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『蜜蜂と遠雷』(恩田陸、幻冬舎文庫)の感想

 近年世界的な評価の高まる「芳ヶ江国際ピアノコンクール」。オーディションは世界の五都市で行われる。パリのオーディションに現れた少年は学歴もコンクール歴もブランクだが偉大なピアニストの推薦状をもっていた。

 この「風間塵」こそ紛れもない天才である。彼のすごさの一端を読もう。

(略)ホールは不気味なくらいの静寂に包まれていた。
 が、誰もが我に返り、何かがほどける瞬間がやってきた。人々は顔を上気させて拍手をし、立ち上がり、叫んでいた。
 ステージは空っぽ。
 今の出来事は夢だったのではないかとみんなが顔を見合わせている。
 スミノフが巨体を揺らして叫んでいる。
「おい、彼を呼び戻せ。いろいろ聞きたいことが」
「信じられない」
 シモンが呆然と椅子にもたれかかっている。(上巻p42)

 ホールの全員が事故現場の衝撃を受けていることがわかる。そして、この小説のすごさは、この天才がぶっちぎりでコンクールに圧勝する、わけではないなと思い直させる、他の参加者(コンテスタント)との競合にある。

 引退していた元天才少女の「栄伝亜夜」、名ピアニスト&指揮者ナサニエルの弟子「マサル・カルロス・レヴィ・アナトール」、最後の音楽活動と決意した楽器店勤務「高島明石」等々。彼らのすごさも次々記述されていく。

 ここにあるのは極上のバトル漫画のおもしろさだ。それぞれが「他のコンテスタントにない異質なすごさ」を発揮していて、勝負の決着がぎりぎりまで分からない。読みはじめればむさぼり読むことうけ合いの作品だ。

(漫画の話をもう少し。私は『ピアノの森』も大好きだ。あの名作漫画の場合「すごいライバルをカイがどう上回るか」に関心がある。芳ヶ江コンクールの決着の読めなさはむしろ『シグルイ』のやばさに近いとさえ思う。)

 この作品はコンテスタントが魅力的に造型されているだけでない。コンテストを近くで、あるいは遠くで支える人物たちも魅力的に描かれる。友人家族、審査員、撮影クルー、ホストファミリーなどなど。

 そして、『蜜蜂と遠雷』は、このかならずしもプロの音楽家でないひとも含めて、「いまだ音楽と呼ばれていないすばらしいなにか」を共有しようとする。極上バトル漫画と新たな世界の到来をつむぐファンタジーを兼ねる

 もうすぐだ。もうすぐ、私たちはとてつもなく開けた場所に出る。
 もはや後戻りはできない。昨日までの自分はもういない。
 これまでとは比べ物にならないくらいの困難が待ち受けていることだろう。しかし、これまでとは比べ物にならないくらいの歓喜もまた、どこかで私たちを待っていてくれるはずなのだ。
 私たちはそのことを知っている。誰もが確信しているのだ。(下巻p323)

 これはコンテスタントの心だろうか曲のイメージなのだろうか。その全てであるが全てであることの不可思議さがある。この世界も音楽もいまだ未知の可能性がある。本作はこんな世界の可能性の胎動をきざみこんでもいる。

 さあ。
 さあ、音楽を。
 あたしの音楽を。あたしたちの音楽を。
 そして、タクトが振られる。(下巻p478)


 

 

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