一月くらい前に発売された、荻上チキさんの「もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル」という本を読み終えた。年を跨ぎながら齧り付いて読んだ。 あ、あけましておめでとうございます。 ポリアモリー(複数愛者)って、 「合意の上の浮気」くらいに捉えていたんだけど、掘り下げるとすごく多様なんだねえ。 なんかエキセントリックな価値観の人って受け取っちゃいがちだけど、本の中で引用されていた、ポリアモリー的な体験といえることを読んでみると 等々、いずれかに当てはまる人は
そういう仕事をしている人たちにとっては当たり前の基礎的な事かもしれないが、 真っ直ぐ物事を伝えたい時はなるべく文章に感情そのものは盛り込まず(それは「感情を表現しない」ということではなく、文章・言葉そのものに熱を持たせないということ)、むやみやたらに強い形容をしないことが大事だなと感じている。 同じ温度感じゃない人にいきなり熱いスープを飲ませようったってそりゃ受け付けてもらえないよね
なんか薄々感じてたことを確信してるんだけど、日常生活の小さなことであれ思考回路そのものであれ、「何かを最後までやり切る」とか「終わらせる」「使い切る」っていうのが苦手で、なんか、「未完の状態にしておかないと不安」みたいな気持ちに無意識によくなってるな〜と思う。 ペッドボトルとかちょい残ししがちだし、ちょっといいヘアオイルとか次の買うまでちまっと2〜3回分使わずに残しておいちゃうし(それは単なる貧乏性という可能性もあるけど笑、貧乏性の原因そのものの話でもある)笑。 「なくな
私が『感謝』とか『ポジティブ』とか『幸せ』とかを積極的に口にすることを殊更に啓蒙する人を信用しないのは、 大前提として感謝を伝えることとか幸せを感じることは尊いことだけど、 これらをやたらと強調したがる人たちには共通して「言い聞かせてる感」とか強引に塗りつぶした卑屈さを感じるから。 戦争は起きててあらゆるものの価格は高騰してて、何年も続く感染症が未だに収束しない中で、しんどいことをしんどいと素直に表現することに社会は決していい顔をしなくて、どう考えたって人が辛くなるよう
すっっっかり!noteの更新が滞ってました。 久しぶりの更新でいきなりアレなんですが、 3月21日に、早稲田のリネンというお店でアコースティックライブをします。 聴くとちょっと肩の荷が降りて前向きな気持ちになれる高橋雄也と、 毎日インスタで更新される即興演奏がとても美しい小川ハルちゃん。 この2人との3マンです。 私個人としては2年ぶりの有観客ライブです。 ひゃー! 都内近郊にお住まいの方もそうでない方も、ぜひぜひ、ぜひぜひぜひ遊びにきてもらえたら嬉しいです!!
皿洗いの最後に、濯いだ布巾にうっすらと残っている模様をよく見てはっとした。 これ、私が小中のお昼の時間に使ってたやつだ。 小学校では給食の時間に机に敷き、中学ではお弁当を包んでいた。 その模様を鮮明に思い出せるから、突然すっかり色褪せてることに気付いた瞬間、切なさというか後悔というか、何かを逃したような焦燥感みたいなものに駆られた気がした。 クリスマスイブに生まれて、年末を迎え、新年を迎えて、毎年この時期は自分の年齢とか時間の経過についてモクモクモクモクと考えてしまう。
今から書くことは、そういう人を批判したいとかでは全くないことを先に書いておく。 昔から、「わざとじゃないミス」をした人に怒る人の気持ちが全然分からないんだよね。 無論、いくらわざとじゃなくても同じ失敗を何度も繰り返すとか、明らかに「ちょっと考えればわかるだろ」ってなことでこちらにも被害が及ぶようなときには私もイラッとするんだけど、それでも意図的じゃないことが分かっている時は食ってかかってキレるようなことはない。 なんていうか、店員のミスとか、ちょっとバランスを崩してぶつか
観ると12月をハッピーに過ごせる映画4本(正確にはホームアローン2も入れたいから5本)。 左からホームアローン、ラブ・アクチュアリー、34丁目の奇跡、ハリーポッター。 あーでも、ラブアクチュアリーは今観ると結構女性とアメリカをクソミソに貶してるようなセリフがあるから、知らなかった人が今初めて観ても全然楽しめないかも。 今新作として公開されたら絶対にボロクソにいうであろう映画でも、作られたのが当時って分かってて、当時の世界とかを知ってると大丈夫になっゃうのかな。その感覚を
キャンプに行きました🏕🔥 キャンプというか、大きいコテージにみんなで泊まったので合宿って感じだった🏠 サンタヒルズという、クリスマスがテーマのキャンプ場だったんだけど、クリスマス人間の私にとってはとてもツボな場所でした🎅🏽 将来は暖炉のある家に住みたいなあと思った そして栃木の空気は美味しかった🍂 やっぱり交通の便があんまり良くなくても、窓の外に緑がある場所にずっと住んでいたいな〜〜〜🌳🌲🌳🌲🌳🍃 星もとっても綺麗だった🌌 BBQ中、韓国料理が得意な友達に今までで一番
きっとこの先迷ったりブレたりするたびに何度も思い出したくなる大切な映画の一つになった。 目指す一点だけを決して手放さず真摯に生きることの過酷さや面倒臭さ、虚しさと、そうすることでしか放たれない閃光の尊さ、そしてそれを選択し続ける勇気だけが切符であることをド直球に突き付けられてとても美しかったよ。 生前のJonathan Larsonの想いを知ったうえで、もう一度RENTを観てみようと思う。
何かとすぐ不安がったり怖がったりする性格なので 先の見えないこととか「わからないこと」にすごくそわそわそわそわしちゃうんだけど、 この先 生きてく上で、そういう時に 「大丈夫だよ、なんとかなるから」って思えるおおらかさというか楽観視スキルみたいなのは 自分にとても必要なエッセンスだと思っているので 不安に呑み込まれちゃいそうですぐ何かにしがみつきたくなるんだけど、 分からないことを分かるようにどうにかしなきゃ!ともがき続けるよりは 分からないならどうにでも転べるってこ
子供の時みたいにワクワクしないのってなんでだろ。って毎日考える。 お金を稼がないといけなくなったからかな。 ただ毎日学校へ行って、決められた授業を受けてそれなりに勉強していれば本文を全うしていると認められてた頃と違って、自分で考えないと何も動いていかない責任が常にあるから? 今では絶対にない規模の同い年の集団の中で、毎日いろんな出来事や感情を共有してた、あの特殊さとか、 自覚こそしてなかったものの、 「これから何にだってなれる」という、 当然のように未来が用意されてるよ
なんかこの人いいなぁと思う人って、別に趣味が同じとかでも、性格が似てるとかでもなくて、こちらに興味を持ってくれる人だなぁと思う。 自分の興味関心の外側、自分の人生に縁の無い事柄に出会った時、どういうリアクションをする人なのかって結構見ちゃう。 自然と全てのことに己を投影しながら世界をみていたり、知らないことに目をかっ開いて興味を持つ人がとても好きだなあと思う。(それでもどうしたって興味の沸かないことはあるけどね。私にとってのソーシャルゲーム、株、バイク、野球なんかがそう。
noteって誰がやってるんだろうか、私は誰の記事を読みたいだろうか…と思い、思いつく人を何人か検索してみたんだけど、みんな2018年くらいで更新が止まっている…noteってそれくらいのころに普及したの?そしてこの「つぶやき」はどこに表示されるの…?笑 わからないことだらけである
今年は厄年?前厄? よくわからないけど、なんだかそわそわ落ち着かない年だった気がする。コロナとか抜きにしても それを言い訳に大切なことを色々後回しにしちゃったりもしていたのですが、 12月から毎週配信を(曜日固定の方がいい?)、 年明けからは毎月ライブをできたらいいなあと思っています🌷 完璧主義(ちっとも完璧じゃないのに)だから、何事もちゃんとやんなきゃ、、、!と思いすぎてプレッシャーになって、体力がもたなくなって無力感で病んで何もできなくなるという自滅型なので笑、自分
ずっとちょっとだけ興味があったnote、 さっき掃除機をかけてる最中に、突然始めてみようと思ってアカウントを作ってみた。 友達とかに、「紅子絶対noteとか向いてるよ」って何度か言われたことはあるんだけど、その時は特にやろうと思わなかったんだよね。 でも、他のSNSとかと違って、そんなに積極的に見たいと思われてるわけでもない人の目に飛び込んでしまうことを想定して言葉を選んだり書くことを決めたりしなくて良いのかな?と思って。 文字がメインのプラットフォームだから尚更。 先