【音楽雑記】#18 いよいよ80年代が始まった。そして山口百恵から松田聖子へ。(1980年①)
いよいよ1980年が始まった。
高1のときに1980年が始まった。
1979年の大晦日は、まず7時から日本レコード大賞が始まった。ジュディ・オング「魅せられて」が大賞に輝き、その直後9時からは紅白歌合戦が始まる。大御所歌手とともに、中3トリオのメンバーも新御三家メンバーも揃い、サザン、ゴダイゴ、ツイストも登場した。
11時45分からは「ゆく年くる年」。当時、NHK以外は全局同じ”民放版「ゆく年くる年」を放送していた。テレビでカウントダウンを見ながら、いよいよ新しい時代、未来が来たと感じた。子供の頃に夢中でみていた「謎の円盤UFO」は1980年の近未来を描いたドラマだった影響があったのかもしれない。
1980年は音楽においても実際に未来を感じさせるモノゴトが出てきた。YMOのテクノポップが流行し、沢田研二はド派手な衣装で「TOKIO」を歌った。
松田聖子がデビューし、山口百恵が引退。
女性アイドルも時代の節目を象徴するような有名な動きがあった。
80年代を代表する松田聖子が4月に18歳でデビューし、70年代を代表する山口百恵が10月に21歳で引退する。(記憶にはないが、ザ・ベストテンで共演した映像があった)
もちろん当時、これが時代を代表する女性アイドルの交代劇だとは思っていなかった。松田聖子はデビューしたばかりの多くの歌手の中の一人だった。
松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」は資生堂の「エクボ洗顔フォーム」のCMで初めて聴いた気がする。「エクボーのぉー♪」というフレーズ、伸びやかな声が印象的だった。
その後も聖子ちゃんの歌はCM曲にもなっていたし、当時は歌番組がたくさんあったので、毎日のように聞こえていた。
2曲目「青い珊瑚礁」も大ヒット。(当時は、デビュー時から声が変わったな、と思った記憶がある。実際音源を聞いても、この曲から、既にかなりハスキーになっている)
同級生の男子も聖子ちゃんファンは多かったし、女子も聖子ちゃんを意識した髪型をしている子もいた。ある日、遊びに行った同級生の部屋にホットパンツにタンクトップ姿の聖子ちゃんポスターが貼ってあった。彼がしみじみと「松田聖子って可愛いよな、」と呟いていたのを思い出す。
山口百恵、デビューから引退まで、当たり前にそこにいた。
小学生の頃、欽ちゃん司会のスター誕生は、日曜午前の番組の定番だった。
中3トリオが出てきた頃は確実に見ていたし、審査員だった阿久悠、都倉俊一の表情も覚えている。最後、この子が欲しいと思った事務所やレコード会社がプラカードを挙げる場面も懐かしい。
百恵ちゃんは歌番組やバラエティ、ドラマ、映画と常に存在していた。
赤いシリーズも見ていたし、映画館に「伊豆の踊り子」「潮騒」も見に行った。
金八先生からも続々アイドルがデビュー
1979年から始まった「金八先生」から続々アイドルがデビューし始めた。
この年、田原俊彦、近藤真彦もデビュー。歌番組は益々盛り上がり、ザ・ベストテンは40%を超える視聴率を出した。
サッカー部の男子も「哀愁でいと」の振り付けを真似て、パタパタ腕を上下に振っていた。
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