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FCで実際に話してみて感じるFCの不自然さ

 私は障害のある人の介助者によるFCで、実際に「障害者との会話」をしたことが何度かあります。
 厳密に言うとそれはFCとは呼ばれず『指談』『指筆談』『介助付きコミュニケーション』といった名前で呼ばれるものでしたが、本質的には同じもので、介助者が何らかの方法を使い、話せない(話さない)障害者の言葉を表現するというものです。

 私は騙し討ちのようなことをするのは嫌なので、そういう集まりに行った際はとりあえず「自分はFCに疑問を持つ立場だ」ということを伝えています。なので、その上で「会話」した経験ということになります。

 特定の方を非難したいわけでは決してないので、ここでは架空の例を作って説明してみたいと思います。

 私が最初に質問したのは、だいたい「趣味は何ですか?」といったような事柄でした。別に何らかの狙いがあったわけではなく、よく知らない相手と会話する際にはそれが一番自然だと思うからでした。

 しかし、この種のありふれた応答が上手くいかないのです。

 FCは「深めていく会話」が苦手であるような印象を私は持っています。

 例えば「好きなサッカーチームはどこ?」「好きな選手は誰?」「その選手の得意なプレイはどんなの?」といった会話です。

 もしあなたがサッカーファンだったら、こういった質問には自然と答えられるでしょう。料理好きならよく作る料理、映画好きなら一番好きな映画について、苦労せずに話せるはずです。

 しかしFCではなぜか上手くいきません。

 20代の人なのに、好きな選手が「マラドーナ」だったりするわけです。
 もちろん、20代の人がマラドーナのファンだって何も悪くはありません。でも20代の人が現役選手でも最近の選手でもなく大昔のプレイヤーを好きになるからには相応のきっかけがあるはずで、そこからまた話が深まっていくのが自然です。ですが、そうはなりません。介助者(ファシリテーター)は途中で口ごもってしまうのです。
 こうなると、それ以上あれこれ追及するのはただの意地悪になってしまいます。「FCで会話してみよう」と思っても、単純な、自然な会話でつまずいてしまうのです。

 たまに、こういったシチュエーションについて第三者が「そんなつまらない質問ができないことで疑うのはおかしい。その人はもっと感動的で哲学的な話をできるんだから!」というような擁護をすることがあります。
 しかし、それはおかしいことのように思います。
 FCで話す障害者にとって「つまらない趣味の会話」は無意味でする必要がない、という話になってしまいます。
 ですが、人間が行うコミュニケーションの多くは、ささいで、日常的で、深い意味のない、それでいて重要なものではないでしょうか。

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 実は、私は趣味として小説を書くことがある人間なので、その視点から「なぜFCは『趣味などの会話』が苦手なのか」について思い当るところがあります。

 私は自分が創作した架空の人物「A太郎」について、彼の生き方、考え方、人への接し方などをよく把握しています。もしA太郎がジェットコースターに乗ったらどんな反応をするか、降りた後に隣のB子が酔っていたらどんな声をかけるかすぐに想像することができます。

 しかし私はA太郎の「趣味」は知らないのです。
 なぜなら「設定」として決めていないからです。
 A太郎の言動はA太郎の性格さえ決まっていればいくらでも「出力」されるのですが、性格とあまり関連性のない「趣味」とか「好きな食べ物」というのは、決めようと思って決めておかないと答えが出ません。

 架空の人物に趣味を「設定」するとき、一番簡単な方法は、作者が自分の趣味をそのままあてがうことでしょう。しかし、創作したキャラクターと作者の年齢などが大きく隔たっているときにはこの方法は使えません。先に挙げたような「20代のマラドーナファン」のような事象が起きます。
 もちろん、「祖父が大のマラドーナファンであり、その影響でマラドーナの現役時代の映像を舐めるように見て育った」というような設定を足してつじつまを合わせることはできますが、それはあくまで創作の場合の話。FCのように現実の人物で「設定を足す」のは更なる無理が出てきてしまいます。

 要するに、FCが「趣味の話」に弱いのは、「FCで語られる人格がファシリテーターの『創作』であり、実在の人間でないから」ではないかと私は思います……というより、ほかの理由で説明ができないのです。

 FCは、「つまらない趣味の話」なんて必要ない、ただ「感動の話」を障害者が話すのを見たいんだ!、という人にはよく『効果』を発揮するのかもしれません。
 けれど、ただその人のそばに寄って「その人の好みを知りたい」という相手を前にしただけで、FCはほころびを見せてしまうことがあるのです。

 ……続きはまたいつか。