった。
 光輝はパンクしたわけでもないのに自転車を押しながら、人気のない裏道をとぼとぼと歩いた。その時、銀行から三軒となりにあるパチンコ店の裏口から、男性二人が黒いバッグを手に出てきた。光輝はまさかと思い、行く先を目で追った。二人は銀行の脇道を国道に向かって曲がった。光輝は静かに後をつけた。心臓が高鳴っている。二人は銀行へと入っていった。四時五分だった。
 光輝はそれを確かめてから自転車に乗り、国道からパチンコ店を正面に見た。最近よく目にする近代的なパチンコ店ではない。この辺では老舗なのだろう。壁のコンクリートの塗り方と、所々に見えるひび割れが古さを物語っていた。駐車場は正面にあり、誘導を兼ねた警備員が入り口に立っている。  光輝は、もう一度、パチンコ店の裏口へ行ってみた。裏口は奥まった店舗の左側にあり、すぐ横は三階建ての駐車場がそびえ立っている。つまり、完全に裏道左からの死角になっている。しかも、駐車場の壁と建物の間に人が入れそうな隙間がある。駐車場内部から見られる心配もない。裏口の右側は店舗が一部突き出ており、やはり裏道右からの盾になっている。ドア付近で犯行を行った場合、真正面からしか見えない。
 光輝はこれに懸けてみることにした。その後は逃走経路を決めるため、一時間あまり近辺を走り回った。そして、人気のない「こぐま公園」を勝手に拠点と決めた。
 翌日の金曜日も自転車で学校へ行き、帰りにパチンコ店の裏口付近で二人を待った。やはり同時刻の四時に二人は裏口を出て銀行へ向かった。土曜日から月曜の祝日までは三連休だ。光輝は、火曜日を決行日にした。昨日考えた逃走経路を、もう一度、時計を見ながら走った。何度も走ると誰かの記憶に残ったり、怪しまれたりするので、これを最後とした。
 連休初日にショッピングセンターへ行き、黒のウインドブレーカーの上下、ニット帽、サングラス、革の手袋、無メーカーのスニーカー、布テープ、黒のビニールテープ等を、ばらばらの店で買った。以前のぞいた街のプラモデル屋に、おもちゃの手錠があったことを思い出し、それも二つ購入した。そして、モデルガンを改造するためのよからぬ部品も買い集めた。
 連休二日目は、ウォッチタワーにこもり、モデルガンを本物に近づけるために分解し、あれこれと手を加えた。この時すでに、光輝は違法な行為に手を染めていた。武器等製造法違反と銃刀法違反である。しかし、光輝は理性も罪悪感も完全に失っていた。あらゆる感情が麻痺していた。取り憑かれたように、もくもくと作業を続けた。それほど舞の堕胎宣言は相当なショックを与えた。母が死に、生まれて来るはずだった弟妹が死する。もうたくさんだった。
 夜ベッドに入ってからは、犯行を何度も頭の中でシミュレーションした。不安になる度に『ジップ・ガン・ブギー』を聴き自分を奮いたたせた。不思議と不安は自信へと変わった。それも効果がなくなると、沖縄や南西諸島について書かれている本を読んだ。都会の騒音から逃れ、一日中、波の音だけを聞いて過ごす。暖かい太陽の光を全身に浴び、手足をいっぱいに伸ばす。そんな自由で解放された自分を想像した。
 連休三日目の月曜日には自転車の点検をし、タイヤに空気を入れた。シルバーの車体に、幅の太い黒のビニールテープを一度で剥がせるようにパイプ部分に対して縦に貼っていった。目撃されるのを想定して自転車の色をシルバーから黒へ変えるためだった。
 いよいよ犯行当日の朝が来た。光輝はいつもより一時間早く自転車で学校へ向かった。そして学校近くの地下鉄駅に自転車を止めておいた。通常どおりに授業を終えると、午後四時に犯行を行うのは不可能なので、五時間目で早退することにした。臆病が顔をのぞかせ躊躇してしまうことを恐れ、ぎりぎりのスケジュールをたてた。五時間目が終わると、足早に地下鉄駅の駐輪場へ向かった。緊張のあまり昼食がほとんど喉を通らなかったため、途中で腹がグーと鳴った。光輝は意を決すると、黒のビニールテープが貼ってある奇妙な自転車で、こぐま公園へ向かった。公園に着くと、トイレの棚に学校のカバンとスポーツバッグを隠した。ウインドブレーカーの上下を制服の上から着て、帽子をかぶり革手袋をした。右のポケットには改造拳銃、左のポケットには手錠が二つと布テープが入っている。三時五十分、パチンコ店の裏道に到着した。自転車を駐車場側の壁につけて止めると、辺りをうかがいサングラスをした。光輝は拳銃を手にし、裏口横の壁の隙間で待機した。心臓の音がはっきりと聞こえた。それはタイマーを彷彿とさせた。もうすぐ四時にスイッチが入る。
そして、数分後、裏口が開いた。現金入りのバッグを手に出てきたのは、何と若い従業員一人だけだった。何という幸運だろう。光輝は、この時点で成功を確信した。想像以上に冷静だった。ギャングを気取り楽しむ余裕もあった。
「動くな。大声を出すと撃つぞ」
 光輝が背後から拳銃を突きつけると、従業員は驚いてバッグを手から落とした。光輝は背後に立ったまま、従業員の左手に手錠をし、窓枠の手摺りに通して右手にも手錠をした。そして、口に布テープを貼ると、落ちていたバッグを拾い自転車で逃走した。ものの数分だろうか。まるでプロ並みの手際のよさだった。相手に抵抗されるどころか、傷ひとつ負わせることなく、光輝はまんまと現金を奪うことに成功したのだった。
 あれから一年が過ぎた。生活は何も変わっていない。父親とは相変わらず会話がない。舞は子供を産まず、看護師の仕事をしている。
 光輝はウォッチタワーの窓から夜空を見上げた。星が見える。一つ、二つ。不思議だ。大きい星を一つ見つけると、次から次へと小さい星まで見えてくる。エリにも見て欲しいと思った。

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