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ラベルを剥がせば、私が見えてくる。

私は誰かと同じような願望を持って、それがあたかも自分の願望だと思い込んでいた頃がある。
例えば、ちょっと良いものを持って、ちょっと良い旅をして、、みたいな。
そこに照準を当て始めると、それしか見えなくなって、それが世界の全てに思い始める。
まさに、その中にどっぷりつかってしまって、余計にそこに到達できない自分を責めた。


自分にくっつけたたくさんのラベル。
いつしかそのラベルが鉛のように重く自分にのしかかって、身動きが取れなくなっていた。
もう動けないや、どうしたら良い、、
そう、勇気を出して自分のものにできていないものを1つずつ剥がしていく時が来たんだ。
いつか手放そうと思ってくっつけたままにしていたものを。
さあ、何が見えてくるかな?
ちょっとワクワクする。

何が見えた?
あれ?何もない?
と思いきや、自分の事を大切にしたいと思っている私がそこにいた。

自分を守ってあげたくて、少しでも良くしてあげたくて、来る日も来る日も自分に向き合う私がいた。
時には責めてしまって、いじめてしまっていたけれど、まさにそれは愛そのものだった。
自分への愛。
そして、家族のために、友達のためにやってあげていることも、深く見て行けば自分への愛だったことに気付く。

何だよ、つまんねえの。
自己啓発にありがちなやつじゃないか!

ってね、一瞬そう思ったけど。
けれど、それを認めた時、私は自分を受容することができたし、むしろここに気付けたことは私の人生において大きな収穫だった。


愛なんて言葉使うなんて、ちょっとゾワゾワしちゃうけど笑

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