#2 "普通"ってなんだろう?

最近、とても違和感を覚えることがある。最近、といってもここ数日のことではなくて、社会人になってからずっと思っていたことなのだけど、「どうしてこんなにも”勉強”や”仕事”にはマイナスイメージが付きまとっているんだろう?」ということ。

私は今まで「勉強や仕事=無理やりさせられている、つまらないもの」と考えるのが普通、普通とまではいかなくても、そう考えている人が多いなあ~と思いながら生活してきた。この間、企画メシ第二回『観察の企画』において、講師の菅さんが”『普通』とは、できるだけ多くの人が共有している前提条件”だと仰っていた。多くの人が持っている前提から外れると、「変わってるね」と言われたり「独特だね、個性的だね」と言われたりするのだろう。

私も「変わってるね」と言われることが多かったので、どうしてなんだろう?と疑問に思っていた。このギャップは、私と相手との共有する前提条件が違うから生まれたものだったんだな、と納得できた。また、「変わってる」ことをあまりポジティブに捉えられていなかったのだけれど、舞台女優/モデルの長井短さんが「変わってるっていうのは、人と違って面白いってことだからいいことじゃない?」と楽しそうに語っているのを目の当たりにしてから、「変わってる」ことは悪いことじゃないんだな、と少し自分を認めてあげられた気がした。

菅さんが、すべての行動や疑問をあれほどまでに鮮やかに論理的に言語化されていたことにまず圧倒されたのだけれど、この『普通とは?』のお話が一番印象に残った。


最近、クラスの子たちの様子を見ていると、昨年とはうって変わって別人のようにメキメキと受験勉強に取り組む生徒たちがいっぱいいることに、違和感を覚える。目標の進路実現のためもくもく勉強している姿を見て、私ももっと頑張らなければ…!と思わされる日々。けれども、「大学に入るため」にガリガリ暗記したり、本文の言い換え・要約文を探したり、そういう紙とペンで机に向かう勉強は、はたして楽しいものなのかな。

昨年までは、とにかく学校で習う科目の”勉強”をしない子が多くて、ことあるごとに「勉強した方がいいよ」と言ってきた(した方がいいよ。というのは私の口癖で、高校のコーチの受け売りで、”私はした方がいいと思うけど、するかしないかはあなたが選んでね”という選択の余地を残す意味で使っている)。それが何も言わなくてもするようになって、でもそれは別に楽しんでしているわけではなく、ただ受験を突破するためのものでしかなくて。それになんだかもやもやする毎日。

私は社会人になってから興味を持って、自分で探るようになったことも多くて、最近は社会学関係やマーケティング・企画関係についての本を読むようになった。自分が”知りたい!”と思うことについて色々調べている時間が本当に楽しくて、夢中になって、あっという間に時間が過ぎていく、そんな楽しい時間が本来の”勉強の時間”だと思う。仕事についても同じで、自分のやりたい・楽しいと思うことを仕事にしていれば、もっと楽しく働けるはず。それなのに、世の中には(主語が大きすぎるかも…)勉強も仕事も”無理やりやらされている・苦しいもの”として捉えている人が多くて、それをどうにかして覆したいなあと思うのでした。本当にどうにかしたい。

"どうにかしたい"だけじゃどうにもできないから、菅さんをお手本にして、どうしたら変えられるのか、なぜ変えたいのか?をひとつひとつ言語化して整理することから始めよう。

…という話も、”先入観”を持って見てしまっているのかもしれないと思うとぞっとすると同時に、ちょっと堅苦しい話になってしまうけれど色んな人にこの”勉強と仕事”についてのアレコレを聞いてみたいなと思った。わたしはどちらも楽しくできるのが理想です。


菅さんのお話の中で、他に印象に残っていることとして、

・”自分が何に偏っているのか”に気付くことが大切(まっさらな状態で物事を見るのはムリ)

 最近の私の「偏り」に気付いたことと言えば、”安室の女”である友人に激しく勧められて、10年ぶりに映画館でコナンの映画を見たのですが、直後の感想が「凄い…ドローン/公安/IoT/宇宙etcっていっぱい時事キーワードが散りばめられていて、小学生の子が見た時に引っかかるキーワードがあれば自分で勝手に調べ出してハマっていける要素がいっぱい…!」だったこと…。完全に教育者目線になっているな…と自覚しました。Filmarksで感想を調べてもそんなこと書いてる人全然いなくて、うわあ…と思ってしまった。エンタメはエンタメとして楽しみたい!笑


・「才能」じゃなくて「技術」。練習すればできるようになる。質は量からしか生まれないということ。

そういえばある時ゼミの先生が、『雨の日のバスは、特に人が密着しているから痴漢が起こりやすいのではないか?と思った』と何の気なしに雑談として仰っていたことを思い出した。別に痴漢をする気がなくても、密着してしまっていることによって、そういう気を起こす人が増えるのでは、という心理の分析なのだと思う。多分ゼミの先生も日常的に「観察」「分析」をしておられて、それをゼミや講義の中で雑談としてアウトプットされていたんだなあと思う。いつも視点が鋭くてユニークな考えの人だなあと思っていたのだけれど、きっとこういう観察の積み重ねによるものなのだろうな。私ももっと色んなことに気づける、アンテナの高い人になるために、日々観察⇒メモする癖をつけたいと思った。今は、LINEのひとりグループにちょこちょこメモを始めています。


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