猛牛に立ち向かう少女の勇気
2017年に全世界で賞賛された米国の金融会社「ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズ」が手がけた企業コミュニケーションのプロジェクト"Fearless Girl"を取り上げ、エンゲージメント数の視点から分析します。
※エンゲージメント数:「いいね」やシェア、コメント、リツイートなどFacebook、Twitter、Instagramでの総アクション数に加え、対象コンテンツについて取り上げた記事やSNS上における口コミなどの総数。スパイスボックスの独自ツールにて計測。
少女が雄牛に立ち向かう
このプロジェクトの舞台は、金融街ウォール・ストリート。アメリカの富と権力が集まる場所です。そしてその象徴である雄牛の銅像「チャージング・ブル」に相対する形で、少女の銅像が設置されました。巨大な雄牛に、体の小さな少女が勇気を振り絞って立ち向かう銅像は、3月8日の「国際女性デー」の前日に突如現れ、世界中の人々を驚かせました。
このプロジェクトの目的は「企業役員の女性比率の低さや、金融業界の給与の男女不平等に注目を集めること(ロイターの記事より)」でした。
エンゲージメントにつながった理由
「少女の銅像を設置する」という非常にシンプルな施策でありながらも、多くの人を巻き込んだ議論を起こし、壮大なスケールでの話題化、圧倒的なエンゲージメントを獲得しました。
では、なぜ、これほど多数のエンゲージメントを獲得することができたのでしょうか?その要因は、以下の2点だと考えます。
1.もともと口コミ(エンゲージメント)スポットだった場所の活用
2.炎上と賞賛のスパイラルな議論の喚起
エンゲージメント名所
ウォール・ストリート近くに設置されている雄牛の銅像「チャージング・ブル」が、元々とても有名な観光スポットだったという点です。芸術家アルトゥロ・ディ・モディカ氏によって制作され、いわゆるブラックマンデー後の1989年に同氏によってゲリラ的に設置されました。その後、ニューヨーク市から正式な設置許可を獲得。「大暴落からの復活」「金融市場の上昇」を象徴する銅像として多くのアメリカ人に愛され、今では世界中の観光客が写真を撮ってSNSにアップする名所となりました。そこに“相乗り”したことが、膨大なエンゲージメント数を獲得した要因として挙げられます。
日本では、渋谷のハチ公像や道頓堀のグリコ看板を活用した事例が近いです。渋谷のハチ公像は利用するための許可が得にくいので広告活用の事例はほとんどありませんが、2014年2月に東京で大雪が降った翌日に誰かがハチ公像とそっくりの雪だるまを作って大きな話題となりました。
また、グリコ看板が綾瀬はるか氏の特別Ver.に変わったタイミングでもSNS上に記念撮影の投稿がアップされ、多くのエンゲージメントを獲得したこともあります。
生活者が記念撮影してSNSにアップしやすい、エンゲージメント・ポテンシャルが高いスポットに仕掛けることは、SNS上での情報拡散が狙いやすい効果があるといえるでしょう。
「炎上」と「賞賛」
この銅像を設置した直後の反応は、必ずしもポジティブな声ばかりではありませんでした。「チャージング・ブル」の作者アルトゥロ・ディ・モディカ氏が記者会見を開いて猛反発したのです。彼は、ニューヨーク市に対して、自身の芸術作品である「チャージング・ブル」が企業の広告活動に勝手に利用されたことで、自身の著作権や商標権が侵害され、さらに作品が持つ元々の意味合いまで歪められてしまっていると訴えました。
しかし、ニューヨークのビル・デブラシオ市長は、この少女像を「恐れや権力に立ち向かうことの象徴(“standing up to fear, standing up to power”)」として、当初は1週間限定で許可していた像の設置延長を決定。
アルトゥロ・ディ・モディカ氏の主張に賛同したアーティストが、”Fearless Girl”に排尿している犬のオブジェを設置。強烈な賛否両論の応酬が数ヶ月間続く事態につながり、議論が議論を呼び大きな話題を形成していきました。
そして、この像の常設を願う声がニューヨーク市の行政に寄せられ続けた結果、常設が決定され新たな時代の象徴となったのです。
炎上を恐れずに議論を呼ぶジャーナリズム
ブラックマンデーの株価大暴落で大打撃を受けた米国で、失意の人々を鼓舞する存在であった「チャージング・ブル」。時代を超えて、米国経済を支えてきた金融業界は、同時にマッチョイズムと一部の権力者の象徴でした。
そのことを再解釈されたことは、劇的な変化を遂げた米国そのものへの痛烈な皮肉でもあります。
ゲリラで始まった「チャージング・ブル」を認可し、シンボル化していったニューヨーク市自身が、今度はその存在を否定するかのような「Fearless Girl」を受け入れ、常設を決定したことに驚きを感じます。
このように、生活者の間で大きなエンゲージメントを生むために最も重要なことは、炎上を恐れずに賛否両論を巻き起こす強烈なメッセージであり、ジャーナリスティックな覚悟です。
何事もバランスを鑑み、炎上に対して過敏な日本においては、賛否を許容するコミュニケーションには慎重です。生活者の受けとめ方やメディア環境の違う日本において海外の事例をすべてベンチマークにする必要はありませんが、マーケティング担当者がこの事例から学ぶべきことは「少しの勇気を持つ」ことなのかもしれません。そう、小さな少女の銅像のように。