見出し画像

【音楽雑記】#36 林哲司の80年代シティポップサウンド(1984年②)

林哲司の作品が目につくようになってきた。

この頃、まだJ-POPという言葉はなかったが、AORなど洋楽の影響を受けた音楽は確実に増えてきていた。

そんな中で、気に入った曲に出会うと作曲家、編曲家のクレジットを確認するのが癖になっていたが、この頃から林哲司の名前が目につくようになってきた。

既に竹内まりや「SEPTEMBER」、上田正樹「悲しい色やね」、1983年には、杏里「悲しみがとまらない」、杉山清貴&オメガトライブの「SUMMER SUSPICION」がヒットしていたが、1984年には、更に中森明菜の代表曲の一つ「北ウイング」や原田知世の「天国にいちばん近い島」がリリースされ、ヒットランキング1位を獲得する。

そして1984年には、お気に入りだった稲垣潤一のアルバムへ曲を提供。
これも、みんな良い曲だった。「MARIA」「 言い出せなくて」「悲しきダイアモンド・リング」「 誰がために・・・」。

1985年にはオメガトライブの「ふたりの夏物語」、菊池桃子「卒業-GRADUATION」といった名曲も生まれた。
オメガトライブ、菊池桃子も全曲が林哲司作曲だ。児島未散「BEST FRIEND」(1985)もよかった。

林哲司の作曲作品を探すようになった。薬師丸ひろ子の楽曲は良曲。

それから歌手名というより、林哲司の作曲作品を探すようになった。

特に個人的お気に入りの作品は薬師丸ひろ子「夢十話」へ提供した2曲だ。「冷たくされたい」「千年の孤独」、どちらも編曲は鷺巣詩郎。薬師丸ひろ子の歌声も素晴らしかった。

林哲司は、筒美京平ほど変幻自在ではないが、アダルトコンテンポラリーな洋楽のエッセンスを取り入れ、日本人好みの泣きのコード進行、メロディで新しいポップスの流れをつくった。特に歌の上手い歌手に提供した曲に名曲が多い。

林哲司の80年代シティポップ、ここに来ての再評価

2020年後半、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」が海外で話題になりサブスクリプションの再生回数で上位にランクインした。

この流れの中、最近では、国分友里恵のデビューアルバム「Relief 72 hours」(1983)がシティポップの名盤としてバイナル発売されたようだ。
このアルバムもクオリティが高い。

昨年は林哲司デビュー50周年ということでイベント、トリビュートアルバム、書籍など色々リリースされている。80年代シティポップ、ここに来ての再発見、再評価される中、当時の裏話なども語られることも多い。


参考リンク

この記事が参加している募集

思い出の曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?