パンツまる見え

書くことも仕事のうちという、線引きのあいまいな仕事をしていたことがある。ある日、女性の先輩と競合してPR文を書くことになった。
上司に提出する際に彼女は「スカートのすそをめくって、パンツが見えないギリギリに書きました」と妙なひとことを付け加えた。

京女である彼女はおそらく横にいた私に向かって「パンツ丸見えの文章」と遠巻きにディスり、宣戦布告してきた。「この人は私の存在がおもしろくないんだな」とその一言から十分に感じ取れた。仲が良かった男友達に「あの時おまえのことが好きだった」と7年以上も前のことを直接言われるまで気づかなかった、超鈍感な私でも瞬時に理解できた。

札幌の高校時代に修学旅行で京都に行く際に親友が言った「京都で北海道から来たって言うとバカにする人もいるらしいよ」というひとことを思い出し、道民である自分に対しての狼藉なのかもしれないと臨戦態勢に入った。

京女パイセンには言っていなかったが、実は私の祖父は京都出身で本家は御所の近くであり、こうして後出しじゃんけん的にちくちく言うのは自分にも京都人の血が流れていると実感させるし、きっとこういうところがいけずなんだろうと思い当たる。

京女パイセンのご指摘の通り、私はパンツ丸見えの文章しか書けない。
でもパンツ丸見えの文章なりにおもしろいところはあるはずだ。旧帝大卒の彼女の頭の良さならおもしろいことのひとつもひねり出せるはずなのに、そうはならないことが疑問だった。

彼女によっておもしろさは常にみんなに平等で存在するものでもないと知った。勉強はできなくてもおもしろさがあれば、文章に関してはそれなりにまかり通るものだということも学ばせてもらった。ピンポイントに毒をまいて自分を守る手法とともに。

結局企画自体が流れてしまったけど、きっと彼女は今でも京女のプライドを保ちながら、退屈な文章をどこかで書き続けているんだろう。そうそう、己のこういう強烈な返しも京都の血っぽくて、嫌いやない。

なので私の文章はパンツ丸見え、今風に言えばいわゆる「パンモロ」だ。
いや、もはやパンツどころではない。たまに出てくる妙に乙女ちっくな表現を見られることの方が、パンツを見せることよりもずっと恥ずかしい。でもそんなことを恥ずかしげもなくさらっと書けてこそ、一人前だと己に言い聞かせる。

しかし、パンツってなんだろう。女性側からだとショーツ。
男性側からするとパンティ。……この令和の時代に?
あだち充作品における「くしゃくしゃパンティ」は男の幻想だと漫画家の安彦麻里絵先生は注意喚起していたが、たしかにあれは絶滅危惧種に近い。

たぶん色気のある人がはいているのがパンティで、色気が枯渇している己がはいているのはパンツだ。私の引き出しは分けゐっても分けゐってもパンツしかない。

私のはいているパンツってどんな形で何色に見えるんだろう。
……はいてなかったりして。「実はチャームポイントは足の親指と親指の間なんですけどね」なんて激しくどうでもいい一文すら加えてしまうくらい、楽しくなっている。

私は今日も羞恥心を奥底に隠しながら、ちまちまと己のパンツを見せ続ける。 

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