孤独。孤独。

どうも最近、僕は心理学というものにすっかり飽きているようで、それなのに、「大学院に進んでしまったから」という理由で、無理やり自分の願望と逆流するように勉強を進めているという嫌いがある。

今日こそは朝型の生活に戻すぞと、昨日の夜はドリエルを飲んで11時に寝たのだが、7時のけたたましいアラームを聞いたとき、体調不良といってもいいくらいの目覚めの悪さを自覚した。
ひとまず、8時まで二度寝をしてみたが、いま接近中の低気圧のせいかわからないが、どうも気分がよくない。結局10:30から授業なのに10:05に起きて、シャワーも食事も省略して2限に向かった。

2限が終わると、僕はそそくさと家に帰った。なんとなく一人になりたかったというのもあるし、ご飯代に金を使いたくなかったので自分で作ろうと思ったのが理由である。
3限は13:15からスタートなのだが、僕の所属するゼミは13:00スタートで、そのことをすっかり忘れていた僕は13:10にゼミ室に到着した。初回のゼミ、しかもガイダンスで再下級生の僕が遅刻。「おめぇのためのガイダンスだろ」と思っている上回生がいるかもしれないと、嫌な気持ちになった。

ゼミが終わった僕は、昨日1秒たりとも勉強しなかった罪滅ぼしへの欲求と義務感に駆られて図書館へ向かった。院生室に行ってもよかったが、上回生の専門的な会話が飛び交う空間がどうも居心地が悪いので、好き勝手できる図書館へ向かった。

僕はいつもどおりポモドーロテクニック(25分勉強+5分休憩を繰り返す勉強法)で勉強しようと思い、イヤホンを取り出そうとしたが、見当たらなかった。急いで家を出たので、優先順位の低いイヤホンは忘れてきたようだ。
イヤホンがない以上、図書館で25分ごとにアラームを鳴らすのも害悪すぎるので、チラチラスマホの時計を見ることで、なんとかポモドーロテクニックでの勉強を開始した。

勉強を始めて、「4時間くらい勉強したかな」と思って時計を見ると、まだ2時間しかたってなかった。僕史上、あまりこういったことはない。授業と違い終わりがないにも関わらず、「早く終われ」といった気持ちになった。「こんな面白くない日々なんて」という主語が含意されていたようにも思う。

来週のゼミで発表になってしまった僕は、今後の研究について話さなければならず、そのためには、今まで読んできた論文を再確認して、序論のようなものを書かなければならなかった。だから、家に帰って印刷をしながらそれを書こうと思っていたのだが、家に帰るとカレーが食べたくなった。心の中のモヤモヤをカレーの辛さで吹っ飛ばしてやろうと。

ちょうどお腹もすいていたので、カバンから財布だけ取り出して、すぐに家を出た。YouTubeをイヤホンで垂れ流しながらカレー屋さんに入った。YouTubeを聞いていたのは、別に面白いからとかいう理由ではなくて、単純に孤独を紛らわすためだった。

カレー完食した後、最初予想していたスッキリ感がなく、まだ心の中にモヤモヤが残っているのを自覚した。イヤホンでYouTubeを垂れ流しにしながら食べたから満足いかなかったのではないかと、少しばかり後悔した。しかし、僕にYouTubeを聞かないという選択はなかった。音を聞かないという心の余裕はその時きっとなかった。それでも「もう少し味わっとけば、大盛りにしておけば」という後悔の念が生まれる。
「そういえば、反実仮想は、過去の事柄について上向きの反実仮想を行うと、ネガティブな感情に苛まれるらしいな・・・、あ、今日実行機能の話が出てきたけど、実行機能と反実仮想は関連してるらしいけど、、まてよ、実行機能ってなんだ・・?」
ぼーっとしてたら僕を束縛している心理学の想像が出てきてしまう。

すべてが義務感。何もすることがないからこそ、何もしないと心を病んでしまうという危機感だけで、心理学をエネルギーの向けどころにしているだけなんだ。

時たま、「心理学やっぱり面白いかも」と思える時があるが、それは躁鬱的に思えなくなる時もある。何が僕の本来の感情なのか思考なのか、さっぱりわけがわからない。
躁鬱気質だと、昨日そうだと思っていたことが、今日は全然そう思わないことがある。だからこそ、僕の感情的な思考は距離を置いて眺めた方がいい。しかしそうやってると、徐々に僕が本来楽しいと思えていることは何なのかわからなくなる。

僕は3月でアカペラから解放された。アカペラが好きでもないのに、いろんな全国大会に行ってしまった。今思い返せば、アカペラサークルの人間はとても好きだったが、別にアカペラそれ自体への関心は著しく低かったと思う。
本当に好きなことに熱中できるのは相当に恵まれていることだと思う。僕は。YouTubeだって、ごめんだけど義務感でやっている。慣れた手つきで無感情にラーメンを作るタイプの店主のような気持ちだ。食べている方は幸せを感じるかもしれないが、僕は無感情に「こういえば動画が成立するよね」という風に、流れ作業でやっているだけだ。

僕の行動はだいたい習慣で成り立っている。何のために生きているかわからない。生物の循環を成立させるために、ただ生命維持装置を駆動させているだけとも言える。

そもそも、僕は小中高と、理科とか化学の実験が嫌いなんだ!!!
手続きを踏んで、順番に何かをこなすという作業がずっと苦手なんだ!!!!そんなやつ大学院に向いているわけないだろう!!!

研究のアイデアは人並みに出るけど、研究を面白いと感じられない。そもそも広島大学の学部生の中でもあまり出来のよくなかった僕が、京都大学の院生に囲まれて、平均くらいにやっていこうと思ったら、法外な努力が必要なのだ!!!!僕はその努力がベーシックに求められている。奴隷だ!!!!

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