もはや時間はない

宮崎駿の『君たちはどう生きるか』を観た。

面白かったのかどうからよく分からなかった。

ストーリーも描写も完全に理解しきれたとは言えない。

理屈で考えると意味がよく分からない部分がいくつもあった気がする。

でもこの映画に込められたメッセージは大波のように直撃してくる。

一切を隠すことなく思い切り放たれている。

「面白かったのかはよく分からなかったけど
メッセージはよく分かった」

見終わった後の感想は率直にそんな感じだった。

家に帰った。

部屋の掃除をして、食事をした。

何かが頭の片隅に残っている。

この映画の残り香みたいなものがだ。

印象的なシーンが脳内にリフレインするとか、そういうのとはまた違って、自分の内側の片隅に一塊の煙みたいになってこの映画が解き放ってきた何かが滞留しているのだ。

常に、この映画が自分の片隅に在り続けていた。

時間が経つにつれて、何だかだんだんそれが大きくなってくる。

あれ?ひょっとしたら、ものすごい作品を観たのでは?

そう思い始めてきた。

本当に素晴らしい映画というものは、見終わった後に、観客の中に何かを残すんだと思う。

単純な面白かったという感想とはまた別の、引っ掛かりみたいなものをだ。

その引っ掛かりというのは、自分が生活していく上での、何かの指標や支えになったりするんじゃなかろうか。

10年前、『風立ちぬ』が公開されていた。

今より10歳くらい若かった僕は、その作品も映画館で観た。

そして感銘を受けていた。

『風立ちぬ』では、こんなことが謳われていた。

創造的な時間はおよそ10年。
君の10年を力一杯生きなさい。


この言葉に僕は胸を打たれ、あの当時生きる勇気をもらった。

そしてあれから10年経った。

『君たちはどう生きるか』では別のメッセージが届けられる。

それも、『風立ちぬ』の時のように静かな言い方ではなく、宮崎駿が必死になって期待と希望と諦観を同時に抱きながら叫んでくる。そんなふうに僕には感じられた。

あの時、生きる勇気を貰って、それから10年。

創造的な時間があの時始まっていたとしても、その芽を咲かせることも出来ず終わってしまったことになる。

そして今。

身体の片隅で大きくなってきたこの何かが、僕の心を満たしている。

ベタだけど、
俺ってこの生き方で良いんだっけ?
といった疑問が支配する。

渦巻くハリケーンのように、今回の映画が残した何かの感覚。心を揺さぶる。強風だ。

僕はしばらく動揺している。

年をとったが、俺の生き方って、

これで良いんだっけ?

このままこの生き方をしていって、本当に良いんだろうか?

何のために命を使っていくんだろうか。

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