誰かの望みが自分の望みではない。
今は飽きれるほどに情報に触れる機会が多い。
特にSNSは、何かの良いところとか、誰かの良いところととか、切り取られた一瞬を見て【羨ましい】と思ってしまう。
自己肯定感が低い、高い。
という話を頻繁に聞くけれど、いつからなんだろうか。
そもそもどこの誰だか存在すらするかも正直わからない何かに対して【劣等感】を覚えることで、以前よりも明るみに出た言葉なのかもと思ったりする。
切り取られたキラキラを見て、自分にはない!ない!ない!
って自分をけなして過ごすことのもったいなさ。
本当は目の前にたくさんの【ある】があるのに、どこの誰だか何だか知らない【良さそうなモノ】を見て、ない!ない!ない!と嘆くことの滑稽さ。
そしてついには誰かのそのキラキラが自分の欲しいものだと思い込む。
全然欲しくないのに、みんなが持ってるから、とか褒めてくれるから、って欲しいふりをして手に入れて喜ぶ。
私の経験上、そうやって手元にやってきたものというのは、さほど感動がなく終わってしまうことが多かった。
(他の誰かの人生を生きてしまっていた私にとっては、もしかしたら長い間不感症だったのかもなあと思ったりもするけど笑)
油断していると、自分の望みではない誰かの望みという鎧をまとってしまう。
そしてどんどん鎧がバージョンアップされて、気付いた時には一体自分はどうしたいのかが見えなくる。
誰かの望みの上に自分の人生を歩ませてしまわないように。
私は日々取捨選択をして、情報は入れすぎない、時には思い切って捨てるをしている。
その望みは、本当に自分の望み???
LIVE your LIFE♡♡♡
私の望み
誰かの言葉一つにいちいち心を揺さぶられない自分になること
(全然キラキラしてないし物質じゃない笑)
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