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26w4d 506gの男の子⑨ようこそお家へ
生後約5ヶ月、2020年3月初旬。
体重3316gで、ついに退院。
柊斗は約1年かな…24時間在宅酸素になる。
本来寝室は2階だが、酸素の機械はお風呂などもある1階に置くしかない。
酸素が外せる日がくるまでしばらく、
柊斗と私、もれなくママがいないと寝れないお姉ちゃんも1階で寝る体制を整えた。
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ついに柊斗がお家にやってきた。
5ヶ月おあずけされて母性ばかり育ち、
今までずっとお姉ちゃんしたかった
お姉ちゃんの愛が重いこと!笑
「抱っこしたい!」
「柊斗と写真撮って!」
とノリノリの姉と、助けを求める迷惑そうな弟という写真がこの日からたくさん増えた。
でもやっぱり、毎日家族が揃っている。
毎日面会へ通わなくていい。
我が子が、家にいる。
なんて幸せなことだろう。
発達が遅れるのは、体重が伴わないとしょうがない。
まだ体がしっかりしてない子が歩いたりなんてしたら、それこそ怪我してしまう。
産まれた時に先生が説明してくれたから、もう5ヶ月も向き合ってきた。
そんなことは、どうでもいい。
手遅れになりかねなかった命が、
助かり、頑張り、助けてもらって、
今日我が家にやってきたのだ。
夜泣きしようとなんだろうと、
(よく寝る家系なのであまり苦労してないが)
隣りに我が子の寝顔があるという安心感。
もう、これがすべてじゃないかと思いながら聞き慣れない酸素の機械の音をBGMに、
いつの間にか眠りについた初日だった。
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一瞬だけ実現してあげたらご満悦のお姉ちゃん
退院から1ヶ月、2020年4月。
入院生活が5ヶ月だったので、
もうハーフバースデー!!
まだまだ全然お座りなんてできないので、
ソファに寄りかかって記念撮影。
少し心配していたが、我が家で過ごすことには本当に一瞬で慣れてくれた。
なんとなく家族とか、お家とかわかったのかな。
賑やかなお姉ちゃんがいることも、もう理解した様子。
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酸素が外せないこと以外、特に制限はないので夏にはお家のプールも入った。
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家にいると家族みんなの生活があって、
毎日バタバタ。
あっという間に2020年10月、
1才のお誕生日を迎えた。
この頃やっと体重6kg。
笑いのツボが浅くて、お姉ちゃんが変顔したり「ワン!」と言っただけで笑い袋のようにゲラゲラ笑う柊斗くん。
楽しそうでなにより。
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お誕生日を過ぎた1才2ヶ月頃、
ついに昼間だけ酸素を外してOKに!
ずりばいが上手になって
付けていられなくなった…とも言う。
やっぱりチューブのないお顔はスッキリ♪
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体重が少ないので、
それに合わせて発達の遅れはある。
やっとずりばいから、ハイハイっぽくなったのが1才5ヶ月頃。
最終的に、歩けたのは2才頃だった。
でも昼間は酸素なしで生活できるので、
1才6ヶ月になる4月から、
お姉ちゃんと同じ看護士さんが常駐していない家から近い保育園に通えることになった。
もし酸素が昼間外せていなかった場合、
看護士さんの常駐がある他の保育園に柊斗だけ行くか、私が育休を再延長するかだった。
保育園が2ヶ所になるのは、送り迎えもイベント類も大変だ。
育休の再延長も、できればしたくなかった。
産む時にある日突然なんの引き継ぎも出来ずに入院して迷惑かけているし、すでに半年延長している。
これ以上の延長は、会社にも申し訳ないし育休中の手当てもどんどん減額になるし色々問題が出てくる…。
結果、お姉ちゃんと同じ保育園に行けることになったので、本当によかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1650820509954-C6rpPesTI1.jpg?width=800)
入園する時点では、まだ夜間寝る時は在宅酸素を継続していた。
それも、1才8ヶ月頃に終了できるくらい肺が成長した。
保育園に行けば、もちろん風邪をもらったりするリスクは高くなる。
でも結局、柊斗は第1子ではないので、
お姉ちゃんがもらってきた風邪は大事に大事に家にいても、もらう。
それなら、発達を促す為にも同学年の子たちと一緒に過ごした方がいい刺激になるよね。
というポジティブな我が家の考えのもと、
柊斗は保育園に楽しく通っている。
多少の遅れをあたたかく見守りながらも、
できるだけ他の子と同じように保育してくださっている先生たちに、日々感謝しかない。
振り返ってみて、今思うことは…
柊斗が産まれるまで
パパ·ママ·娘 という個人の集まりのようだった家族が、ママの突然の入院から始まり、
その後のいろいろを乗り越えたことで、
しっかり『家族』という集合体になれた気がする。
そんな功績を成し遂げた柊斗くんは、
今日もポジティブな家族に囲まれて
スパルタ気味にたくましく育っている。
柊斗は右手と右足がほんの少し硬い(動かしづらい)ので、歩けるようになった今もつまづいて転ぶ回数が他の子より多い。
でも、転んだときいちいち泣かないのを、
たまたま見かけた人に驚かれることがある。
「共感してあげることが大事」
とか最近の子育て論でよく聞く。
でも転んだとき、自分でどのくらい痛いか子どもが判断する前に「痛かったねぇ~?」というのは、違うと思う。
ばーばたちは言うけど、そこは黙認。
甘やかしてくれる存在も子どもには大事だと思うから。
それに、柊斗が転ぶ頻度で毎回泣かれちゃってもさすがに困る。
1日に何回泣くんだって話になる。
我が家では子どもが転んだとき、慌てない。
「あはは、なんでそこで転んだのぉー?
大丈夫?お手てパンパンして?
気をつけてね」と言う。
転ぶ→痛い→泣くという流れを最初から植え付けない。
転んだら、次は気を付ければいい。
そんなに痛くないけど血が出たら、
絆創膏を貼ればいい。
泣きたいほど痛かったら、大泣きすればいい。
でも他の楽しいこと見つけて泣きやもうね。
泣いてたって、傷は治らないから。
それって、人生と一緒じゃない?
この対処法は、べつに柊斗だからではなく
第1子のお姉ちゃんの時からずっとそう。
そんなポジティブ家族だからこそ、
今日まで乗り越えてこられたし、
そんな家族だから、私たちのところへ柊斗が来てくれたんじゃないかと思うこともある。
今日までもこれからも変わらない、
ポジティブな我が家。
この子たちが歩むこれからの人生を、
決めつけずに接していきたいと思う。
産科、NICU、GCUを始めとする
医療従事者の方々には本当にお世話になりました。ありがとうございました。
『506gで産まれた小さな男の子ですが、
今日も元気に走り回っています。』
![](https://assets.st-note.com/img/1650821463285-b3VNm1GVr8.jpg?width=800)
•*¨*•.¸¸☆*・゚
本編はこれにて終了です。
突然の懐古出産レポにお付き合い下さり、
ありがとうございました。
本当にただの育児記録で、スタートこそ
大変でしたがその後感動の展開も特になく
すみません…
なにしろ私が特に病まなかったもので 笑
そしてだいぶ駆け足で投稿しました。
正直、深い内容よりスピード重視でした。
焦っていたし、急ぎました。
なぜなら…推しのカムバが迫っているので!
そちらに集中する前に書き終えられて、
本当によかったです。
あと1話 おまけでAfter story りとるスビン編
アップして、本当に完結します。
コチラはヲタクモード復活するおまけです♪
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