見出し画像

贈り物としての、企画書

書けない。
noteが、書けない。


悔しさ、やるせなさでいっぱいになる。
今回、第2回の講義には、仕事の都合でどうしても出席することができなかった。


講義後、親切な企画生にメモと講義スライドの一部を見せてもらって、自分なりに解釈して腹落ちさせて、帰ったはずだった。
それなのに、全然、書けない。


やっぱり、講義を受けているのと、後から資料を共有してもらって、動きのない文字を自分なりに掬うのとでは、残り方が全然違う

きっと、わたしの記憶は講義そのものだけでなく、
その場の笑いとか、周りの真剣なまなざしとか、ふわっと揺らぐ空気感、みたいなものが相まって蓄積されていくからなのだと思う。



第1回は、自己紹介。
第2回の今回は、企画書のつくり方について。
誰かのための企画を考えるということは、相手のことを考え抜いて企画するということ。
すなわち、「他己紹介」だった。


わたしなりに、課題に向き合ったつもりだった。
けれど、わかりやすく企画内容の説明をすることに終始してしまって、「本質」を見失っていた。


誰よりもその「対象」に詳しくなって、
何者なのかを言語化すること。
本質を見抜くこと。


これこそが、企画のはじまりであり、最も重要な部分だと気づいた。
企画書への阿部さんのフィードバックでも、そこが指摘されていた。
そこがごっそり抜けてしまっていた。

今回の課題を通して、情報を掴みにいく能力がまだまだ足りないな、ということに気付かされた。


凄いな、と思った企画書は、相手のことを徹底的に調べあげて、徹底的に相手に寄り添って作られている。

去年、「企画でメシを食っていく」という、企画の講座に参加していたにも関わらず、企画の真髄を見落としていたことは、大きな失敗だった。


けれども、阿部さんのこの言葉、

「お題は自分なりに捉え直していい」

このフレーズに、勇気づけられた。
自分の中で再定義して、捉え方を見つめ直して、自分の体験に寄せて、想いを伝える。

「本当は相手が何を欲しているのか?」を考え抜く。

企画を立てる時もそう、
インタビューする時もそう、
徹底的に相手のことを調べあげて、考え抜いて、考え抜いて、考え抜く。

企画書は、相手への贈り物でもあるのだ。





余談ですが、わたしの憧れのモデルである菅野結以ちゃんの言葉に、

「悔しい、苦しいをそのままにしてちゃ報われないよ。ちゃんと自分の手で意味を持たせてあげなくちゃ」

っていうフレーズがあるんです。
わたしはいつだって、この言葉を頭の片隅において乗り越えてきた。


あと4回、悔いの残らないようにする。



▼放課後にみんなでつくっている「ことばの日を作ろうプロジェクト」はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?