見出し画像

35歳の半分を過ぎたということは、30代の後半に突入したということ

僕は6月の大体半ばくらいの生まれで、年齢は35歳になる。

ということは、新年を迎えた今35歳の半分が終わったということだ。

30代の真ん中にあたる35歳の半分が過ぎたということは、正式に30代前半が終わったと言っていいだろう。

そうかそうか。終わったか。

思えば、この5年間は変な意味で厳しい年月だった。

30歳になった当時、僕はまだ前々職、つまり2社前の会社で働いていた。

求人原稿を作るライターとして、企業に取材に行くようになったタイミングがちょうどその頃だ。

ビジネスマナーも何も知らない状態で、初めて外部の社会と正式に関わる仕事は、自分にとって苦労の連続だった。

クレームも受けたし、ミスも沢山した。

それでも1年ちょっとその業務を続けることで、学ぶことはあまりにも多く、その時の経験が今も活きていたりする。

31歳になって少し経った頃、僕はその会社を辞めた。

もう会社員で働くのが嫌になったのだ。

転職は考えず、ランサーズやクラウドワークスなんかを使いながら、フリーランスのライターとして食っていこうとした。

ところが実際に始めると全く食っていけなかった。

速攻で生活に困窮した僕に手を差し伸べてくれたのは、辞めたばかりの会社だった。

業務委託の形で、求人原稿の作成を請け負うことになったのだ。

これのおかげでギリギリ生活費を稼げるようになった。

とは言っても、その会社との業務委託一本だけが頼りでは将来的に心許なさすぎる。

もし会社の業績が悪化したりすれば、発注が切れるのは自明のことだし、そもそも今後何十年とその仕事が続くわけもない。

だから僕はもう一度会社員になろうと転職活動を始めた。

結局、フリーで食っていける腕は持っていなかったのだ。

端から見れば分かりきったそんな事も、自分ではそのタイミングでやっと気付けたような状態だった。


転職活動を進めていく中で、僕はあること気付く。

ひとつは、先に書いた通り『自分に腕が無い』ということ。

もうひとつは、『仕事に対しての自分の考えの甘さ』というもの。

30歳を超えていながら、社会的な価値が自分には全く無い。

それなのに、自分は仕事に対して熱を持っていない。

これではこの先、数年~十年ぐらいの間に、間違いなく食いっぱぐれるだろう。

僕はそう感じた。

だから、もっと仕事に対して真剣にならねば、と考え直した。

そんな時、先の会社の先輩からある連絡が届く。

業務委託の発注かと思えば、そうではない。

「欠員が出るから、もしよかったら復帰しない?」

というものだった。

出戻りはなんかみっともないな、と思い悩んだけど、結局僕は戻ることにした。

「今度はもっと真剣に、前向きに働いてみよう」

謂わばリベンジの心持ちだった。


そうして32歳になる頃、僕は辞めた会社に復帰した。

辞めてから1年ほど経っての出戻りだった。


ちなみに復帰するまでのその1年程は、既に書いたように一応フリーで生きていた。

元々出不精な性格だから、家で仕事をしていたその時期、僕は本当に人と会うことが無かった。

人を対面するのは、買い物先とか美容院とかくらい。

こんな長期間一人で生きるのなんて、生まれて初めての経験だった。

元々人付き合いが好きではないから余裕だと思っていたけど、実はこれがめちゃくちゃキツかった。

毎朝目が覚めると、最初に天井が見える。

「あー、今日もまた始まるのか」

と思い、心が一気に暗くなる。

みんなは職場とかに出て、人付き合いを重ねて生きている。

そんな中、自分は狭い部屋で、誰に見られることもなくただその日を生きる。

収入も少ないから遊びや旅行に行く余裕なんて当然無い。

収入や将来への不安を抱きながら、誰とも喋らず家で仕事をして、近所のスーパーに行って買い物をし、ご飯を食べ、また寝る。

無言の生活があんなにしんどいとは思っていなかった。

当時は本当に毎日が虚しくて、結構本気で頭がおかしくなりそうだった。

たぶん、ていうかほぼ確実に、こういうのに耐えられないような人間はフリーランスに向いてないだろう。笑


そんな経験をしていたから、会社に復帰して、先輩なんかと雑談しながら働ける環境に戻ったことは、精神衛生上ポジティブに作用した。

仕事にも少し前向きに取り組めるようになり、社内の研修に自主的に参加したりもしてみた。

そして年が明けた。

そうしたら世の中が変わった。

コロナが世界に蔓延った。

年明けの1月、まだコロナのことなんて身の回りにいる誰一人気にしていなかったこの時期、ミーティングの場で僕の所属しているチームが2か月後に解散するという旨が上司から発表された。

理由は、発注元との契約更新がされないことが決定した為。

ようするに僕の作っていた求人媒体の媒体社と、3月末で契約終了することになったとのことだった。

そうなれば当然ながら僕のいたチームは業務が無くなるわけで、そんなチームは会社に必要ないわけで、ということは解散ということになるわけで。

チームメンバーは、3月以降は別部署に異動になり、異動先はバラバラになるだろうとのことだった。

メンバーはそれぞれ自身の中で選択を迫られていたはずだ。

異動か、転職か。


実際に何人もが3月のタイミングで退職していった。

会社に残って、別部署に異動したメンバーも勿論沢山いたけど、半分ほどは去っていった。

僕も転職することにした。

でも決断するのが遅かったため、4月から一旦別部署に異動して、別の求人媒体のライティングをすることになり、退職は6月末ということで決定。

3月~4月。

この時期何が起きたかというと、言うまでもない。日本でコロナが一気に流行し、緊急事態宣言が出された。

僕のいた会社も完全在宅勤務に切り替わり、異動したばかりで次の媒体のルールなんかも何も把握していない僕は、戸惑い100%の状態で在宅勤務を開始した。

ZOOMが世間に浸透したのがこの時期で、業務での取材もZOOMを使ったリモート取材に変わった。

家に居て、終業後でもいつ社用携帯にお客さんから電話が来るか分からない状態に僕は慣れておらず、とても緊張し疲弊していた。


6月になって、そんな状態ともおさらば。

コロナ禍真っ最中にも関わらず、僕は会社を飛び出し、不安定極まりない身に逆戻りした。

その夏は転職活動をしながら過ごし、いくつもの会社の面接を受けた。今でも記憶にとても強く残っている夏だ。


幸いなことに9月には新しい就職先が決まり、僕の新生活が始まる。

ところがどっこい、この会社の業務内容や仕事の進め方が僕の性格には恐ろしく合わなくて、10月の頭には、会社に行くと左側腹部が痛くなるという、どう見てもメンタルから来てる体調不良に悩まされる状態へ直行した。

詳しくは言えないけど、詐欺ギリギリを突く合法的なネットサービスのライティングということもあり、社会貢献度ゼロのこんな仕事をこんなストレスフルな環境でやってられるか!と勝手に怒った僕は10月半ばで退職した。

会社には連絡して、退職手続きもちゃんと踏んだけど、ハッキリ言って飛んだのと大差ない辞め方だ。

30歳過ぎてこんな退職の仕方をするとは思ってもみなかった。笑


33歳。10月後半~11月。

無職に戻った僕は、カードローンもしながら転職活動を再開した。

この時期のことは一生忘れないと思う。

11月、親友の一人が病気で亡くなった。

悲しさと喪失感と絶望感で思考停止状態になった僕は、物事を深く考えることをやめて、転職活動を続けた。

11月の下旬に転職先は決まり、12月から入社することに。

入社初日、業務を終えての帰り道、電車を降りて歩きながら、亡くなった友人のことを考えていた。

亡くなる直前まで電話で色々な話をしていたから、そのことを思い出し歩いた。夜の帰り道、涙が止まらなくなった。


この会社では今も働いている。

入社してから2年とちょっと経つけど、その間に世の中も色々変わったし、社内でも多くの人が辞めて、多くの人が入社して、顔ぶれも変化した。

僕が入社した当時、面倒を見てくれた同じ部署の先輩は今は一人も残っていない。

なんなら入社当時に所属部署で働いていた人間のうち、今も残っているのは僕だけだ。

この状況になったのは去年の半ばくらいから。頼りにしていた先輩たちがほぼ同時期にいきなり辞めていった。

部署の業務を最も長くやっているのが、入社1年半の僕というとんでもない状況になり、必然的に僕はリーダーのようなポジションに立つことになった。

やり方すら分からない業務にも手をつけなければいけなくなり、それはやっぱり中々大変だった。

でも周りの人たちや後輩、上司や他部署の方々が支えてくれて、何とかやってこれた。

まさに2022年の6月、35歳になったちょうどそのあたりからの怒涛の半年だ。

あまりにも重く大変で、長いけどあっという間の半年。

それが過ぎ去った。


そして2023年になり、僕は30代の後半に突入した。


書いてみて改めて思ったけど、この5年、僕は人間関係において深い関係性というものを全く築いていない。

社交的でないとはいえ、こんなことは初めてだ。

当然彼女もずっといない。

ある意味、この5年は一人で生きてきた、という感覚がとても強い。

その代わりに、この5年僕は小説をちびちびと書いてきた。

プロの作家になりたいと思い、それだけが30歳以降の唯一の目標で、その目標だけがあれば生きるのには充分だと感じていた。

ところが結果は出なかった。

自分に才能が無いということを学んだ。

だから僕は2022年の1年間を掛けて、ずっと考えてきた。

この先も書き続けるのか?

才能が無いのだから、自分が小説を書く必要なんてないのではないか。

去年の前半は挫折感なんかもあって、まったく書けない状態にもなった。

虚無感に支配されて、一度は本当に「もうやめよう」と思った。


でも、やめることをやめて、また書き始めた。

以前までは受賞を目標に書いていたけど、今はもう賞を取ることにはあまり興味が無くなった。

投稿はするけども、受賞を目標にするのはやめた。

自分が目指している小説の像というものがあって、それに近づくために書きたい。それが今の正直な気持ちで、そんな小説の完成が今の目標だ。

こんなふうに気持ちが切り替わったら、なんだか少し楽になった。

最近は、小説を書くのが気楽だ。

前までは執筆をしていて「(スポーツを久しぶりにやった時みたいな感覚の意味で)気持ちいい」と感じることはあっても、楽しいと感じることは無かった。

それが最近はちょっとだけ楽しい。

好きこそものの上手なれとはよく言うけど、もしもこれが趣味にでもなったら最強だ。


だから最近は心が少し軽い。

仕事や生活は大変で、気が滅入る毎日だけど、根本にある心は以前よりも軽い。

30代後半を、こんな心持ちで楽しく生きられたら最高なのにな、とも思う。

そうなれるようにするのが、今の生きる上での目標かもしれない。

好きなことをやって生きたいな、と思う。

それから、この5年全くといっていいほど築いてこなかった、人との深い関係性も結べるようにしたい。

一緒に人生を歩いて行ける人との関係を築きたいなと思う。


僕の人生の最終的な目標は、社会の一歩外に出て、ふわふわと気ままに生きることなんだけど、それよりもっとずっと手前の目標としてはそんなところを見て、2023年及び30代後半を生きていきたいと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?