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わたしを支えることば

1月といえば、成人式。
華やかな振袖を着た友人たちの写真がインスタやTwitterを彩っているのを見て、ああそういえば成人式、という気持ちになり、これを綴っている。


わたしは、成人式に出ていない。でも前撮りはしたい。振袖は着たかった。
振袖を着るなら、着物コレクターである母のものを借りればいっか、ぐらいの気持ちでいたら、なんと母も持っていないと言う。
あんなに箪笥ごと着物で埋まっている母が!?!?!?

母の実家は、男尊女卑の傾向が強く、振袖が買ってもらえなかったのだとか。
それをすごく悔いていたのであろう母は、成人式に出ないことが決まっているわたしをわざわざ京都の着物屋さんに連れて行ってくれた。
布地を見繕って、わたしの身体のサイズに合わせて柄の合うように仕立て上げてもらった。
こんな特注品、人生で初めてだ。贅沢品だ。
成人式、行かないのに。


いじめられていたわけでもない、友人がいなかったわけでもない。
でもわたしにとっての中学の友人は、なんというか空白を埋めるためだけの、移動教室が一人でないことにお互い安心するだけの”友達ごっこ”でしかなく、卒業した瞬間に空中分解した。
自分から心を開いて、信用していけばよかったのだと思う。けれど、常にいじめのターゲットが変わって、いつ自分の番が回ってくるかわからない恐怖と戦いながら過ごしていた日々の中では、誰かを信用することは難しかった。平穏はいつも、ネットの中にあった。

とまあ、中学の人間に会いたくなくて、とにかく行きたくなかった。
もっとも、物理的に行けない理由があってそれを隠れ蓑にしていたのだけれど、物理的に行けても行かなかったのだろうと思う。
だって、成人式って地元で集まるんでしょう。わたしは、名古屋の小学校の学区で成人式に出たかったのだ。
という、田舎コンプレックスは置いておいて。



2013年の1月。その頃わたしは、アメリカにいた。
大好きなホストファミリーと、のどかな日々を過ごしていた。

行きたくなかったクラス会のお誘いは、

「アメリカに留学中なので、欠席します」

という最も感じの悪い返信で幕を閉じた。
(コンプレックスが顕著に現れていて、マジで感じの悪い奴でしかなかった…反省。それ以来、小学校も中学校も一度も集まりに呼ばれていない。集まっているのかもわからない。小学校にも中学校にも、繋がっている友人がいないので、その後のことはよくわからない…)


2013年の1月、わたしは愛してやまないモデルの菅野結以ちゃんから祝福をもらって、感激して、ステイ先の自室で買ったばかりのMacbookでこの記事を読んで、ひとり静かに泣いていた。(年末にパソコンが壊れて、レポートできないと単位取れない!と大学でMacbookを購入したのでした、わたしの初Macはアメリカ製。)

個人に宛てたものでないことは、わかっている。
だけど、ちょうどわたしが20歳になったタイミングで送ってくれた言葉は、一生わたしを支えてくれる。

どうしようもないこととか
人とは思えないような人とか
悔しいことも 嫌になることも
沢山 沢山 あるけれど
ちゃんと戦って 負けるのもいい

ちゃんと戦ったのなら
何度負けたっていいんです

経験したことは すべて糧になるし
どんなことにも自分の手で
意味を持たせてあげればいいんだから
立派じゃなくても 何はなくとも
すべて自分でちゃんと選んできたんだ、って
自分に胸張って言えるような
そんな大人になりましょう

お金があったって 何があったって
ずるかったり 無粋だったり
自分で自分に胸張れないような生き方ってさみしいじゃない
たくさん経験して
たくさん反省して
そしてひとつも後悔しないで


好きなことをして
好きなことのためなら
嫌なことだって全部して

自分の愛が向く日々を
苦しいくらいに見つめながらどうか
素敵な人生を。
(部分抜粋)

わたしはこの人が好きでよかったなあ、この人が好きな自分のことは、肯定してあげられるなあ、と思ったのでした。
そして、それは今も変わらない。
そして20歳の結以ちゃんはものの見事にギャルで、あーやっぱわたしはギャルが好きだわ、と思い返しましたとさ。

アメリカにいた半年間のことは、またどこかで綴ろうかな。今日はこの辺で。

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