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愛着のコントロール

なんか薄々感じてたことを確信してるんだけど、日常生活の小さなことであれ思考回路そのものであれ、「何かを最後までやり切る」とか「終わらせる」「使い切る」っていうのが苦手で、なんか、「未完の状態にしておかないと不安」みたいな気持ちに無意識によくなってるな〜と思う。

ペッドボトルとかちょい残ししがちだし、ちょっといいヘアオイルとか次の買うまでちまっと2〜3回分使わずに残しておいちゃうし(それは単なる貧乏性という可能性もあるけど笑、貧乏性の原因そのものの話でもある)笑。

「なくなったら・ダメになったらその時に方法を考えて対処しよう」みたいな自信が無いんだと思う、自分でも自覚してないような小さな恐怖で、自分の行動に結構ブレーキかけたり制限したりしてるんだろうな🤔💭
いや、ペットボトルやトリートメントは例えであって買えばどうにかなるんだけど笑、もっと思考回路のところの話ね。笑

性格の違いというより、それに気づくかどうかが大きい。小さな恐れが可動域を制限してしまうせいで、成るもんも成らなくなり、勇気出して何かを実行してみてもせっかくのそれが失敗体験の上塗りに終わってしまうことが多い。
性格的に恐れずどっしり、堂々としてられる人ってもうそれが既に恵まれた(あるいは知らずに培われた)才能だと思うし、それを基に思考回路って細部に渡るまで全然変わってくるんだろうな〜と思う

何の文脈か忘れたけど、「ずっと省エネモードなのは体にもよくないよ」的なことを医師にも言われたことがある。たぶん「悪化を恐れて制限しすぎると逆に衰えちゃうよ」みたいな話だったと思う💭
リスクヘッジには長けてるかもしれないけど、それに長けすぎて事後の対処が非常に脆弱。笑

可愛い子には旅をさせろですね〜
可愛いから旅するわ〜〜🚣‍♂️

もっというと、これは体感として確信してるんだけど、不安障害の基盤となる性格そのものだと思う。笑
一言でまとめてしまうと「コントロールできないことへの恐怖」なんだけど、それって何だか愚かに聞こえるけど、実際コントロールできなくなったら痛い・苦しい・困ることってたくさんあるしさ、
「そん時はそん時だよ」って無防備でいられるほど、得てきたものたちは替えの利くものではないから、全てのことに対して愛着が強いんだよね。

((愛着と執着の違いとは…?))って今日寝起きにばかみたいにボンヤリ考えてたんだけど、「それが恐れによるものかどうかの違い」という説明はよくされてる気がするし、それはきれいに聞こえるんだけど、
愛着といえるものだって失ったらすごく怖いよ。だって愛する人を失うのはこわいでしょ?

手放したら楽になることはたくさんあるけど、「こだわるのをやめる」を基礎に生きてしまったら、何にも大切にできなくなっちゃうし、闘うべき時に闘う力もなくなっちゃう。もっと言うと、闘うべき時が分からなくなっちゃう気がして。

できるだけ傷付きたくないし痛い思いはしたくないし、だけどいつかは死んでしまう、どれだけ死にたくないと願っても、それでも死んでしまう、
人生を受け入れるとはどういうこと?


こんなことを定期的に考えては(考えたくて考えてるわけじゃなくて、考えに陥ってしまう、が正しい)、恐れを正しく払拭するのに必要なのは哲学なんだろうと思うんだけど(偶然周りには哲学を研究し職としている人が多く、この手の話はその人たちに一番すんなり通じる上に、話していると考え方としてもストンと落ちそうなところを探れている感じがする)、同時に「圧倒されること」がすごく重要な気もしてる。事実を前に、ただそれを体感すること。
でもどっちかだけじゃやっぱりダメで、「事実」という答えに辿り着いては、そこから出した着地点を再び疑い続けること、大抵の人はそんなの御免被ると思うし、うんざりして、残りの思考の種(=選択肢)を捨てることを「割り切る」と表現するのかもしれないけど、でも、酷で最悪だけど割り切れるものというのはほぼ存在しないから、あーでもないこーでもないというのは即ち生きることに等しいんだと思う、
「恐れを正しく払拭するのに必要なのは」って書いたけど、かえって恐れが増幅することも多いんだろうな、、難治性の病の治療か。。

言葉と思考をどんどん簡略化してったら、人はサルになってしまうけど、いっそサルにもなりたくなる、

…哲学ってメンタルヘルスに問題起こしやすくなりそうだなってよく思うよ。笑


話が随分それた気がする、私の中では繋がっているんだけどね…笑

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