「批判か、誹謗中傷か」ではない。

 批判か誹謗中傷か、区別が付きにくいと良く言われます。
 でも、そもそも、法律的には「批判か誹謗中傷か」という論点設定をしません。
 民事法的には、まず、
1 その表現が流通することにより、被害者の社会的評価が低下するかどうか
を検討します。被害者の社会的評価を低下させるような表現は名誉毀損表現ということになります。
2 被害者の社会的評価が低下するようなものでない場合、一般人の感性を基準として、受忍すべき限度を超えて被害者に精神的苦痛を与えるものかどうかを検討します。受忍すべき限度を超えて被害者に精神的苦痛を与えるような表現は侮辱表現ということになります。
3 名誉毀損表現については、公共の利害に関するものであって、専ら公益を図る目的でなされたものについては、以下のいずれかの場合、免責されることとなります。
ア 事実の摘示によってその名誉を毀損した場合、その事実が真実であることを証明できた場合
イ 事実の摘示によってその名誉を毀損した場合、事実を摘示した当時において、その事実が真実であると信ずる相当の理由があった場合
ウ 意見・論評によってその名誉を毀損した場合、意見・論評の前提となる事実が真実であることを証明できた場合であって、その表現方法が人格攻撃等にいたらないとき
エ 意見・論評によってその名誉を毀損した場合、意見・論評を公表した当時において、意見・論評の前提となる事実が真実でであると信ずる相当の理由があった場合であって、その表現方法が人格攻撃等にいたらないとき
 政治家(公職選挙法に基づく選挙によって選ばれる地位にある者またはそのような地位に就こうとする者)については、有権者はその全人格を選挙の際に斟酌するので、その全人格に関する事項が「公共の利害に関する」ものとなること、特定の政治家の支持者を減らそうとする目的が「公益目的」に含まれうる点が特殊なだけであって、それ以外は、政治家以外の者についてのものと変わるところはありません。
 だから、政治家を批判するにあたっては、その時点で真実と信ずる相当の理由がある事実をもとに批判をし、その際に人格攻撃にあたるような表現を回避するようにしていれば、損害賠償義務を負わされることはありません。
 もちろん、私たち一般人は、政治家等に関する事実は、メディア等で報じられているのを鵜呑みにせざるを得ない(メディア等に報じられている事実について逐一裏付け調査をする能力はない。)ので、何を信じたら「真実と信ずる相当の理由」と言えるかは問題になります(だからこそ、伊藤和子弁護士が被告となった事件で意見書を書いたんですよ。)。ただ、今の判例理論を前提とする限り、表現の自由派にとっての問題点って、そのくらいだと思います。

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