ロンドンで経験したロックダウンの覚え書き

昨年、新型コロナウイルスの世界的なパンデミックに伴い、英国はロンドンで生活していた私はロックダウンを体験することとなった。当時の乱雑なメモをまとめて書き起こしてみた。

2020年


・1月24日前後

中国の春節もあり人で賑わうチャイナタウンからチャングクロスロードを挟み、シャフツベリーアヴェニューとの交差点に面したシェイクシャックのカウンター席にて、友人との会話の中で、世間より一足遅れてcovid-19ウイルスに関する情報を初めて耳にする。

・2月

 記憶にある限りは特に何事もなく平穏に日々は過ぎる。
 まだこの頃は二度も週末にパリに弾丸旅行に訪れるなど、長距離移動もしていた。また、習慣となっていた博物館や美術館巡りもしていたし、友人と飲んだ後には酒の入った状態でナイトクラブに出入りするなど、人が密集する場所にも平気で繰り出していた。
 今思い返すと、この頃はかなり危機感が薄かったなと反省するところでもある。


・3月初旬

 ロンドン市内における、Covid-19に関連したアジア人に対する暴力事件などを耳にし始める。
 知人の一人もナイフで切りつけられる被害に遭い、自分の中で緊張感が高まる。
日本にいる家族から、マスクをつけるようにしつこく注意されるが、逆にマスクをつけることで人目に付くことを恐れ、頑としてマスクは着用しないように心掛けていたくらいである。
 またこの頃は、客足の遠のいたチャイナタウンで多くの店が閉店措置を取るという事態に発展していた。
 同じ頃、ハンドジェルが入手困難になる。

・3月中旬

 第二週〜第三週にかけて、一気に世の中が慌しくなる。

 まだ週末にパブなどに行く余裕はあったものの、誰と会っても話題はコロナ一色で、自分の職場では今後在宅勤務に移行するための会議をしている、うちはまだだ、など、みんな落ち着かない様子を隠せなくなってくる。


 また、行く先々で見ず知らずの人からハンドジェルをシェアされたり、友人同士でもハグや握手は厳禁、なぜか肘と肘をぶつけ合う挨拶が流行する。


 イギリスよりも先に爆発的に感染が拡大した他国関する報道、特にロックダウンなどの情報が嫌でも耳に入ってくるので、まだロンドンは大丈夫だろうという雰囲気が徐々に薄れ始める


 通勤に使う地下鉄でも、ラッシュアワーでさえガラガラになるくらい、目に見えて利用者が減り、街から人影が減り始める。


・3月15日

 大体この日付前後で、あちこちでトイレットペーパーがなくなり始める。
徐々にロックダウンの噂が広まり、買い占めに走る人々の動きも増える。
それまでは、アジア人以外ではあまり見かけなかったマスク姿の人も急に多く見かけるようになった。

・3月18日

 ある程度は予想していたものの、出勤するなり上司から今後2週間の自宅待機を要請するので、そのつもりで、と言われる。退勤する頃には、その指示が一ヶ月に伸びる。

・3月20日

 この日を境に、フランス人のフラットメイトが必需品だけを携えて、多くの荷物を残したまま姿を消す。後でわかったことだが、国境封鎖を恐れてEU圏内の母国へ緊急帰国していた。


・3月23日

 「マクドナルドが一時閉業するらしい」という噂を耳にし、ほとんどの飲食店が営業停止する中、数少ないテイクアウトの選択肢がまた一つ減ってしまうじゃないか!などと思っていたら、その日の夜にボリス・ジョンソン首相より、不要不急の外出を控えるよう国民に要請する旨の演説がなされる。この日を境に実質ロンドンでもロックダウンが実施された。



・4月初旬
 

もう一人いたイギリス人のフラットメイトも諸事情により退去し、まぁまぁ広い家に実質的にはたった一人で住むこととなり、リビングルームに日用品を全て持ち込み、引きこもり生活を続ける。
 買い出しをする際にもあまり頭が働かず、1週間ごとに毎日ほぼ同じ食料を食べ続ける日が続く。
 また、生身の人間と会話をする時間が文字通り全くないのが個人的に非常につらく、一日中スマートフォンを触り続ける日々を送った結果、腱鞘炎になる。


・4月中旬

 ZOOMを覚える。同じように都市封鎖政策の下、自宅待機を強いられる友人たちと、国や時差を超えて、定期的にヨガをするなどし、正気と健康を保つ。
 もうどうせしばらく職場とか行かないし。。。との思いから、気分転換も兼ねて市販のヘアカラーで髪を染めるなどして正気を保つ。


・4月下旬

 フラットの契約期間の終了に伴い、引っ越しを決める。大家からの必死の引き留めのメールを無視し、ロックダウンが終了したのち、職場まで徒歩で通勤することを想定し入居先を探す。
 次の入居先を見つけた時点では、ロンドンの賃貸物件は空き家だらけで、なんの苦労もなくオンライン上で契約が進み非常に驚いた。
 内見もできないのでビデオ通話でのバーチャル内見が急速に広まっており、なかなかに新しい経験だった。
 

 ロックダウン直前にロンドンを脱出した人口は推定25万人と言われているのだが、直前でそれなら、今日までの累計はどれほどなのか、まるで見当もつかない。


 身の回りでも、両手では収まり切らない数の人々がロンドンから去っていった。
たまに天気の良い日に外出などすると、皆考えることは同じなのか、さすがに公園などは混雑しているが、それにしても今までとは比べ物にならないくらい人がいないものである。


 また元の日常に戻る、ということではなく、以前とは少し違う、新たな日常に慣れていくしかないのだという、ある種の諦念と柔軟さを忘れずに日々を送っていきたいと思うところだ。


このメモを書いてから一年以上が経った今、東京に居を移した私であるが、四度目の緊急事態宣言もあり、ただただ一連の事態の収束が訪れることを願うのみである。

必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。