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SkyLakeおじさんのこれまで

 お疲れ様です。
ベルクカイザーをこよなく愛するSkyLakeおじさんです。
元A級ライセンスのボクサーだったり…日本では数百人しか居ない超大型建設機械のオペだったり…見た目が北斗の拳のモブの分際で家庭的だったり…地味にお絵描きが上手かったり…我ながらよく分からないホモサピです。

 来歴としてはこんな感じでしょうか?

198X年9月、東京の武道家と岡山の実業家令嬢の長男として生を授かる。
2001年2月、一人暮らし。
2002年9月、プロボクサーへ。
2007年4月、JBCと揉め、プロボクシングライセンス返上。
2007年5月、後援の建設会社へ就職。
2010年3月、OJTソリューションズを招聘する意識高めの会社に転職。
2016年3月、祖父が興した町工場へ。副社長の立場に。
2016年8月、サリールちゃん誕生。
2020年2月、父親との経営方針の違いから退職。サリールちゃん休眠。
2020年9月、半年振りの就職。営業マン。
2021年3月、世界戦略チームのリーダーへ抜擢。独立法人化へ進む。
2021年6月、9か月振りの退職。同月転職。

 う~む。思い返してみると火種になっていることばかり。。。

15歳で一人暮らし(年齢がバレる)

 経営者として一定の成功を収めた祖父の庇護の下、金にならない武道家の師範代まで登りつめた父親。生活費は祖父が捻出しておりました。強い父親に憧れを抱いた気持ちも否定しませんが、幼心に何だろこの家( ´Ꙩᾥꙩ` )…?という気持ちでしたね。そしてその武の道を僕にも強制させようとしてきたのが中学生くらいからでこの時にはもう父親と袂を分かつ決心をしていました。
 しかし、自分の思うように事は運ばないのが人生。
高校入学間もなく、同じ中学の友人が3人の不良によるイジメの標的に。やめるよう注意すると「お前も的にするぞ。」というお言葉を賜りましたのでそのままバトルモードへ。見た目が怖かったので本気で殴りました。身体を鍛えていない不良ほど威圧感とのギャップが激しい生き物は存在しません。眼窩底骨折、鼻骨骨折、下顎骨骨折。不良3人共いずれか1つ2つの外傷を負ったようです。イジメをしていたということで彼らは2週間の停学。僕は無期停学。イキリオタクの妄想みたいですね。

勘当

 イジメを助けたということで署名活動や地元紙に議論を求める記事が載ったようですが、情状酌量されることはなく。そして、父親からは崇高なる武の道に暴力は許されないと、勘当宣告。
 元々、袂を分かつつもりでいたので勘当そのものにショックは少なかったものの正直悲しかった。弱きを守れという教えが確かにあった筈…手の届く範囲で友人が困っていたから助けたのに…2~3か月間はヨヨヨ…と打ちひしがれてた気がします。それでもいつまでもネガティブでいたらおまんま食えません。
 収入を得る為、全日制高校は辞め、通信制高校へ編入。無期停はインタラプトされました。学費も自腹だった為、新聞配達、古着屋、魚屋のバイトを掛け持ちする日々日々日々…人に夢と書いて儚い…まさに俺のようだ…とやさぐれ高2ボーイになっていたある日、魚屋の社長に「お前はプロボクサーになるべきだな。金出してやるからジム行ってこい!」と声をかけて頂いたことが転機となりました。ジム通いから数か月後の17歳の誕生月、無事、プロボクサーのC級テストに合格しました。

色々あった17~22歳

 プロボクサーとなった17歳。
プロになれたことも報告出来ぬまま、出資してくれた魚屋の社長は急逝。急展開過ぎます。北辰水産の故石戸社長には感謝しきれません。
遺言なのか「過酷なボクシングと魚屋が兼ねられる筈も無し。」という短い手紙と退職金の名目で当面の生活費になる大金を残して僕の新たな門出を祝ってくれました。泣きましたよ~。ボロ泣きですよ(°´ω`°)…

書くの疲れたw

 経営者として必要に駆られて始めたTwitter。
いつの間にか中の人としてコンサルタントのような立場になってお仕事を頂くこともチラホラ。恐縮です。でも、必要だから始めただけであって僕は専門家でも何でもありません。恐縮なのです。


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