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キャベラスで買った、当時は珍しいストレッチ用のアンダーを着て、胸骨を押さえながら仕事をした、上から押さえつけるから痛くない。

会社所有の不動産は、どんどん売却された、店に使っていたマンションのワンフロア、その上に有った、リーダーが住んでいた2DK。

渋谷、中野、新宿、東大和、田無。

残ったのは実家兼事務所と隣接するマンションで母名義にした2Kの1室。

倉庫にしていた、古い建屋の2階を片付けて事務所に使った、上へ行けば、僕の居住エリア。

古い建屋は違法建築で階段の傾斜が50度あり、Pタイル張りで冬は寒い。

実は僕のダイニングキッチンと風呂場もこちらの建屋に在る。内部、7段の階段を上がって、旭製のヘーベルハウス、新建屋に繋がっている、こっちの正面が親父の書斎、今は社長室、その隣が3畳僕の趣味部屋兼避難寝室。 奥が3畳千尋の嫁入り道具のバカでかいタンス、左に入ると12畳、南向きの寝室、元が事務所だから天井まで2700㍉、カーテンがオーダーじゃないと間に合わないけど、広々しているし、冬は陽光が降り注ぎ、ほぼ暖房が要らないくらい温かい。

ベビーベッドを置いて、どうやって寝るかね。
部屋を見ながら考えていた、脹脛をサビ猫がすりすりする、抱き上げて左肩に、後足を右手で支える、頬を擦り付けて、ごろごろ喉を鳴らしてくれる。

頭から背中を撫でて、和毛を撫でていると、どんな絶望も薄れるから不思議だ。

「僕、パパだってさ、一緒に子供看てくれるかい?」
コマは僕の耳に髭をなすりつけて、ゴロゴロと応える。


何の因果か知らないが、僕は生命を呼んでしまったらしい、その命は僕を親にすると決めたらしいので、投げ出せない。
子作りは互いに好き有って睦み合って出来るものだと想っていた。
普段は僕への懲らしめで拒んでおいて、気が向くと、ぐっとひっぱられて、ねえと甘え声。 で睦んだ覚えは有る。

親父によれば、僕は日々をのほほんと過ごし、糞を作るだけの生きている価値も無い命。 こいつにとっても東京生まれの東京育ちの婿で、自分より一年早く結婚した年子の妹に対する見栄、愛しい男じゃなくて、道具(笑)

そんな奴の所へ来る生命は難儀だろうけれど、その分、出来る事全部してやりたい、楽しませたい、楽に、のほほんと過ごせるように。

「小学校に上がる、ちょっと前まで産休取れるのよ、明けたら復職出来る、看護師は足りないから」

千尋が何か、こちゃこちゃ言っていた。 すっかりはしゃいでいる、さすが、やんごと無き辺りより古い家のお嬢様ですね(笑) 

平成の初めの頃、まだまだ公務員は優遇されていて、次女の時は望むべくも無い高待遇と高福祉だった。そこに勤めている自分を褒めろと言うことらしい。

この時は次女が産まれるなんて想っていなかったから、今、やってくる子供が学校を出る23年後まで、なんとか夫婦で居ようと決心。

幼少期は、ほぼ毎日殴られ、頭蓋を平にされるくらい床に叩きつけられ、脅され顔色を見ながら生きてきた。

自分の子供の為、あと20数年、なんちゃこと無いさ(笑)


妊娠して、求めなくなってきたので、寝室は別にした、僕は趣味部屋の3畳に布団を上げ下げする。
布団を敷くと、1階のリビングを経由して、コマを妹達の部屋から連れてくる。

前の飼い主が東京を去る時に棄てられた猫、清正の散歩をしたら、恐れずに着いてきて、清正の犬小屋で暮らしていたのを僕の部屋に入れた。  千尋とより付き合いは長い。

妊娠したことで、猫と暮らすのはストレスだと言うので、オフィスに連れて行き、一緒に過ごした。

社員が沢山居た頃、デスクも沢山有ったので、僕と母、パートの女性で会社を回していた、僕はCRTの3.1パソコンとキャノンのワープロ用にデスクを1つ使っていたので、その椅子に夏は畳の座布団、冬はむくむくの座布団に湯たんぽを置いて、そこに寝かせていた。

時折、事務所に来る、親父が良い顔をしなかったけれど、力関係が、かなり変わっていたから、文句は言わせなかった。

親父は僕が糖尿病になると言い出した、僕が弛んだ身体なのが徴候だと言う。

ちょっと前まで、親父の方が僕より5kgがとこ重かった。身体も弛み肥満。

僕は体脂肪18~20%をキープしていたのが、オペ後に弛んだ、体調を戻すのに精一杯で、食事も自分で考え、買い物もしていた。

千尋の腹が大きくなるにつれ、僕の身体も戻っていき、格闘技をしていた頃の基本練習はするようになっていた。

親父は僕たちの部屋と続きの書斎兼社長室で、川合玉堂の掛け軸を眺め、ライオンズクラブで勧められた、マホガニーの筐体を持ったCDプレーヤーでマリア・カラスを掛けて居る。

「やだな、やめたいな、死にたいな」
先物、信用買という博打で負けている時は、アリアに混ざって呪文を唱えているのが聞こえて来る(笑)

「死にたいと言うやつに限って長生きするから、気を付けな」

「でしょうね」
「人のせいにして、良い顔しようとする奴だから、呆けるよ」
「お母さん、大変だな」
「大丈夫、ツテでホームにぶち込むから」
「さいですか」
「そしたら、ここ7階に建て替えて、あんたたちワンフロア毎に住みなさい、お母さんは最上階で猫と暮らすから」
「はいはい」
「孫を一人ずつ、ベンツのオープンカーで温泉に連れていくよ」
「カブリオレ、SLかな」
「紅いの買うからね」

情の深い母だった。 建て替える前まで、庭の東南に鳥の餌台が有った、母が設えさせたもので、そこに炊飯器を洗った後の米粒を置いたり、鳥の餌をホムセンで買ってきて置いていた。

今でも当家にメジロ、シジュウカラ、うぐいすがくるのは、そのせいかしらん、鴉にも懐かれてしまうし(笑)

頭の良い人だった。
仕事の相談をしても的確なアドヴァイスをくれたし、相手の気持ちを考える様に訓練してくれた。


千尋は故郷でお産をすると言うので、送って行った。
それから2ヶ月の暑い日、産まれたと岳父から電話が有った、女の子、母子とも無事。
ボロいPタイル張りの事務所ではGEの動力線220Wのエアコンが唸って居た。

「ヒロさん、行ってきなさいよ」
パートに来ていた、宮田さんという女性が言う、僕が居ない間、毎日来てくれるそうだ。 当家からワンブロック向こうに、お住いの、某大手外資系重役の奥様だ(笑)

千尋の故郷の隣の県出身、関門海峡の向こう同士、千尋にシンパシーを感じてくれている。 母とも仲が良く、仕事も出来る。

お言葉に甘えて、新宿のJTBに電話して、荷造りをした。

盆地の空港はムッとしている、レンタカーを借りて、いつもと反対側に走り出す、まだ、ナビの無い時代、マップルで道順をテキストに起こしたものを、ダッシュボードに貼り付けた、A4 4枚。
健軍と言う所を通り、市電の線路を踏み、日赤に着いた。

あれ、僕も新宿の日赤で産まれたよな

受付に行くと、HCUみたいな部屋の前まで案内された、千尋が奥からやってきて、嬰児を抱いている、接触は不可だそうで、ガラス越しの対面。
母親になると神々しいですね、なんて想いながら、まだ、くしゃくしゃの子供を見て、自然に口角が緩んだ。
「お疲れ様、ご苦労さま」

口の動きで解ったのか、千尋が笑った。

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