助詞「に」の意味をまとめると...?

こんばんは。べんとうです。

とりま、みんないいね押そ?よくなくてもいいね押そう。

noteが使いやすすぎて禿げそうです。なんか、打ってるときのデザインも良くて、「書こう」って気になれますね。

うごメモ時代からお世話になっていたので、ずっとはてなブログに固執していましたが、良いコンテンツは他にもたくさんあるんだからopenにならねばと思う限りです。


さて、「に」の意味は「重なる」「重ねる」です。

(ちなみに、あ段は自動詞、え段は他動詞になることが多いですね。

使役の助動詞「せる」も下一段活用ですからね。

英語だってそうだよ。lieの他動詞ver.はlayじゃんね。)


「に」の用法には実は8つあって(驚き)、それらは

存在場所 図書館に新聞がある

到着点 イタリアに行く

受け手 妹に本をあげる

変化結果 信号が赤に変わる

移動の方向 大阪に向かう

出所 父に本をもらう

時間 5時に起きる

割合の分母 3日に1度

といったラインナップです。


例文も併せて載せましたが、大抵「重なる」「重ねる」でいけちゃうんですよね。

「図書館に新聞がある」→図書館と新聞が重なっている

「妹に本をあげる」→妹に本を重ねている

「信号が赤に変わる」→信号と赤色が重なっている

「大阪に向かう」→話し手と大阪が重なる



これ面白いのが、「を」ではこれが言えないんですよ。

「橋を渡る」→一瞬橋に重なるけど、継続的に重なっているとは言えない。

「夏休みを快適に過ごす」→夏休みに継続的に重なるとは言えない。

「下を向く」→もってのほか。重なってない。


「を」はむしろ、川の魚を手でつかむように、ニュルッ、ニュルッと行く感じです。いや、「自分の影を刻一刻と重ね続ける」という表現が正しいかもしれません。いや、両方ですね。

橋を渡るという文を例に、では100本の板からできた木の橋を想像してみましょう。まず、あなたが橋渡るとき、1枚目の板に重なったと思うや否や、次の瞬間2枚目の板に重なります。2枚目の板に重なったと思えば、次は3枚目の板に重なっていることに気付きますね。n枚目の板に重なったときには、もうn+1枚目の板に重なっています。

このように、重なりが維持されないのが「を」です。

むしろ、スマホのカメラの連写のように、パラパラマンガという自分の過去の影を残し続けているという点が「を」の特徴であると言えるでしょう。


また、「港を離れる」「バスを降りる」などの例にみられるように、実物の私は重なり得ない場合もあります。寧ろ、離れていっていますからね。

しかし、この場合も、私の「影」を重ねている、残しているとは言えると思うのです。


だから、

・サッカー部で私は彼の下に行く。

→彼がコーチで、指導を受けにいったニュアンス。また、もともと私の方が上手かったが、彼に下克上されたというニュアンス。瞬間的に立場が入れ替わり、継続的に「私」は「彼」の下に居続けるニュアンス。

・サッカー部で私は彼の下を行く。

→彼が私より一枚上手で、いつまでたっても勝てないニュアンス。いつまででもライバルで居続けるニュアンス。仮に今日の私が昨日の彼に勝っていたとしても、決して今日の彼には勝てていないさま。お魚ニュルニュル現象の部活版。


こういうニュアンスの違いが生まれるのだと思います。


うん。「を」と「に」はそれなりに了解できたのですよ。


しかし、未だに「が」と「は」の違いが一生わからん。これらの場合、そもそも品詞は別物です。

学説によって、「」を副助詞にいれるか係助詞にいれるかはわかれます。古典文法においては、「ぞ・なむ・や・か・こそ・は・も」に見られるように、係助詞にグルーピングされていたのですが、現代文法では副助詞に入ることが多いそうですね。

一方、「が」は、格助詞です。格助詞とは、先行する(1個左の)名詞と他の語の結びつきを示すものです。とりわけ、主格を示しますよね、「が」は。


なんか、アイデアあったらコメントまで~

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