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そこに覚悟はあるのか

覚悟を決める、腹をくくる。
これは、わたしの中で最近の一番の課題だ。
「いつも覚悟が決まっていないから中途半端に悩まされているのだ」と最近ようやく腑に落ちたことでもある。



先週末、講談社が主催するアイドルオーディション、ミスiDの卒業式があった。この日、グランプリや各賞がが発表された。
2013年から毎年開催されているこのオーディションは、年を追うごとにファイナリストやユニークな賞の数が増え、毎年の楽しみの一つでもある。
玉城ティナちゃんやゆうこすなどもミスiD出身だ。


単純に「かわいい」だけを競うオーディションではなく、人生すべてをかけたオーディションだ。それぞれにはそれぞれの苦悩や地獄が、それぞれの生き様や輝きが、バラエティ豊かな人生や挫折だらけの人生が、女の子の数だけあるのだなあというのを見せつけられて、勇気をもらえる一大イベント。
可愛くて、自分だけの色があって、意志が強くて、それらを表現できる女の子たちはずっと憧れであり、大好きで勇気をもらえる存在だ。
(ちなみに、菅野結以ちゃんが審査員に加わった年、菅野結以賞が欲しくて出場を迷ったことがある、覚悟がなくて出られなかったんだけど。)




今年度、ミスiD 2016の一人でもあるrikoちゃん(ダンサー・振付師)のレッスンで顔を見たことのある子たちがちらほらエントリーしていた縁で、なんとなく眺めていた程度で、とりわけ推しがいた訳ではなかったのだけれど、その中で異彩を放っている人たちがいた。わたしは、頭をガツンと強く打たれたような衝撃を感じた。



一人は、は息子さん(ハムスターの息子に産まれて良かったです!さん)

彼女は絵描き・表現者で、アイドルオーディションであるにも関わらずすっぴんにひっつめ髪、ジャージという身なりでオーディションを受け、「絵を評価してもらうためにあえてこの格好にでオーディションに出演した」と述べている人だった。
元々美人さんで、VoCEのお化粧企画によってとてつもない変身を遂げておられたのだけれど、こんな風に大勢の前ですっぴんを晒せること、生き様を晒せること、人目を気にせず好き勝手ツイートできることなど、本当に心が強くて羨ましいなと思ったのだった。



もう一人は、ぱやちのさん。

彼女は、プロフィールが正しければわたしの2個下で、元国語教師だそうだ。
彼女が紡ぎ出す詩的な言葉の数々から聡明さが伺えるのだけれど、あのギャ(ゆるめるモ!のあのちゃんのファン)のような身なりで(ボブのハーフツイン)本当に先生していたの、と疑いたくなるのも頷けるようなルックスだった。
しかも、教員を辞めた理由が、斬新で。
自由に呟いていたTwitterのアカウントが勤務校の校長にバレて、Twitterを消すか仕事を辞めるかの二択で「2009年から続けたアカウントを消すことはできない」と思い、教師を辞めることにしたのだそう。
それを聞いて(ファイナリストの動画を見て)なんて心臓が強い人なんだ、と尊敬した。
同時に、とても羨ましかった。
わたしは、このような斬新な辞め方ができる人に憧れるくらい、もう教員でいることが耐えられないのかもしれなかった。




話が少しそれるのだけれど、少し前から同僚が休職しており、その分の仕事を少し請け負うことになった。
単純な業務量の増加に伴う体力の消耗よりも、こんなにも毎日明るく朗らかに働いていた同僚が来なくなってしまったことへのショックと、同時にわたしはここに居ていいのかという不安、このままではわたしも同じように適応できなくなってしまうのではないかという不安でいっぱいになり、とても不安定な状態が続いている。
そんな時に出会ってしまったミスiDの二人。
わたしは、これからの人生を決める覚悟を持たなければいけない時期が来たのかもしれない、そう思った。

強烈な嫉妬と憧憬を抱えて、最近お世話になっている人に相談したところ「彼女たちは覚悟を決めてるから、そういう行動が取れるんでしょ」という、単純明快な答えをもらった。

そうか、わたしに足りないのは覚悟だったんだな。



小さい頃からずっとギャルに憧れて、自由に自己表現ができる人に憧れ続けてきた。
彼女たちは、自分のスタイルを突き通す、覚悟が決まっていたんだな。
常に周りの顔色をうかがったり、世間体を気にしたり、自分の見え方ばかり気にしているわたしとは大違いだ。
腹を括って、本当にやりたいことで人生を埋め尽くしていけるように、向き合っていかなくちゃと思う。

という決意のnoteでした。


▼先週の「ノートの切れはし」はこちら


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