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「絶対おいしいやつじゃん」の暴力性

「絶対おいしいやつじゃん」という言葉を数年前から聞くようになった。友人がよく言っていたのだが,それを言われるたびに妙な違和感というか,反発心を抱いていた。

べつに日常会話のひとつであり,取り立てて目くじらを立てるようなことでもないのだが,一度違和感を持ったらなかなか離れられない性分なので仕方がない。私は「絶対おいしいやつじゃん」と言われてなぜ違和感を覚えるのだろうか。

1つは,心のどこかで「おいしいかどうかは自分が決める」と思っているからである。人それぞれ感じ方が違うのに,なぜ他人においしいかおいしくないかを決められなくてはならないのかと考えている。

いや,実際は「絶対おいしいやつじゃん」と言われたときにおいしくなかったことはない。それはほとんど当たり前の話で,料理の腕が良いと分かってる店にしかほとんど行かないからだ。日常で新たにお店を開拓するようなことは滅多にしない。だからおいしいに決まっているのだ。

つまり,「絶対おいしいやつじゃん」と誰よりもまず自分が思っている。だから,他人にこれを言われると,わざわざ分かっていることを言われたときの何とも言えない逆に反発したくなる感じに近いのかもしれない。小学生で言えば「今やろうと思っていたのに!(やる気なくなった)」という感覚だ。

とはいえ,「おいしいかどうか判断する権利」を事前に奪うのはやめてほしいという気持ちは持っている。

2つ目は,「頭で食べてるな」という印象を持ってしまうからだ。どういうことかというと,味覚に触れさせる前に「おいしい」と判断しているため,その人は「頭で食事している」と思うのだ。これはおそらくその通りなのだとは思う。

料理が出てきて,目でその料理を見て(視覚),匂いを感じ(嗅覚),例えば石焼のようなものなら耳でおいしそうな音を感じ(聴覚),箸などで触った感じを確かめて(触覚),口へ運ぶ(味覚)。食事とは五感をフルに使う活動であり,その感覚は結局脳で処理されるため,人は「頭で食事している」と言っても差し支えない。

差し支えないのだが,やはり味覚で味わうものだという自分の頑固な感覚もある。それに,口(嗅覚は切り離せないが)で味わうという食事の最終ステップを経る前に「おいしい」と言ってしまうのは,どうしても横着のような気がしてしまうのだ。

いや,実際はもうメニューの写真を見ただけで「おいしい」と思ってはいる。むしろ,写真がなくても字面だけで「おいしい」と思う時もある。私の場合は本来,「バター炒め」や「炭焼き」という字面だけで「おいしい」と感じられる人間である。まさにこの文字を打った今も唾液の量が増えた。

このようにほとんど誰よりも横着者だからこそ,最後まで味わわせてほしいと思うところはあるかもしれない。

最後になるが3つ目に,「絶対おいしいやつじゃん」の「おいしい」と,私の「おいしい」は果たして同じかどうか疑わしいということである。

これは「おもしろい」という形容詞が「笑える」「こわい」「悲しい」「壮大だ」など様々な属性の形容詞の総体として使えるということと関連する。笑える映画を観ても,ホラー映画を観ても何を見ても「ああ,おもしろかった」という形容詞は使えるということである。そういう意味で,「おもしろい」は抽象度が高い。

「おいしい」にも同じことが言えると思う。私は好き嫌いがないのだが,ある人からすると不思議らしい。ある人はチーズは「臭くてまずい」らしいのだが,私の場合は「臭い枠でおいしい」と思っている。べつにどちらがいいという問題ではなく,捉え方の問題である。同じように,「辛い枠でおいしい」ものもあれば,「甘い枠でおいしい」ものもある。不思議と今まであまりまずいものに出会ったことがない。もしかしたら無意識に「まずい枠でおいしい」という認識をしているものがあるかもしれない。

このように考えると,「おいしい」にも様々な味・感情・体験が含まれており,一概に「絶対おいしいやつ」でくくれないと思えてくる。本当にその人と「おいしい」を共有できているか疑わしくなってくるのだ。

そろそろ「いや,そんな深く考えて言ってない」という声が聞こえてきそうである。それはこちらも分かっている。だからいちいち怒ったり,つっこんだりしないし,「ちょっと待って,その『おいしい』ってどういう感じ?」と聞いたりもしない。それが無粋なことは分かっている。

一方で,何気ない「絶対おいしいやつじゃん」によって,食べて「おいしい」と言うまでに,感情の遠回りをしなければならなくなる人間もいるということを頭の片隅に入れてもらえるとありがたい。一旦「むっ」と身体が硬直し,しかし空気を壊さないように,自分も食事を楽しめるように体勢を立て直すということをしなければならない人間もいるのである。

このような理由で,タイトルにある通り「絶対おいしいやつじゃん」には軽い暴力性を感じるのである。こちらの気分とは関係なく「おいしい」を強要する悪魔のセリフである。べつに言われてからといって嫌いになるとか,料理がまずくなるとかといったことはないのだが…。

これはもう少し細かく見れば,「絶対」という言葉への忌避感である。他者による「絶対」が自我を襲っている。そのまま他者に巻き込まれてしまうことに自我が一生懸命に抗っている。

心から「そうだね!絶対おいしいやつだね!」と言えた時,おそらく私の人生は花開くのだと思う。

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