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コジコジ万博に行って幸せになった話

ゴールデンウィークが終わる。といっても,私の場合は飛び飛びで3日ぐらい休みがあるだけだった。それでも世間が休みなので,気分的にはずいぶんリラックスできた。

今回は一日半を使って奥多摩に自然を愉しみに行っていた。朝の川のせせらぎがとても心地よく,ずっと座ってぼーっとしていた。川の流れを見ても鴨長明のような気の利いた発見は特になかった。

自然に体を任せて十数分リラックスしていると,だんだんと自分の感覚がなくなってきて自然との一体感を感じてくる。不思議と活力がわいてきて,自分も自然の一部なんだという再発見はあった。

奥多摩。パワースポット。受容する心さえあれば。

そのエネルギーをそのまま仕事に…とはいかず,相変わらず合間の仕事はリラックスしながら。こういう状態では何をやっても楽しいと感じる。そう感じられるような幸せな環境にいる。

自然からもらったエネルギーはどこにいってしまったのかというと,コジコジ万博だ。もう今回は特に考えることなく,この記事のタイトルもストレートだ。

小学生の頃からさくらももこさんのエッセイが好きでよく読んでいた。亡くなられたときに「これが○○ロスか…」というのがよくわかった。

休みの前日の夜,東京の立川で開催されているコジコジ万博に行こうと思い立った。ちょうどGWの合間の平日に行けることになったので,当日券を買うために早起きした。

当日出かける準備をしているときは,不思議なもので,子どもの頃にさくらももこさんの新刊を買った帰り道の時と同じ気持ちだった。「早く読みたい!いっそここでちょっと座って読んでしまおうか。いや,やっぱり家でゆっくり読もう」というようなことを考えながら,歩くペースはどんどん速くなり,最後はダッシュしていた。

当日朝の出かける準備中も,気持ちがはやっていつも以上に動きが素早かった。開場時間は決まっているので,急ぐことに何の意味もなかったが。

いわゆる「ゾーン」の状態に入っているような気分で,(ああ,やっぱり好きなことに没頭しようとするのがゾーンに入るコツなんだ)と思いながら,(どうせなら仕事でこういう状態に入りたいよな)というもう一人の自分を抑えていた。

その時にふと思ったのだが,まだコジコジ万博の券も買っていないにも関わらず,そういった幸せを感じさせてくれることで,もう半分以上は満足している。想像だけで相当満足していることがわかって驚いた。もはや何らかの理由で行けなくなっても,それはそれで仕方ないとさえ思えるような幸福感だった。

しかし,べつに何かトラブルが起きるわけでもなく,滞りなく会場に向かっていた。歩くペースはやはりいつもより速く,まったく意味がないのに電車を心の中で急かしてみたりしていた。

会場でのことは幸せ以外何も感じなかったので,特に書くことはない。カップルやファミリー,友人同士で来ている人たちに交じって男が一人,幸せを感じていただけである。

始めは周りを少し気にしながらスマホをさっと出してパシャッと1枚写真を撮ってはすぐポケットにしまっていたりしたが,気づいたらずっとスマホを出してシャッターチャンスを常にうかがうハンターと化していた(原画以外の撮影はOKだった)。

グッズも買い込み,やはり帰り道は早歩き。また無意味に電車を急かしながら,たまにカバンの中の戦利品をちらちら見ていた。帰宅後,購入したグッズと合わせて,これまでのさくらももこグッズを一か所に並べて眺めた。これが何の行動なのかさっぱりわからないが,人間はどんなことでも幸せを感じることだけはわかった。いろいろ考えるのが馬鹿らしくなった。


そういうわけで,とても心の満たされるGWとなった。ちょうどその日に友人とご飯を食べに行く予定があったので,コジコジ万博のことを話した。友人はずっとタブレットを見ながら聞いていて,何を見ているのかと思ったら競馬新聞だった。

「GWって『ギャンブル・ウィーク』じゃないの?」と言う友人を見て,幸福とは何なのかまたわからなくなった。


(サムネイルはブヒブヒの手。Do not touchにも遊び心があって楽しい。)

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