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【音楽雑記】#15 「真夜中のドア」「SEPTEMBER」シティポップ黎明期の記憶 (1979年②)

当時は”シティ・ポップ”という呼び方はなかったが、シンガーソングライター系のニューミュージックの中から、特に「都会的に洗練されたメロディや歌詞をもつ音楽ジャンル」というのが聞こえてきたのが、この頃だった。
既にアメリカでAORが流行っていて、その影響を受けた曲が出始めたタイミングだったと思う。

少しお姉さん的女性アーティストのデビュー

自分で曲をつくらない10代のアイドル歌手は大勢いたが、この頃から少しお姉さんの年齢でデビューし、AORテイストの曲を歌う歌手がヒットを出すようになった。

例えば、、

杏里「オリビアを聴きながら」
1978年11月 (作曲:尾崎亜美)

竹内まりや「戻っておいで・私の時間」
1978年11月 (作曲:加藤和彦)

桑江知子「私のハートはストップモーション」
1979年1月(作曲:都倉俊一)

竹内まりや「SEPTEMBER」
1979年8月 (作曲:林哲司)

松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」
1979年11月 (作曲:林哲司)

竹内まりや と松原みき と作曲家 林哲司

特に印象深いのは竹内まりや。「SEPTEMBER」や「不思議なピーチパイ」はヒットしていたし、よくテレビで歌っていた。アイドルとは違うお姉さんな感じで当初はバラエティ番組にも出演していたと思う。
その後、数々のスタンダード曲を生むアーティストになるとは想像できなかった。

松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」もテレビでよく見た記憶がある。いい曲だとは思ったが特別な感じはしなかった。
こちらもまさか2020年になって大ヒットするとは思わなかった。

「SEPTEMBER」と「真夜中のドア〜Stay With Me」の作曲しているのが林哲司だ。彼はその後、1980年代に数々のヒットを生んでいく作曲家だ。
菊池桃子、オメガトライブ、上田正樹、稲垣潤一、杏里、中森明菜、、数多く提供した、いい曲がたくさんある。

しかしAORに影響を受けたシティポップが今頃、海外に受けることになるとは。

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