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『神様の贈り物』(木内一裕、講談社文庫)の感想

 この作品はジャンル・クロスオーバーの名作である。むすうのジャンルがシームレスに入り乱れ、そのいずれともいえない不思議な読後感に圧倒される。それらのジャンル、またジャンルになりそうな可能性を挙げていこう。

 まず、『神様の贈り物』は、クライムアクションとしてしびれる鮮やかさをもっている。よいタイトルだけが前知識だとびっくりする展開である。

「あれ? こっちの奴、銃持ってませんよ」
 服の上からチャンスの体をまさぐっていた、やたらと嗄(かす)れた声をしたボディガードが言った。
「ん? どういうこっちゃ?」
 組長が怪訝な表情を見せた。おそらく柾木も同じ表情をしていたに違いない。
(p16、「嗄」のルビをパーレンに移し「けげん」のルビを略した)

 こうして、殺し屋チャンスの物語が開始する。ボディ・チェックされて屈強なヤクザにとり囲まれている危機一髪をチャンスがどうしのぐのかに刮目してほしい。心よりも速く身体が動く「殺し」のすごみがあるのだ。

 そして、ラブ・ストーリーへ進んでいくようなピュアな場面がある。

 知佳はドキッとした。部屋を間違えたと思った。だがそれはチャンスの顔だった。なのに別人だとしか思えない。
 そこにいるのは知佳にとっても初めて会った人物だった。
               (略)
「看護師さんから聞きました。この花はあなたが持ってきてくれたそうですね」
 チャンスがベッドの脇の花に目をやった。そしてまた知佳に視線を戻す。
「ありがとう」
 ふいに知佳の両目から涙がこぼれた。ぽろぽろぽろぽろ、こぼれては落ちた。
「どうしたんです?」(p109-110)

 ひとの美しさに心打たれること。そんな世界に起こる貴重な瞬間が描かれる。知佳はチャンスと初対面では「無理無理。この人はタイプじゃない。目が死んでいる。」(p22)と思ったがここでチャンスと出会い直している。

 そして、こんな出会い直しを生む本作は、はっきりと奇跡の物語である。

「なんで、なんでその……まるっきり別人じゃないですか。なぜなんです?」
「神様が――」
 そう言ってチャンスはフッと笑った。それはとっても素敵な笑顔だった。
「私に心をプレゼントしてくれたんです」(p111)

 殺し屋チャンスの心の回復の物語。心の存在がどれほどのよろこびを与えるか、小さなことにも世界のよろこびに心動かすまぶしいいのちの躍動が描かれている(本作を読むとかならずアイスティーを飲みたくなります)

 奇跡の物語が語られることで、本作は大人のための寓話の様相も帯びる。

「まだ心は見つからないのかな?」
「あのね、心は見つけるものじゃなくて、あるものなんだ。なのに、僕にはそれがないんだよ」(p88)

 カン・チャンスについて話す慶次郎を見ていて、子供のころに見たディズニーのアニメ『ピノキオ』を思い出した。(p174)

 チャンスはこのとき血なまぐさい世界を生きる殺し屋というよりも、心ももった存在がほんとうに幸せになることができるのか、そんな希望を託された寓話の主人公のように読めてくるのである。

 だが彼は殺し屋だ。それがギリシア悲劇の如き峻厳な宿命へと進ませる。

はっきりとわかったことが一つあった。私は、幸せになってはいけない人間だ。そのことだけは疑問の余地がなかった。(p257)

 それは読者の結論でもある。この疑問の余地のない事実がどこに逢着するかぜひ読んでほしい。どんでん返しのミステリーシリーズもののアクションの魅力が爆発しチャンスの奇跡の物語にふさわしいラストを迎えるのだ。

 本書は、裏社会のチャンスが世間の注目を浴びる「事件」が起きる「第一章」、心の奇跡が起きながらそれが悲劇の開始でもある「第二章」、チャンスがもう1人の孤独な男と出会う「第三章」、ふたたびヤクザが暗躍する終結の「第四章」で構成されている。最初から面白く、章をおうごとにぐんぐん面白くなっていく大傑作です。

 総括すると、『神様の贈り物』は贈り物がイコール銃弾であるという聖性と暴力が同時にふきあがるエンターテイメントで、寓話のような深さをたたえて心にひびく物語だ。ちなみにさらに、本作はコメディとしても読める。

 俺はチャンスを恐れてなんかいねえ。ヨモギタの爺いはなんにもわかっちゃいねえんだ。手が震えたのだって恐怖のせいじゃない。怒りで震えたんだ。柾木は強くそう思った。(p144)

 血に飢えた殺し屋「柾木」。彼ははっきり極悪人だが、うちつづくチャンス憎しのリアクション芸にくすりと笑ってしまう。彼は木内作品のジャンル分け不可能なノンストップエンターテイメントの大切な1ピースだと思う。

(「柾木」という殺し屋は木内作品の最新刊『小麦の法廷』に登場している。手塚漫画でいうところの「ロック」か「ランプ」のような存在ともいえるかもしれない。読者にも作者にも愛されたキャラクターなのだ。)






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