見出し画像

《大学入学共通テスト倫理》のためのアウグスティヌス

大学入学テストの倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。アウグスティヌス(354~430)。キーワード:「神の恩寵」「カリタス(ギリシャ語アガペーのラテン語版)」「信仰・希望・愛(キリスト教の三元徳)」主著『告白』『神の国』

📝アウグスティヌスはこんな人

画像1

一目で聖人とわかる感じで宗教画に描かれています。表情の厳しさが論理的な思考を得意とした彼を伝えているようです。

📝キリスト教の代表的教父のアウグスティヌス、教父って何?

キリスト教用語で古代から中世初期、2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、とくに正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々をいう(出典:フリー百科事典「ウィキペディア」、教父のページから引用)

📝アウグスティヌスは宗教者であり同時に論理を追求した哲学者。そして宗教が哲学に先行してつかんだものがメシアニズム。「メシアニズム」って何?

Messianism is the belief in a messiah, a savior or redeemer.(略)The state of the world is seen as hopelessly flawed beyond normal human powers of correction, and divine intervention through a specially selected and supported human is seen as necessary.(出典:フリー百科事典「Wikipedia」、Messianismのページから引用)。

「メシアニズムとは救世主、救済者、救い主への信仰のこと。(略)世界の状態をノーマルな人間の修復力を超えて絶望的に損なわれているものとし、特別に選ばれ支えられた人間の神的な干渉を必要と見なすこと。」が拙訳大事なのは、宗教によって世界の人間をまるごと救う現実界のアクションが発想されていることです。)

📝イエス・キリストのメシアニズムはこんな感じ

イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。(フリー百科事典「ウィキペディア」、罪の女のページから引用)

「ヨハネによる福音書」に、後世追加されたエピソードと言われ伝説的な内容です。しかし、この社会で差別される人間も含め、全ての人間が平等であると強烈に主張している点がイエスらしいと思います。当時通用していた法を超えて平等だと。

📝キリストの死後に教徒になったローマ人で、キリスト教をひろめたパウロのメシアニズムはこんな感じ

パウロは信じるものは救いの約束を受け、罪と律法のくびきから解放されると論じている。ただし、律法や決まり事は自分の行いが悪であり、罪であることに気づかせてくれる、として善いものと見なしている(フリー百科事典「ウィキペディア」、ローマ信徒への手紙のページから引用)

注意深く読むと「人間はそもそも罪」のスタンスが確認できます。つまり、「平等」に人間を救うために「同病」として扱う。イエスのある面を引き継いでいると思う。この原罪を負った人間が、信仰によって救われる(可能性)がキリスト教のメシアニズムのプログラムです。これなら、万人がその対象者になりうると言えます。

📝これがアウグスティヌスのメシアニズム

アウグスティヌスの思想として特に後世に大きな影響を与えたのは人間の意志あるいは自由意志に関するものである。その思想は後のアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェにまで影響を与えている。一言でいえば、アウグスティヌスは人間の意志を非常に無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。(フリー百科事典「ウィキペディア」、アウグスティヌスのページから引用)

これは信仰に救いがあるとすれば、信仰に反しうる「人間の意志」は救いにおける価値がないという考え方。パウロの教義の論理による厳密化と言えます。大分すごいところまできています。過激に聞こえるせいか、この要素は倫理の教科書ではあまり強調されていない印象。

📝アウグスティヌスは論理の追求と同時に、愛の実感も乗せています!

わたしたちのうちひとりしかいないかのように、神はわたしたちみなを愛す。/愛に満たされるものは神ご自身に満たされる。(フリー引用集「ウィキクォート」、アウグスティヌスのページから引用)

このアウグスティヌスの言葉の価値は、愛のダブルにあると思う。他者の愛を私のものにするような浄化や、愛の名のもとに生きる義務感覚。それをメシアニズム的な幸福の条件としたアウグスティヌスは、論理だけでなく、人間的な愛のリアルを知っていたように思います。「神の恩寵」は神からの無償の愛ですが、カリタスという言葉ははっきりとこの「愛のダブル」を含意して使っています。

以下に小ネタを!

アウグスティヌスは「若い頃のヤンチャ」で知られる聖人。悪い仲間と悪いことをして、肉体的な快楽におぼれた若き日の反省が、彼の『告白(懺悔録)』に記されている。人間味を感じます。

画像2

これはベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画「「パウロ書簡」を読む聖アウグスティヌス」。32歳のとき、子どもの「取って読め」のお告げを聞いて「パウロ書簡」を読む瞬間。この年齢で不良卒業。「パウロ」との緊密な関係が、伝説や画題としても浸透しています。ちなみにゴッツォリは、ディティールの細密さに定評がある、ルネサンス期の画家です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?