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【音楽雑記】#63 「ラブ・ストーリーは突然に」の大ヒット/ そして小田さんについて思い出(1991年①)

1991年は「東京ラブストーリー」が始まり「ラブ・ストーリーは突然に」が大ヒットした年だった。そんな小田さんと言えば、最近NHKでドキュメンタリー番組が放送されたばかりだ。

1979年:オフコース「さよなら」の頃

そもそも自分は高校生時代にオフコースにどハマりしていた。1979年に「さよなら」が大ヒット。「Yes-No」も何度も聴いた曲だ。過去のアルバムも全部買って、楽譜全曲集も手に入れた。

日本武道館で10日間公演をやるというので必死で申し込んだがチケットがとれなかった。その後フィルムコンサートが開催されたので観に行った。そんな感じで思い入れが深かった。

しかし鈴木康博さんが脱退した頃から、徐々に聴かなくなっていった。AORやR&B、洋楽ヒットチャート、シティポップに関心が移っていったということもあった。やがてオフコースは解散。ソロになった小田さんの曲も自分にはあまりしっくりこなかった。

1991年:「東京ラブストーリー」が始まった。

そして1991年、「東京ラブストーリー」がフジテレビの月9ドラマとして始まった。漫画を読んでいたので最初はカンチのイメージに違和感があったが、ドラマが始まるとそんなことは忘れて毎週、夢中で視聴していた。

「東京ラブストーリー」ではなんといっても小田さんの曲が演出上で大きな役割を果たしていた。クライマックスになると佐橋佳幸さんのギターで例の”チュクチュチューン♪”で曲が始まった。「ラブ・ストーリーは突然に」は1991年の年間1位、270万枚売れたようだ。小田さんの久々の大ヒットは感慨深かった。

「ラブ・ストーリーは突然に」はドラマを反芻しながら鼻歌でよく口づさんでいた。
しかし、この曲以降もやはり、あまり小田さんの曲を積極的に聴くことはなかった。

2001年:「クリスマスの約束」

そんな自分が再度、小田さんにハマりはじめたのは2001年から始まった『クリスマスの約束』の頃からだった。
オフコースの頃の小田さんは、クールで口数が少なく気難しそうなイメージがあったが、テレビに出てきた小田さんはフランクでお茶目なキャラになっていた。

2002年「自己ベスト」では自転車に乗りながら収録曲をメドレーで歌うテレビCMがあった。これも最初は本人出演だと思わなかった。昔はそんな感じのキャラではなかったからだ。

2004年には「風のようにうたが流れていた」という1時間番組がTBSで11回放送された。毎回ゲストを迎えて、いろんな曲を演奏するとても良い番組だった(その後DVDも買った)。

自分的には、この頃から歌詞や曲の方向性が少し変わり、グッとくる曲が増えてきた。「キラキラ」は2002年、「たしかなこと」は2005年の作品だ。

以下の記事によると実際にこの頃、小田さんの心境の変化もあったようだ。

ソロになった小田。91年に「ラブ・ストーリーは突然に」が大ヒットする。(略)ただその時小田は、十年もの「迷いの時期」にいた。曲作りをすると「『また似たようなの書いている』と思えて(略)身動きがとれない感じだった」と語っている。
転機は98年の自動車事故だった。ファンの言葉で自分が「必要とされている」ことに気づいた小田は、迷いから抜け出た。

2008年:初めて小田さんのライブに行った

それまで小田さんのライブに行くことはなかったが、2005年のアルバム「そうかな」あたりで、生で聴いてみたいと思うようになった。

そして2008年の「今日も どこかで」の東京ドームで初めて生で小田さんの声を聴いた。
その後、2011年の「どーも どーも その日が来るまで」の東京ドームも観に行った。

アルバム「どーも」に収録されているバラード「さよならは言わない」「東京の空」は圧巻のパフォーマンスだった。
長い時間を経て持つ説得力。言語化できないが、一つの境地に達している感じがした。

2024年:NHKのドキュメンタリー番組

最近、NHK地上波でドキュメンタリー番組が放送されていた。相変わらず伸びやかな声は健在だった。初の評伝書籍も発売された。

小田さんはこれまでも度々引き際のことを口にしていたが、なんか店じまいを考えているような感じで寂しい。

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