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トムトム自意識

 今はカンボジア、プノンペンにいる。5年前に日本に帰るまで、累計で1年半ほど住んでいた街だ。5年も経てば、昔ながらの街並みに巨大なビルが天を突き上げ、宿賃も倍以上の値上がり、毎週通っていた“薄汚い老水夫”という名のBARは潰れる。

 それでも、この経済的成長真っ只中の国であっても、未だ変わらない店や雰囲気が残っている。モニボン通り沿いの中國拉麺という潔い店名のラーメン屋は、あいも変わらず美味い鴨肉ラーメンを安価で提供している。夕方にメコン川沿いの公園に行けば、現地人外国人入り乱れて夕涼みをしている。繁華街を歩けば「オニーサン」やら「チョイモイ」やらと道の両側から呼び声。噛めばココナッツの繊維の噛み心地が良い素朴なワッフル。蝿が無数にたかるサトウキビを絞ったジュース、乱立する屋台。そして5年前と同じコーヒー屋の同じ席で、5年前と同じように自分の行く末を考える日本人の男。どれも時間という激流に形を少しずつ変えられながらも、なくなることはない巨大な岩。

 この東南アジアの旅行に出て1ヶ月、プノンペンに舞い戻ってきて5日。気付いたことがある。言葉はほどほどに通じ、飯が安く、1年半の在住経験が生む安心感。これ以上に何が求められようと思ったときに、それはやはり、表面上であれ人との意思疎通、清潔感、生活の軸ということになる。全てが揃った場所に自分が生きる喜びを感じるのであれば、自分が生まれた国が一番であることは変わらないのではないか。なぜそれを捨ててまで知らない国を歩かなければならないのか。

 そんなことを考えながら、スクーターで街を流していたら、一方通行の道を逆走していたようで、目の前に警察が立ちはだかる。
「One way」と一言。僕は全てを察して、いくらですか?と尋ねると25ドルだと言う。平身低頭謝り倒した果てに、値切り交渉に入り無事10ドルを支払って事なきを得た。

 安心を求めていた矢先に起きた出来事に鳥肌が立ち、難しいことを考えようとしていた自分を恥じて、これだからやめられねえぜと今晩の飯、明日の行動、1週間後の滞在先、1年後の自分を想像した。

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