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MOON-RADIATION vol.8

ムーンラジエーション。これは造語です。
月明かりが、
放射状に全世界に広がり、
しかしラジオのようにひっそりと、
聴く者だけに届くようにと思い、
この名前を付けました。

今日もダラダラと。

ピラゴラスイッチが、昔流行りました。

ピタゴラスイッチは、
さまざまな仕掛けを施したドミノ倒しのようなもので、

ひとたび人間が小さな衝撃を加えることで
それが作動していきます。

物体がさまざまな速度で、
さまざまな方向に運動しながら、

仕掛けが解かれていきます。

セッティングにかける時間は、
それを崩す時間の何百、
何千倍もの労力と時間が必要で、

実際に見れるのは成功よりも
セッティング中に誤って
仕掛けを作動してしまうことの方が
多いのですが。

ピタゴラスイッチは、

その一瞬で起こる総崩れ

が快感で、興奮します。

仕掛けを作っている時は、
作動させないか、仕掛けを壊さないか
ということに加え、
大作になればなるほど緊張感が増します。

このドキドキ感は、
吊り橋効果と同じく、

どちらの緊張なのか、
どのドキドキなのかがわかりません。

一瞬で見られる総崩れは、
ビルなどにセッティングする
ダイナマイトと同じです。

ピタゴラスイッチならぬ、

爆破スイッチ

を押すことによって、一気にビルや建物は消えてしまう

一瞬で総崩れは、ドラマチックなのでしょうか。

どこか、見惚れてしまうものなのでしょうか。

僕は、わかりません。

2001年9月11日。

僕は、一瞬の総崩れを見ました。

2機目が衝突し、煙幕を上げる。

崩壊するワールドトレードセンター。

ハイジャックをした、

武装勢力は…。

ドミノ倒しの感覚なのでしょうか。

そんな滑稽なものではないことは
わかります。

しかし、考えればどうなるか、

考えれば、どれだけ憎しみや苦しみが
生まれるのか、

負の感情が
生まれるのか。

そのことは考えていないはず。

それは、単純な仕掛け。

操作をして、あのビルに突っ込むだけです。

あの日から、20年。

そして、9月11日まで、もうまもなく。

まだ戦争はつづいていています。

一度始めた戦争は、

ピタゴラスイッチのように、仕掛けが作動します。

報復という名の、仕掛け。

スタートしてしまったことを、
取り戻すことはできません。

拍車がかかっていきます。
スピードが著しく、上がっていきます。

ピタゴラスイッチには、ゴールがあるけれど、

戦争にも、破滅というゴールがあります。

人間が死ぬまでではありません。

地球が死ぬまでです。

人間は、そこまで来ました。

パンドラの中の箱には、
絶望や、挫折、別れがたくさんあります。

それが、開けられてしまいます。

この世界が始まってから、

この世界に人間が生まれてから、

この世界の人間が知性を持ってから、

この世界の人間が知性を持って、武器を持ってから、

この世界に戦争が絶えません。

フルメタルジャケット。

完全被甲弾。

鉛が、銅を纏う。

殺傷する鉛を、銅が守る。

しかしそれがゆえに、殺傷能力が上がる。

守る立場ですら、誰かを傷つける。

一瞬で起こる総崩れに快感を覚えるのは、

人間誰しもが持っている感情なのでは、と。

性善説、性悪説、というのはどっちでもいいです。

それよりも、人間が持つ本能、

理性的と呼ばれるものに、

この動物世界共通の感覚があるのだと思う。

スクープに群がる人たち。

ヤジを飛ばす人たち。

住所を特定する人たち。

炎上に油を注ぐ人たち。

これは、人たちではなく、

僕たちでもあるのだと思う。

つまり、みんなが元から持っている感覚だと。

そういう行動を起こす人たちがいる中で、

行動を移さない人たちがいるだけだと思う。

一瞬の総崩れが、

僕たちは快感なのかもしれない。

テロは決していけないことだ。

人を殺すことは誰が考えてもいけないことだ。

中には、

思想の自由という言葉がある…。

それが良いと考えることくらいは良いのではと。

悪いことは、行動に移さなければいいよ。と。

これは、安易には言えない時代になった。

頭が良くなった。

いろいろな失敗を重ねてきた歴史が

油絵のように塗り替えられて

今の時代が色づけられている。

僕は、思考は行動に変わると思っている。

だから、
そんな
危険な思想や思考はするべきでないと思う。

僕は、それでも、どうしても
そんな危険な思想や思考を
知りたくなっている。

可笑しいけれど、おかしくない。

理由は。

その人の
立場になってみなければわからないことがあるから。

事件が起きた時に、
その人がどうしてそんなことを犯したのか、

それを突き止める。

なぜ、そんな行動を起こしたのか、
徹底検証する。

もし、その人物に自分がなることができるのなら、
実際に起こったことや、心の動きを
知ることができる。

理論的(常識的)には外れていることも、

論理的(本人的)には筋が通ることがある。

だから、そんな思想や思考を知る。

子どもは、まだ、自分の経験を語る。

こういう経験をしたから、こんなことを考えて、
こんな行動をしたと。

経験から考えることは大切だとおもう。

そうでなくては、弱い自分を守れない。

すぐに力を習得することができない。

僕は、

大人になるにつれ、
実は経験で行動に移すことは
なくなるんじゃないかと思う。
それはたぶん、生活の慣れになるのだと。

経験では片付かないものは、
歴史を見るしかない。

友達に聞いてもわからない問題は、
過去問を見ると、似たような問題が出てくる。

歴史から、自分を作る。

歴史から、自分を守る。

経験ではなく、もう少し遡る、歴史。

そこに自分が居ない世界。

つまり、その世界には、僕はいない。

ゆえに主観的にならない。

客観的に捉えられる。

経験から学べば、感情を手に入れることができる。

この蛇は危ない。

この草は不味い。

これをしたら怒られる。

歴史から学べば、理性を手に入れることができる。

この先は、こうなる。

これをすることは、間違っている。

その思想は、やめようと。


一瞬の総崩れをしないために、

僕たちができることを模索する。

それは知性であり、理性によって。

しかし、どこか一瞬の総崩れを

秘かに望んでいる部分もある。

プログラムされてしまっているから、
仕方がない。

そう思ってしまうのは、仕方がない。

だから、理性的な自分が、自分を抑える。

自己の経験だけでは、歯が立たないのなら、

歴史を学ぶ。

そうすることで、律する。

その結果、どのような悲惨なことが起きたのか。

どれだけの人間が悲しんだのか。

最後に。

歴史はループするという。

たぶん、それは誰もがそんな悲惨な結果、
ではなく
一瞬の総崩れを望んでいるからかも。

そこで、自分の経験だけに従った結果、

歴史を紐解かなかった結果、

歴史がループしているのでは。

遺伝情報は、ループではないけれど、

一部、コピーはされる。

であれば、似たような思考が、プログラムが、
歴史の中にあってもおかしくはない。

可笑しいけれど、おかしくはないのでは。

良くも悪くも
歴史が繰り返されるものと考えるのならば、

行動が変わってくるのかも。

ピラゴラスイッチは動き続けている。

崩れ始めたドミノを止めるのは難しい。

人間が人間の欲のためにここまで積み上げたドミノ。

そして仕掛け。

もう、総崩れが始まっている。

ドラマチックでもあり、サディスティックに近いもの。

良くも、悪くも。


またダラダラと。すみませんでした。

MOON-RADIATIONでした。

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