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《大学入学共通テスト倫理》のための墨子

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。墨子(墨翟)(前470頃~前390頃)。キーワード:「墨家」「非攻」「兼愛」「交利」「鉅子(きょし)」主著『墨子』

これが墨子

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戦国の時代に、儒教を追いおとす勢いでひろまった「墨家」の創始者です。しかし、秦漢の時代に急速におとろえその後2000年ほど絶滅状態になりました!

📝墨子の最近の話題はこれだと思います!

改编自日本作家酒見賢一的同名小説《墨攻》(曾被改编為漫畫,香港出版時名為《墨子攻略》)(フリー百科事典「維基百科」、墨攻(電影)のページから引用)

「日本の作家酒見賢一の同名小説『墨攻』を原作としたもの(それ以前に漫画化されており、香港で出版した時の名は『墨子攻略』という)」が拙訳。2006年の日中韓合作の映画『墨攻』の記事です。説明を略しますが、香港スターのアンディ・ラウが主演の映画が作られる思想家が墨子です!(と形容してみましたが、アンディ・ラウが演じる主人公は墨子自身ではなく墨者の「革離」です!!)

📝墨子は世界で初めてこの《正義》を真剣に批判した思想家でしょう!

もし一人の人間を殺せば、これを不義といい、一つの死罪を犯したものとされる。(略)いま他人の国を攻めるという大きな不義を働く者が現われても、これを非難することを知らないばかりか、かえってこれを誉めて正義であるという。

一人を殺さば之を不義と謂ひ、必ず一死罪有り。(略)今大いに不義を爲して國を攻むるに至りては、則ち非とするを知らず、従ひて之を譽め、之を義と謂ふ。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p53から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p215から引用、ルビを全て略した)

これが墨子の「非攻」。おそらく墨子は世界史上ではじめて戦争の正義を否定した思想家です。人民の命を失い、多くの財貨を浪費する戦争というものを社会の正義ではないと断定しました。「殺一人謂之不義、必有一死罪矣。(略)今至大爲不義攻國、則弗知非、従而譽之、謂之義。」

📝墨子は戦国の時代にあって戦乱の大本をこうつかみました!

乱は何から生ずるか。それは相愛しないところから起るのである。

亂の何に自りて起るかを察するに、相愛せざるに起る。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p26から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p171から引用、ルビを全て略した)

これが墨子の「兼愛」①。互いに愛しあっていればいさかいは起きないはずと言っています。すごくまともな正論です。「察亂何自起、起不相愛。

📝墨子の「愛」のイメージを押さえましょう!

他人を愛する者は、他人もこれに感じて愛するようになり、他人を利する者は、他人もこれに感じて利するようになる

人を愛する者は人も亦従ひて之を愛し、人を利する者は人も亦従ひて之を利し
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p34-35から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p181から引用、ルビを全て略した)

これが墨子の「兼愛」②&「交利」。愛によるプラスの行為や好意が自然と同じプラスの反応を引き出し平和を生むと言っています。たしかに、恋愛以外は大体そうかもしれません! ところで「兼愛」と「交利(互いに利益を与える)」とは、墨子もセットで用いたように「兼愛交利(博愛し互いに利益を与える)」の四字熟語として日本語でも定着しています。「愛人者人亦従而愛之、利人者人亦従而利之」

📝社会の平和のための愛はここまで行きます!

兼愛の立場をもって、別愛の立場に代えなければならない(略)もし他人の国のためにすることが、自国のためにするのと同じ心になれば、誰が自国の力をあげて他国を攻める者があろうか。

兼以て別に易ふ(略)藉し人の國の爲にすること其の國の爲にするが若くならば、夫れ誰か獨り其の國を挙げて以て人の國を攻むる者あらん哉。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p39から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p190-191から引用、ルビを全て略した)

これが墨子の「兼愛」③。愛する人とそうでない人をわける「別愛」の立場を超えて、家族も、郷土も、国家をも超えて人間を平等に愛する「兼愛」の立場にたたなければならないと言っています。「兼以易別。(略)藉爲人之國若爲其國、夫誰獨擧其國以攻人之國者哉。」

📝漢字も墨子の「兼愛」を語ります!

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「兼」の字のなりたちは、2つの稲を1つの手が伸びてつかむ象形です。そうして「兼愛」は「他人の愛も兼ねる愛」の意味をもちます。1人1人に肉親や身近な人への愛がある。その他人の愛と自分の愛を兼ねるとき、全ての他者が自分にとって大切な人となる。墨子の兼愛は、1人1人を自分と平等な存在として愛するのでなく、全ての他者を愛するあの人と同じとする博愛と言えます!(また「兼愛」は儒教の「仁愛」を踏まえ、それを乗り越えようとしたものと考えられます。中国史に突如「博愛」が生まれたというより、「仁愛」を戦争解決のツールと用いようとするとき、墨子は「兼愛」という論理的かつ感動的な必然をつかんだと言えるでしょう!)

📝墨子の「兼愛交利」の対象は人にとどまりません!

もし自分が天の欲することをしたならば、天もまた自分の欲することをしてくれるだろう。

我天の欲する所を爲さば、天も亦我が欲する所を爲さん。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p93から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p288から引用、ルビを全て略した)

これが墨子の「天志」。天もまた愛や利に応えてくれる存在と扱っています(また、「法儀」篇などを覗くと、天の「兼愛」がこの世界を作ったという発想もあるようです)。墨子の「天志」は義をもつものを大切にし、不義のものを罰するというもの。「鬼神(死者の霊)」も同じ役割で登場します。信仰心として素朴に感じられるため、墨子が思想を人々に説得するための方便だとする研究者もいるくらいです。「我爲天之所欲、天亦爲我所欲。」

📝墨子は万人の平和を真剣に求めた思想家です!

飢える者が食を得ず、こごえる者が衣を得ず、労苦する者が休息を得ないことであって、この三つは民の大患である。

飢ゑる者は食を得ず、寒える者は衣を得ず、勞する者は息を得ず。三者は民の巨患なり。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p144から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p370から引用、ルビを全て略した)

万人が平和に生きるため、世界に常のようにある「大患」をまっすぐに見据えています。「飢者不得食、寒者不得衣、勞者不得息。三者、民之巨患也。」

📝「大患」を乗り越えるために、あきらめの運命論を拒否します!

運命論というものは、昔の暴王がこれを創作し、困窮の民がこれを祖述したものである。(略)努力すれば必ず治まり、努力しなければ必ず乱れ、努力すれば必ず安らかになり、努力しなければ必ず危うくなる

昔者暴王之を作り、窮人之を術ぶ。(略)強むれば必ず治まり、強めざれば必ず亂れ、強むれば必ず寧く、強めざれば必ず危し
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p162,163-164から引用/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p409,412から引用、ルビを全て略した)

これが墨子の「非命」。無能な王が失策の口実にして、無力な民衆が絶望のあまり受けいれた運命論を、全力の努力によって否定しています。「昔者暴王作之、窮人術之。(略)強必治、不強必亂、強必寧、不強必危。」

📝個の特長を生かす分業は肯定しています!

弁論のできる者は弁論するし、書物に書かれた道理を説く者はその道理を説き、仕事のできる者は仕事に従う

能く談瓣する者は談瓣し、能く書を説く者は書を説き、能く事に従ふ者は事に従ひ
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p181から引用/『新釈漢文大系 墨子下』(山田琢著、明治書院)p589から引用、ルビを全て略した)

墨子の墨家集団がまさにこれで、「鉅子」と呼ばれるリーダーに率いられ、交渉、学問、実務などのグループに分かれた統率のとれた集団だったそうです。あくまで守備のためですが、小国におもむき専門家として軍事に従事したグループもいます。また、『墨子』の「備城門」などは完全に兵学書です。「能談瓣者談瓣、能説書者説書、能従事者従事」

📝墨子は論理性でも有名な存在です!

議論するためには三つの表(しるし)、すなわち三つの基準が必要である。(略)それは、これを本(もと)づけることと、これを原(たず)ねることと、これを用いることである。

言に必ず三表有り、と。(略)之を本づくる者有り、之を原る者有り、之を用ふる者有り。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p151から引用、ただしルビをパーレンに入れる改変をした/『新釈漢文大系 墨子上』(山田琢著、明治書院)p384から引用、ルビを全て略した)

過去の事例に基づくこと。現代の人びとの認識を確かめること。現実にそれを適用した結果を考えあわせること。かなり緻密に考えられた正しさの定義だと思います。ちなみに、森三樹三郎氏が省略した『墨子』の「経」「経説」あたりの論理の厳密な適用のしかたを古代の「論理学」と評価することもあります。「言必有三表。(略)有本之者、有原之者、有用之者。」

📝最後に、墨子の好きな言葉を引用させてください!

いまここに十人の子供をもった者があるとしよう。そのうちの一人だけが田畑を耕すだけで、あとの九人はみな遊んでいるとすれば、その耕している一人はそれだけ余計に仕事にはげむ必要がある。なぜなら、食う者が多くて耕す者が少ないからである。

今、此に人有り、子十人有り。一人耕して九人處らば、則ち耕す者、以て益急ならざる可からず。(略)則ち食ふ者衆くして耕す者寡ければなり。
(『墨子』(森三樹三郎訳、ちくま学芸文庫)p193から引用/『新釈漢文大系 墨子下』(山田琢著、明治書院)p608から引用、ルビを全て略した)

「苦しみながら義をおこなうのをもうおやめになったらどうですか?」と人に問われて、いま義を行う者が少なければ苦労は当然だと応じています。こんな感じで、無理解や逆風をものともせずに、世界に義を実現することに邁進した活動的な思想家、それが墨子です!「今有人於此、有子十人。一人耕而九人處、則耕者不可以不益急矣。(略)則食者衆而耕者寡也。」

あとは小ネタを!

2010年の鳥人間コンテストに参加した中国の模型飛行機会社は、人力飛行機に「墨子」という名前をつけた。きっとこれは、『墨子』に登場する「三日間地上に降りることなく飛びつづけた鳥の模型」に因んでいると思う。

堅く守ることを意味する「墨守」。この言葉は、墨子が9回守り抜いて国攻めの無益を説得したシミュレーションから生まれている。「兼愛」のひと墨子は、愛する他者を守る強さをもっていたと言えるかもしれない。

↪「公輸篇」から。墨子は宋を守るために、宋を攻める新兵器を作った工人公輸盤を説得し、続けて公輸盤とのシミュレーション戦闘で9回勝って楚王を説得しています。中国の文学者魯迅は「非攻」で、日本の小説家の酒見賢一氏は『墨攻』でこの場面を扱います。そして、墨子(と墨者)の名声でなく、正義のために尽力する姿をそれぞれ魅力的に描いています。

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