言葉は話すためにある ー勉強だけではもったいない! #2
第2回 モンゴル国への旅行で感じたカルチャーショック
青木隆浩(言語学者)
1.「モンゴル国」と「内モンゴル自治区」の違い
前回は内モンゴルでの出会いを紹介しましたが、今回はモンゴル国についてお話しします。
モンゴル国と内モンゴルは混同されやすいのですが、「モンゴル国」は独立国で、著名な力士を多く輩出しています。一方の「内モンゴル」は中国の領土内にある民族自治区を指します。
では、なぜモンゴル民族は国をまたいで居住しているのでしょうか。
ここで少し歴史を紐解いてみましょう。
13世紀にチンギスハーンとフビライハーンがそれぞれモンゴル帝国、元朝を建て、ユーラシア大陸の大半を支配しました。ところが、明朝になるとモンゴル民族は漢民族に支配され、清朝では満州族の支配下となりました。
1911年の清朝崩壊(辛亥革命)でモンゴル民族に独立の兆しが現れ、1924年には北半分がソ連の支援を受け「モンゴル人民共和国」として独立しました。一方、南半分は清朝の後継国である中華民国に支配され、その後は中華人民共和国の自治区として現在に至ります。
2.モンゴル国は入国も一筋縄ではいかない
2006年、私は初めてのモンゴル旅行に出かけました。北京経由でウランバートルへ向かう中国の航空会社を利用したのですが、「現地が悪天候」ということで、北京で半日待たされました。
夜遅くにようやく現地へ到着すると、友人が「ずっと晴れていたよ」と言うではありませんか。その後もたびたびモンゴルを訪れましたが、モンゴルの航空会社を利用するとスムーズなのに、中国の航空会社を使うと「悪天候」による遅延が発生するという「謎の規則性」がありました。
これはあくまで勝手な憶測ですが、モンゴルで空港が混み合うなどした際、歴史的に複雑な中国便は「後回し」にされるのかもしれません。
3.旧ソ連の街並みが残る美しい街
モンゴルは社会主義時代にソ連の影響を強く受けて発展したため、ロシア風の建物が多く残っています。
中でもひときわ目を引くのが、ウランバートルの中心部にある「国立オペラ劇場」です。まるでギリシャ神話に出てくる神殿のように立派な佇まいでありながら、壁面がピンク色で彩られ、かわいらしさを添えています。
実はこの劇場は、シベリア捕虜となった日本人抑留兵らの手によって建てられたのです。このように、中央アジア各国には、日本人捕虜によって建てられた建築物が数多く残っていると言われています。ウランバートル市の郊外には、モンゴルで命を落とした日本人捕虜の慰霊碑も残っています。
4.夜道には気を付けて!
ところで、モンゴルを訪れるたび、現地の人から異口同音に「夜は出歩くな」と言われます。夜は酔っ払いに絡まれたり犯罪に巻き込まれたりする危険があるからです。
私自身、現地でヒヤリとしたことがありました。
夕方(夏は20時ごろまで明るい)バスに乗っていると、酔っ払った男性が私をじろじろ見ながら、
「お前日本人か? 韓国人か? モンゴルに何しに来やがったんだよ?」
と言い、急に私の肩を突き飛ばしたのです。幸い怪我はありませんでしたが、突然の出来事に心臓の縮む思いをしました。
興味を持って訪れた国でよそ者扱いされるのは、精神的にこたえます。
5.大国にはさまれた運命
しかし、このようなトラブルが起こるのには、社会的要因があるようです。
社会主義時代は仕事や食料など基本的な生活が保障されていましたが、民主化以降、職を失う人が続出したのです。その問題は現在でも完全には解決されておらず、アルコール依存症や犯罪に走る人を生み出しているのかもしれません。
そのような社会情勢にあっても、多くの人々は祖国を愛し、国をより良くしたいと願っています。中国とロシアという大国に挟まれ、歴史的に翻弄されてきたモンゴルだからこそ、強い愛国心とプライドが形成されたのでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?