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内側は自由なので遊んでみる。

今週も一週間が始まりました。

共通テストを解いたり,この後本格的に始まる入試に向けて授業をしたり,新たな教材を作ったりとなかなか慌ただしいスタートの日でした。

共通テストについてはnoteで書いておきたいこともあるのですが,それはまた後日。


昨年は,なるべく毎日新しいことをしようと意識していました。
年を取ってくるとやはり新しい経験というのは積極的にやろうとしないと,毎日同じことの繰り返しになりやすいからです。(私だけかも)

授業一つとっても,相手が違うので,毎回新しいことといえばそうなのですが,何か変化を付けたり,いつもとは違うところに注目してみようと思わないと,それなりに似たような感じになってしまうんですよね。

「授業」という「外側」の部分が同じだからかもしれません。

だから昨年は「外側」も違う新しい経験をしようと意識していました。
そうしたら,自分でも追いつかないぐらいの大きな変化の連続で,4月からはまたまったく新しい環境で仕事をさせて頂くことになりそうです。

自分で望んだ変化ですので,しっかりやり切ろうと思います。


今年に入っては,去年から継続してなるべく新しいことを…とは思っているのですが,また一周回って「同じことでも,向き合い方を新しくしてみよう」という気持ちになってきています。

これは言ってみれば,「外側」を新しくするのに対して,「内側」を新しくするということですね。


新しいことをやることが良いと思うのは,新しい経験によって,新しい方向に自分を向けられるからだと思っています。

「外側」で新しい経験をすることは,どんなに些細な経験であっても,それが確実に自分を新しい方向へと導いていきます。

その時は些細な経験のように感じられたとしても,時が経つにつれて,その経験は大きくなっていく。ある程度大きくなったら,やがてそれがつながることに気が付くというような構造になっていると思います。
いわゆる「外適応」ですね。

良いものであれ悪いものであれ,そのようになっているので,言動には気を付けなさいと昔から言われてきたのではないかなあと思っています。

この辺りは時空間の構造を考えていた時にそう思いました。

「内側」で意識の仕方を変えることも同じです。
こちらは最近の記事とのつながりが感じられます。

同じことをやるにしても,向き合い方を変えることで,いつしかそれが「当たり前」になり,以前とは別の自分に感じられます。

そうしたらそれに付随する現象も変化してきますから,「それまでとは違うパラレルに移行した」ということもできるでしょう。

私で言えば,私が慣れきった状態で飽きたように淡々と授業を進めていくのも良し。
その場合,「つまらない」という感想を生むかもしれませんし,「テンポが良かった」という感想を生むかもしれません。

逆に,ライブ感を意識して,生徒とのやり取りを多くしても良し。
その場合は,「楽しかった」という感想を生むかもしれませんし,「進みが遅い」という感想を生むかもしれません。

結果がどうであれ,フィードバックを得て,次の行動に移っていきます。この時も,反省する場合もあれば,しない場合もあるかもしれません。


このように一つの行動からどんどんそれに付随する現象が生まれてきて,それへの対応を繰り返していくのが人生です。

その一つ一つの出来事に対して,自分の内面においては「選び方は自由」と考えた場合,元々とても自由だったんだなと感じます。
逆に怖さもめんどくささも感じます。

「自分の『内側』で新しいことをやっていく」というのは,「元々備わった精神的自由で遊ぶ」ということに近いかもしれませんね。

できるだけ楽しみながらやっていきたいと思います。

最近一気に空気が冷たくなって参りましたので,皆さま体調にお気を付けください。
今日も読んでくださり,ありがとうございました。

(サムネイル:AI画像生成「Liberty / New Experience」。他にも自由の女神が描かれている物が複数生成されたが,そうでないものを選んだ。大航海時代か。なんとなく人類の集合意識を感じる。人が学習させたらそうなるか…。)

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