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極意 その8 インスピレーション

英語の響きが良かったので
極意を、そのままカタカナにしました。

「ゆっくり・ゆったり」で心が澄んでいるとき
本当に好きなことをしているとき
心の片隅に、ふと浮かんだ小さな声は、
ほぼ100%正しいから耳を傾けましょう。

「護心術」で、インスピレーションはユングの唱える
集合無意識体からやってくる情報・智恵としています。

この智恵を「率直・素直」に脳ナヴィにインプットする。

インスピレーション(直感)は100%正しい。

根拠は、私の経験です。

ある物事に関心を向け、思考しているとき、
心が澄んでいて、「ゆっくり・ゆったり」動いているなら、
直感=インスピレーションは不意にやってきます。

そして、これをベースに思考を組み立て、
物事を処理していくと、満足できる結果に導かれる。

万一それが満足する結果に繋がらなくても、チャートに書留めトライアンドエラー 視点をもっと上にすれば、将来更に大きな結果の基になっていたことに気づく。

「失敗は成功の母」になっていたと言うことがよくあります、
半世紀の経験から申し上げております。

心理学の大家、カール・グスタフ・ユングによれば
それぞれ、個々の潜在意識は、繋がっており
大きな無意識集合体として情報を共有している。

たとえば、陸上の100mで10秒の壁は
なかなか切られませんでした。
それが、一人が9秒台で走ると
それに続く記録が続々に出る。
これは肉体だけではなく、アイディアや思想でも
同じことが歴史上起きています。

ともすると、個々の潜在意識は
ここから、智恵を運んできてくれるパイプかもしれない、
だから、大切にしましょう。

スピリチュアルと言う言葉が流行りましたよね、
霊的なという意味です。
もしくは神霊的なと言う意味だそうです。

神霊は霊を見えるという人々の専売特許じゃありません。別に見えなくても無料だもの、使えば良いじゃん♪

外から私たちを、見下ろしているものじゃなくて
私たちの中にあるもの、誰にでもあること、
私はユングの唱える集合無意識体だと思うのです。

誰かだけが特別にそれと話が出来、
衆生との為に仲立ちができるなんて?

神様と話せるってやつだけが坊主丸儲け? もったいなくね?

きっと誰にでも話が出来る
気づくか気づかないかの差だけ
そして、貴方のインスピレーションは貴方のもの。

ん?脱線した?していませんよ
自分の内側にあるスピリチュアルだから、
インスピレーション。

禅に根拠を探すなら、人は霊止(ひとと読みます)と書き
大宇宙の大御霊(おおみたま=ダーマ)の
分御霊(わけみたま)であると成っています。

つまり、会社に例えると大御霊が本社で、
分御霊、私たちは支社と言うわけです。
心が澄んでいる(支社が落ち着いて整理されている)ときは、
本社からの指示やヒントが正しく伝わると言うことですね。
また、本社は支社からのリクエストにも応えてくれる。

現実世界の本社・支社なら何かと、
命令・批判・判断をしてきますが、
この本社はそんなことはしない。

それどころか、24時間、365日営業で、
普段の貴方=支社が思いも着かない様な能力を持っていて、
正しい手続き(澄んだ心)の元に要請すれば、
必ず力を貸してくれる。
これを潜在能力といいます。

「護心術」では、スピリチュアル=潜在意識と言うことに定義します。
ユング以来、心理学でも、潜在意識には、莫大な潜在能力が隠されているといいます。

つまり、内なるスピリチュアル、インスピレーションは
奥座敷である集合無意識、大きな本社に埋蔵されている莫大なデータと実行力が、貴方にやってきたと言うこと。

これを使うことで、成功できると言ったのは、
少し前にはやったマーフィの法則。

やたらFで始まる4文字の エディじゃなくて
ジョセフ・マーフィのほうですよ。
潜在意識に任せれば、必ず成功する。
本当に願うと魔法のように叶うと言う法則でしたね。

同じ潜在意識に働きかけるのでも、「護心術」は
心と身体も一緒に動かすと言う「色心不二」の思想ですから
願うだけで叶いませんよ。

願うことで方向を決める
願い続ける、願い続けるために行動を起こす。

祈るのも、口で唱え、念じるだけじゃなくて
叶うように思考して、身体を動かす、人に働きかける、
他=自分の外とコミュニケーションをとる。

本人の自助努力が必要、
自ら助けるものを助くと言うでしょう。

自分で努力することを前提に、内なるスピリチュアル
インスピレーションに働きかけると、
膨大なデータから必要なものをアップデートしてくれたり、
顕在意識が気付かないうちに、身体をコントロールしてくれます。
更に、奥座敷の集合無意識により、必要とあらば
とてつもない力を使える。

ほら、人でも神様でも他力で他人任せより、自分でやる方が
楽しいでしょう、
自分の身体で体験できた方が楽しいに決まっています。

何を言いたいかというと、人は皆、
自分の中にインスピレーションと言う
スピリチュアルを持って生きていると言うこと
これを意識して見つめると、きっと美味しいですよ。

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極意 その9 臨機応変(りんきおうへん)

「護心術」の真髄は、赦(ゆる)す事です。
それは、こだわらないこと、
こだわりから心を自由に解き放ち
「ゆっくり・ゆったり」した気持ちで、
物事やコミュニケーションのあらゆる可能性を、
一つの視点に、こだわらず
あらゆる角度から見つめて、正確に円滑に対処することです。

臨機応変は「護心術」で言うと、常に自分に問いかけをすること。

大抵の人が、経験からいくつかの固定概念を持っています、
そして、それにあてはめて、人、ものを見ることが殆ど。

例えば、初対面の相手でも、今までの知人の中から
類型的な人を探しパターンに当てはめたりする。
初対面の印象すら、既に固定概念になり、
それを基に、ずっとその人を見ることもある。

物事の処理もそう、自分の型を持つのは良いけれど
世の中は日進月歩、変化しないものは無いから
自分のやり方以外に、もっと適した方法があるかもしれない、
と「無知の知」を働かせ、これで大丈夫かと自分に問いかける。

結局、自在に視線を変えるということなのです。
固定概念に囚われて一つの見方、やり方をするのではなく、
常に、見るときは自然体で、やり方はいくつも模索する。

時に必要で、勢い任せの一気呵成

一気呵成も良いけど、ふと、顔をあげて「ゆっくり・ゆったり」
一度視線を他に移して、もう一度見直したり、
他の視線から物事を捉えなおすと、袋小路から抜け出して、
より素晴らしいものが出来たり、問題の解決の糸口が増えたりする。

世に言う常識と言うものに囚われて、
見えるものが見えなかったりすることも、あまたある。

常識だって日々変わるのに、思い込んでどーする? 自分で考えるから臨機応変、 情報に振り回されて右往左往じゃなくて、 ちゃんと処理して智慧にして臨機応変

常に自分に問いかけをし、思考を柔軟に、
選択を「臨機応変」に変化させながら、最良の道を模索する。

物事と言うのは、いろんな角度があり、今行っていることのほかにも、方策があるのじゃないかと探ってみる。

最良のものを創ること、トラブルを処理する最良の道のため
常識に捉われない「臨機応変」を忘れないで下さい。
視野を広く持ちましょう。

これは、「護心術」の真髄の一つ、赦す事のうち
固定概念を手放すと言うことなのです。

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極意その10 不傷活人(ふしょうかつじん)

理不尽な攻撃も、相手からの何らかの欲求、
形を変えたSOSと知り
護心術で身に付けたコミュニケーション・スキルを使い
相手を傷つけることなく、相手の不安の元を共に解消し、
人を活かし共に笑い合おうということです。

その為には、「力愛不二」を意識し、
心の精進と鍛錬を欠かさない事。

不傷活人、これは、私の造語です、
動禅の不殺活人(ふさつかつじん)を貰いました。

誰も傷つけず、人の心を助けることで、
自分の心が助けられていることを知る。
「護心術」の心は融和、諍いをしない事です。

平たく言えば昔のカトゥーンの猫のトム&ネズミのジェリーの
主題歌のように仲良く喧嘩するということ。

相手の攻撃にひるまず、理不尽をそのままにしない、
こちらが、一方的に我慢して、その場をやり過ごすのは、
相手が蹂躙することを許す事であり、貴方を傷つける事、
罪です。
力愛不二の精神で、相手に理不尽であることを
気付いてもらわなくてはいけません。

何故、仲良く喧嘩するか?

人は脳ナヴィが違い、頭の中の辞書、データ、思考回路、考え方
顔の数だけ違います。
そして、それぞれ立場が違う
どうかすると、強さ、持っている力が違う、
だから、どんなに思いやりのある人同士でも
一緒に暮らしたり、何かをしていれば、すれ違い、行き違いが起きます。

そんなときに、一方が黙って我慢して、その場をやり過ごすのか?
そうして、どんどんストレスを溜め込み
大きな負のマグマ・エナジーになるまで我慢して
或る日、噴火する
その時喧嘩に成れば、たまり溜まっているから
ただ事で済まないのはお分かりですよね。

一見、黙って我慢しているように見えるのは
こいつに言っても判りはしない、黙ってやり過ごすほうが
楽だと、諦め、コミュニケーションを拒否しているから、
これでは、相手もコミュニケーションが取れて居ないことに
気づかず、ますます深みにはまります。

私たちも心をゆっくりゆったりして
トムとジェリーのように、喧嘩相手(脳ナヴィの違う人)が
居ることを楽しむ、
力愛不二の精神で、強く優しく、自分の主張を穏やかにする。
そうすれば、
相手に自分を踏みにじらせて、自分が傷つくことも無い
不傷
相手が自分を踏みにじる罪を犯さず、
自分が返す言葉で相手を傷つけることも無い
不傷
そのときに、護心術の技を臨機応変に使い、諍いにならないよう、
気づかいながら、思うところをきちんと主張し
お互いにすり合わせる。
互いに活きる、活人。
破局へ向かうような喧嘩にしない。

適度なストレス、喧嘩は精神にも健康にも良い
後に、カタルシス、精神浄化があるからです。

また、仲良く喧嘩する仲に成れば
どのように主張すれば
相手と上手なすりあわせが出来るのか
どんどんノウハウが自分の中に増えて行き
それは、他の人にも応用が効くようになる。

仲の良い喧嘩は、ある程度本音を出し合いますから
お互いの理解を深めるのにも役立ち

いろいろな人とコミュニケーションを取るやり方を
知らず知らずに身に着けます。

相手を傷つけず
自分も傷つかず
自分を、相手を、人を活かす。
これが「不傷活人」です。


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